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映画館をめぐる旅

一人で見知らぬ土地を歩いていると、その土地の映画館に無性に訪れたくなることがある。

映画監督のジム・ジャームッシュは、処女作『パーマネント・バケーション』中で〈「ここからそこ」ではなく「ここからここ」へ至る映画を描きたい〉というセリフを残した。旅が「ここからそこ」への身体的な移動だとするならば、僕にとって旅先で映画を観ることは「そこからここ」への精神的な帰還であるように思える。異国の地で孤独を強く感じたとき、僕は無意識のうちに慣れ親しんだ映画館の暗闇に安らぎを求めるのかもしれない。しかし、暗闇に紛れるたった2時間が、時としてその旅をより特別なものにしてくれることがある。

道すがら、ふと立ち止まってリュックから紙の地図を取り出し、「cinema」の文字を探し求めて指をなぞる。その瞬間、僕の脳内には映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』の挿入歌であるトム・ウェイツの哀愁のある歌声と異国情緒を孕んだメロディが流れはじめるのだー

かつての旅を振り返ると、その土地の情景と映画館の記憶が混ざり合って蘇ってくる。吹雪の夜に訪れたヘルシンキの映画館、コペンハーゲンの荘厳なミニシアター、マラケシュの埃っぽい小屋のような劇場、エアコンが故障したカサブランカのシネマ・コンプレックス、クストリッツァの足跡を辿ったサラエボ、リュブリャナ、プラハ…。どの映画館も個性的で、かけがえのない旅の記憶だ。

ドイツのデュッセルドルフの駅前にある映画館では、公開まもない『ラ・ラ・ランド』を観た。エンドロールが終わり場内が明るくなると、最前列に座っていた初老の女性が立ち上がって拍手を始め、つられるように場内がスタンディングオベーションの喝采に包まれた。どんなに素晴らしい映画だったとしても無言で席を立つ日本では考えられない光景だ。劇場を出たあと、なんだかすぐにホテルに帰りたくなくて、映画のサウンドトラックを聴きながら雨上がりの夜道をあてもなく歩いた。

外気温52度という灼熱のドーハでは、クーラーがガンガンに効いた映画館でアラビア語の映画を観た。思いがけず素晴らしい内容だったのだが、エンドロールが始まった途端に場内が明るくなり、アルバイトらしき少年が掃除をはじめた。余韻もくそもありゃしないけれど、どうやらこれがこの土地では一般的なスタイルらしい。劇場を出ると、暇そうにしていた受付の女の子が物珍しそうに「映画が好きなの?」と喋りかけてくれた。

旅先の土地において、僕は「異邦人」だ。けれども、ひとたびスクリーンの幕が上がれば、僕はその土地の人たちと同じように物語を味わい、同じように笑い、涙を流すことができる。映画館の暗闇が見た目や文化の「違い」を覆い隠し、あたかもその土地の空気と溶け合うような錯覚に陥る。それが妙に心地良いのだ。

旅先で映画を観る人、ましてや海外旅行中に進んで映画館を訪れようという人はかなりの少数派かもしれない。多くの人は"観光"(「そこ」)を目的に旅に出るのだから、せっかく来た旅先で普段でもできるような体験(「ここ」)をするのはもったいないということなのだろう。

しかし、異国の地に住む人たちと同じものを見て、同じような感情を共有するというのは映画館の暗闇でしかできない特別な体験であるように思える。そのたった二時間の体験が、僕をいつでも劇場に向かわせる。その旅が自分だけの特別なものになる。

いつの日か、世界中を旅しながら、色んな土地のミニシアターをめぐる紀行文を書いてみたい。そんな旅を夢見て、今日も僕は映画館へ足を運ぶ。

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