【会話劇】 そらのおくゆき
あらすじ
2026年、夏。日本では空前の「詩」のブームが巻き起こっていた。この物語は、詩の魅力に取り憑かれた三人の女子高生が、自作の詩集のタイトルを探すだけの、これといって特別なことはなにも起こらない会話劇である。
登場人物
・ミナモ‥ロマンチスト、食いしんぼう
・ソヨカゼ‥マイペース、お嬢さま気質
・コムギ‥メガネ、愛読書は「ネイチャー」誌
・百年のお兄さん‥やさしい
0
どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことはできないだろう ー寺山修司
<ミナモ ナレーション>
去年、詩集の売上が過去最高を記録したらしい。
20年代初頭の混乱がやっと落ち着きを取り戻しはじめた頃、申し合わせたように日本中の人たちが日々の生活に詩を取り入れはじめた。「詩情」という言葉が流行語大賞にノミネートされたのが2023年暮れの出来事だった。そこからまず若者のスマホ離れが加速した。そして次第に人々はスマホやPCに触れていた時間を、詩を読んだり書いたりすることに費やすようになった。
一部の専門家たちは、人間は社会の混乱や政治不安が続くと抽象性を求める傾向が歴史的にあるとかなんとか言っていたけれど、その真偽は定かではない。むしろ、はじめはただブームにのっかってなんとなく詩集を手に取っただけだったかもしれない。あるいは、当時彼らが詩を読み耽るとき、まるで言葉の奥から何か大切なものを取り戻そうとしているかように見えることすらあった。
それから、日本ではこんな光景が日常的に見られるようになった。朝の通勤ラッシュに揺られるサラリーマンたちの手には詩集が開かれていて、発行部数が30年ぶりに回復した新聞の裏面には数編の詩が掲載されていた。居酒屋の片隅では大学生たちがレモンチューハイ片手に詩の解釈を語り合い、恋人にポエムを贈ることが若者のあいだで流行していた。
そしてもう一つ、
人々は以前よりも空を見上げるようになった。
そんな、2026年、
ある夏の一日。
1
ふり注ぐような蝉しぐれ。木立の陰に覆われた神社の石段に、白いブラウスを着た三人の女の子が座っている。
彼女たちの足元には、飲みかけの缶ジュース ー 黒地に黄色いドット柄のレモンスカッシュ、がぶ飲みメロンソーダのトール缶、そしてバヤリースのオレンジジュース ー が置かれている。缶の表面に浮き出た水滴が、みかげの石段に黒い染みをつけている。三人は何をするでもなく、ただ抜けるような青空をぼーっと眺めている。
ミナモ「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに…」
ソヨカ「何かとんでもない落とし物を…」
ミナモ「僕はしてきてしまったらしい…」
しばし沈黙…
ミナモ「ねぇ、なんで人は空を見上げるか知ってる?」
コムギ「敵から身を守るために頭上を監視してた猿人時代の名残り」
ミナモ「ロマンがないなあ。ソヨちゃんは?」
ソヨカ「んー、涙がこぼれないように?」
ミナモ「昭和の大喜利?」
ソヨカ「なによー。正解は?」
ミナモ「ふふふ、なぜ人は空を見上げるか。それはね、故郷に想いを馳せているからなのだよ」
ソヨカ「どういうこと?」
ミナモ「生命は隕石の衝突によって誕生した。だから人間は厳密な意味で星の子、宇宙の子なの。そして私たちは無意識のうちに故郷に想いを馳せてるってワケ」
コムギ「それ、ネイチャーの最新号に載ってたコラムでしょ」
ミナモ「ゲッ。この科学オタクが!」
ソヨカ「でもそれ、さっきの谷川俊太郎の詩の解釈とも言えるかもね」
ミナモ「そう!さすがソヨちゃん。17歳の女子高生から17歳の谷川俊太郎への、時代を超えたアンサーなのですっ」
ソヨカ「ミナちゃんは相変わらずロマンチストだねぇ」
ふたたび沈黙…
ソヨカ「時代を超えるといえばさ、こないだ万葉集の本を読んだんだけど」
ミナモ「ふむ」
ソヨカ「奈良時代の人たちの娯楽は、和歌を詠むことだったのね」
コムギ「ふむふむ」
ソヨカ「で、女性側と男性側の二組に分かれてお互いに歌を詠み合うことが流行ってたんだって。しかも即興の返し歌」
ミナモ「文化水準が高すぎる合コン」
ソヨカ「それでその返し歌が上手い人がモテたんだってさ」
コムギ「つまり恋の発動条件は「言葉選びが上手いかどうか」ってこと?」
ソヨカ「そのとおり!素敵じゃない?」
ミナモ「ロマンチックすぎる…」
ソヨカ「でね、奈良時代は歌を詠むことくらいしか娯楽がなかったってよく言われるんだけど、その本では、むしろ歌の魅力に取り憑かれてしまったから他の娯楽が生まれなかったんじゃないかって言っててさ。妙に納得しちゃったってワケ」
コムギ「なるほど、道理でうちらも勉強に手がつかないはずだ…」
ソヨカ「そう。つまりね、千年の時を超えて、私たちは再び言葉の魅力に取り憑かれちゃってるってワケなのよ…ね!」
そう言って勢いよく立ち上がるソヨカゼ。スカートのプリーツがふわりと揺れる。うすい紺色の革ポシェットから小銭を取り出し、道の向かいにあるセブンティーンアイスの自販機の前でしばし佇む。レモンソーダとグレープシャーベットの間を逡巡しているようだ。数秒後、ほっそりとした指を伸ばしてボタンを押す。コトンッ。アイスの落ちる軽い音。黄色と水色が半分ずつに印刷されたパッケージをかがんで取り出す。
ソヨカ「うわ、、」
ミナモ「どした」
ソヨカ「ついにセブンティーンアイスのパッケージにまで詩が浸食してきてる」
ミナモ「おーいお茶のパッケージみたいな?」
ソヨカ「大賞になったらアイス一年分とかなのかな、やっぱり」
コムギ「どんな詩?」
ソヨカ「えと、『きせつのあわい』ってタイトル」
ミナモ「お、なんか良い響き」
コムギ「ちょっと読んでみてよ」
ソヨカ「
季節が拾いきれない 透明なきせつに なんと名前をつけよう
季節ときせつのあわいで ぼくら
」
ミナモ「ほぉ」
コムギ「わるくないね」
ソヨカ「なんと名前をつけよう わたしたち」
コムギ「ほんとそうね」
ソヨカ「ペリペリ(フタを剥がす音)」
ミナモ「ここで一句」
ソヨカ「どうぞ」
ミナモ「セブンティーンアイス 記憶の味が濃くなるたび 少しずつ大人になってく私たち」
ソヨカ「大人になったらもうセブンティーンアイス食べなくなるのかな〜」
ミナモ「セブンティーンアイスは17歳までだからね」
コムギ「17歳を過ぎるとサーティワン・アイスクリーム」
ミナモ「そして31歳を過ぎるとハーゲンダッツ…二度と戻れないセブンティーンの夏…」
ソヨカ「一口ひとくち大切に味わいますっ」
「ガリガリ(アイスをかじる音)」
羨ましそうに見つめるミナモ。
ミナモ「ソヨちゃん…ひとくち…」
ソヨカ「ほれ」
座ったままのミナモの口の前にアイスを差し出すソヨカゼ。
ミナモ「かたじけない…!」
めちゃくちゃ大きな口でかじるミナモ。
ソヨカ「ちょ!食べすぎだってー!!」
ミナモ「(ほおばりながら)一口の多様性です」
コムギ「とんでもねぇヤツだ」
<ミナモ ナレーション>
セブンティーンアイスを食べながらおしゃべりするくらいしかやることのない、暇で暇で仕方がない私たちは、この夏、3人で詩集をつくることにした。おのおのが補習の合間に書きためた合計21編の詩を、9月頭に吉祥寺ホールで開催される詩の販売会に持ち込んでお小遣い稼ぎをしようってワケだ。早々に詩が完成したのは良かったんだけど、肝心の詩集のタイトルが決まらずに早くも2週間が過ぎてしまった。
ソヨカ「詩集のタイトル、もう『セブンティーン・アイス』でいいんじゃない?」
ミナモ「えー、なんか中学生向けの雑誌みたい」
コムギ「『ポエトリー・ユートピア』は?」
ソヨカ「革命が起こりそう」
ミナモ「もっとこう、俗っぽくてお洒落なかんじのがいいんだよな」
コムギ「『はいから・びゅーちふる』」
ミナモ「細野晴臣…?」
ソヨカ「『暗闇坂むささび変化』」
ミナモ「♪暗闇坂は蝉しぐれ〜」
コムギ「あー、もうアイデア枯れた」
ソヨカ「そうだ、はい!(手を上げる)」
ミナモ「はい、ソヨカゼくん」
ソヨカ「本屋で詩集のタイトル、見てみない?いいアイデアが浮かんでくるかも!」
ミナモ「お、いいね。どこの本屋いく?」
ソヨカ「このあたりだと…」
コムギ「吉祥寺、百年いきたい」
ソヨカ「百年!最近全然いってないなぁ」
ミナモ「あたしも。百年いってみようよ!」
ソヨカ「行こう行こう!」
コムギ「良い本屋は何度行っても良い本屋なのだ」
ぬるくなったジュースの残りを一気に飲み干し、自販機の横のゴミ箱に投げ入れる。缶のぶつかる乾いた音が響く。三人の声がしだいに遠のいてゆき、セミの鳴き声に取って変わる。
無言で佇むゴミ箱の図を映しながら暗転。
2
平日の吉祥寺駅前は人気が少ない。
公園口を出て、いくつかの古本屋を通り過ぎる。店先のワゴンに隙間なく並ぶ、カラカラに日焼けした文庫の背中に後ろ髪を引かれる三人。戻り足でワゴンをのぞき込むも、めぼしい本はなかったようだ。ゴウゴウと音が鳴る中央線の高架下をくぐり、解体作業中の東急百貨店を左に曲がる。
「百年 2階」と控えめな文字で書かれた看板が掛かっている。急な階段を上り、焦げ茶色のドアを開ける。クーラーの冷ややかな空気が三人の頬にやさしくふれる。
店内にはミナモたち以外に客はいない。みな思い思いに物色する。両脇からきたミナモとコムギ、同時に詩集の本棚の前で立ち止まる。
「二十億光年の孤独」「六十二のソネット」「肌に流れる透明な気持ち」「満ちる腕」…
二人は無言で本の背中を眺める。
すると背後からソヨカゼの声。
ソヨカ「うわー!みて!西條八十の訳詩集!」
コムギ「お、ソヨカゼがずっと探してたやつ」
ソヨカ「あたし、ロセッティの訳がすごくすきなの」
ミナモ「相変わらずチョイスが渋い」
ソヨカ「あ、これこれ!」
三人の顔が横並びでアップになる。
ソヨカゼの張り切った顔。(鼻の穴が少しふくらんでいる)
ロセッティの訳詩をゆっくりとリズミカルにつぶやく。
「誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない…」
次の言葉を言いかけたところで、背後から百年のお兄さんの声が重なり合う。
「…けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく」
勢いよく振りかえる三人。
お兄さ「僕も好きなんです、『風』」
ソヨカ「ほんと!いいですよね!」
お兄さ「うれしくて思わず声に出しちゃいました、すみません」
ソヨカ「ううん、わたしもうれしいです。お兄さんはこの詩のどこが好きなんですか?」
お兄さ「そうだなあ。なんかこの詩を読むと、地面に映る葉っぱの影がゆらゆらと揺らめく光景が思い浮かぶんです。風って目には見えないけど、葉っぱとか、空気とか、光とか、自分じゃないものの力を借りることで、自分の存在を僕たちに知らせてる。なんか、そういう自分と他者の関係性を風に託して歌ってるのが好き、かな」
ソヨカ「すてきな解釈…」
ミナモ「お兄さん、めちゃくちゃ説明上手」
コムギ「自分で詩を書いたりもするんですか?」
お兄さ「詩、書きます。ぜんぜんうまくないですけど」
ソヨカ「もしよかったら、見せてほしいです…!」
お兄さ「ぜひぜひ。これ、こないだ自分で印刷した冊子。お店の隅に置いてるんです」
グレーの表紙に濃い黄色で『プリズム』と小さく書かれた30ページほどの薄い冊子を手渡す。
ミナモが中央に立ってパラパラとページをめくる。二人が両脇からのぞき込む。
ソヨカ「これもすてき」
ミナモ「うん、うん、良い」
コムギ「こっちは春と修羅の模倣」
ミナモ「あんたお兄さんに恨みでもあるの?」
ソヨカ「あら?この詩って…」
ミナモ「あ!これ!セブンティーンアイスの!」
お兄さ「あれ、ご存じですか…?」
ソヨカ「ちょうどさっき三人で読んだんです」
ミナモ「これ、お兄さんの詩だったんだ」
お兄さ「ちょっと、恥ずかしいな…」
コムギ「悪くなかったですよ」
ミナモ「なんで上から目線?」
お兄さ「君たちも詩を書くんですか?」
ミナモ「いま、三人で詩集をつくっているんです。だけどしっくりくるタイトルが思いつかなくて。ここに来たらなんかアイデア湧いてくるかなって思って」
お兄さ「タイトルかぁ。三人ともどんな詩を書くんですか?」
ミナモ「それが、みんなバラバラなんですよね」
コムギ「ミナモは川崎洋、ソヨカゼは高良留美子、わたしは岸田衿とかに影響を受けてます」
お兄さ「(笑いながら)それはすごい。でもどこかしらに三人の交わる部分があるはず…」
ミナモ「そうそう!だから、言葉に現れてない奥の部分ではちゃんとつながってるんだよっていうかんじにできたらなぁって思ってて」
お兄さ「なるほどねぇ」
ミナモ「お兄さんは詩のタイトル、どんなふうにつけてるんですか?」
お兄さ「うーん、直感、としか言いようがないかなぁ。無理やり言うと、ほしい言葉を探しに意識のなかに潜っていくかんじ、ですかね」
ミナモ「意識に潜る、かぁ」
お兄さ「言葉を探すのって宝探しみたいで楽しいんですよね。たまに行き過ぎて気分が悪くなることもありますけど。完成した詩はもちろんだけど、言葉を探してまぜあわせる過程もしっかり味わいたいなっていつも思ってるんです。出来上がったら、ぜひ教えてくださいね」
ミナモ「はい、もちろん!」
ソヨカゼ「あ、お兄さんの詩集って購入できますか?」
お兄さ「これ無料で配ってるから、ぜひ持っていってください」
お兄さん、ソヨカゼに詩集を手渡す。
ソヨカ「ありがとうございます!あ、あと、さっきの、西條八十の詩集もいいですか?」
お兄さ「もちろんです」
コムギ「そしたらあたしたち、先にでてるね」
ミナモのスカートの裾をグイと引っ張るコムギ。
ミナモ「えー、外あついよ~」
コムギ「ほら、いくよっ」
静けさを取り戻した店内にはソヨカゼとお兄さんが二人きり。お兄さん、レジを打つ。
お兄さ「880円です」
ソヨカ「はい」
お兄さ「そうだ、これも知ってますか?
風よ 翼をふるわせて あなたのもとへ届きませ
」
ソヨカ「『風立ちぬ』ですね。ロセッティのつづきの句」
お兄さ「詩は書くだけでも楽しいけど、誰かのもとに届くっていうのもやっぱりいいなと思うんです。詩は抽象的で見えづらい風みたいなものだけど、自分の心の奥深くの部分が誰かの心にふれるのって奇跡みたいに素晴らしいことだと思う」
ソヨカ「すごく、分かります。詩のことばを通して出会えた人って、心の奥でつながっているような、満たされるような気持ちになりますよね」
二人の視線が重なる。
お兄さんニコリ、ソヨカゼは慌てて目をそらしてお辞儀。そのまま退店。
日中の暑さがピークを過ぎ、夕涼みの支度をはじめた街の空気。三人は肩を並べてそぞろに歩く。
百年で買った本を胸の前に抱えて、自分の世界に入り込んでいるソヨカゼ。なにやらブツブツ言っている。
ソヨカ「ことばはさんかく、こころはしかく…」
ミナモ「くるり?どうした突然?」
しばし無言…
ソヨカ「知らない街角の…」
ミナモ「ん?」
コムギ「…、知らない片隅で…」
ミナモ「知らない誰かと…恋に落ちるだろう…?え!ソヨちゃん…!?」
ソヨカ「(うつむきながら)素敵だった…お兄さん…」
ミナモ「うおー!この人恋してる!恋してる!」
コムギ「夏…ね」(メガネをクイと上げる)
ミナモ「あまずっぱー!!」
涼やかな風が三人の間を吹き抜ける。
三人のスカートが緩やかに揺れる。
3
喫茶ロゼの奥のテーブル席。
アイスレモンティーとか飲んでる三人。
ソヨカ「夏のプリズムになって…あなたのもとへ届きませ…(ボソボソ…)」
相変わらずうわの空なソヨカゼを横目で見る二人。
ミナモ「あー、なんか、いいなぁ。この人恋してるよ~」
コムギ「恋はしたくてできるもんじゃないからね」
ミナモ「わかってるよ~」
コムギ「そういえばむかし、寺山修司が「恋に落ちずに恋に飛べ!」って言ってたな」
ミナモ「明るい恋、ね」
コムギ「逆張りの天才、寺山修司」
ミナモ「あの人なんにでも噛み付くからね」
ミナモ「ところでさ、「言葉は三角 心は四角」って、あれどういう意味なんだろうね」
コムギ「あ、それむかし誰かが言ってたな。たしか、四角形を対角線で半分にすると三角形になる、言葉は本心の半分しか伝えられない、みたいな意味だったような…」
ミナモ「もっともらしい」
コムギ「そう考えると、詩っていうのは「言葉の三角」をどれだけ「四角」に近づけられるかってことかもしれないね」
ミナモ「お洒落な表現してきた」
コムギ「限りなく四角形に近い三角」
ミナモ「なんだか角ばってるね(笑)」
コムギ「限りなく透明に近いブルー」
ミナモ「突然の村上龍」
コムギ「あ、でもさ、この曲の歌詞、はじめは「三角」と「四角」が漢字なんだけど、さいごには「さんかく」と「しかく」がひらがなになるんだよね」
ミナモ「ひらがなだと急にやわらかい印象になる」
コムギ「それこそ「まあるく」なるような、ね」
ミナモ「♪まあるい涙よ、飛んでゆけ~」
コムギ「涙がにじむことで、言葉はやわらかく、角が取れていくのかも」
ミナモ「でもこの曲の涙って、心がぎゅっと掴まれるようなさみしさの涙だよね」
コムギ「そうだねぇ」
ミナモ「ちょっと恋のせつなさにも似てる…」
二人、物思いに耽っているソヨカゼを再び横目で見る。
コムギ「柿本人麻呂…」
ミナモ「ソヨちゃんのこころはいま、詩情であふれかえってるのかもしれない…」
しばし沈黙…
ズゴゴ…(残りのアイスティーをストローで吸い込む音)
コムギ「お兄さん、「あわい」って言葉、似合ってたね」
ミナモ「あ、わかる。なんか、あいまいでやわらかいイメージ」
コムギ「ミナモはさ、「きせつのあわい」ってことばを聞いたとき、どんな風景を想像した?」
ミナモ「そうだなあ。なんか、朝、遅刻ギリギリなのに鏡の前でカーディガンを着て行くかどうかずっと迷ってる自分を思い出した」
コムギ「つまり、春と夏のあわいってことね」
ミナモ「コムギは?」
コムギ「わたしはね、地面に落ちた熟れ切った柿の実をアリの群れが取り囲んでるイメージ」
ミナモ「へえ~!じゃあ秋と冬のあわいってことね」
ソヨカ「わたしはねぇ…」
ミナモ「お、戻ってきた」
ソヨカ「ところどころに雪が残る朝の森で芽吹きの音がパキパキ響いてるイメージ」
コムギ「ってことは…」
ミナモ「冬と春のあわい、か」
コムギ「「きせつ」も「あわい」もすごく簡単な単語だけどさ、その二つが組み合わさることで急にイメージが曖昧に、それでいて具体的になる」
ミナモ「たしかに」
コムギ「そういう言葉に、わたしたちはウッカリ想像力を引き出されちゃうってワケ」
ミナモ「人の数だけ風景が浮かび上がる、と」
ソヨカ「伊藤紺さんが言ってたな。「詩の言葉は、読み手の記憶にふれて咲く」って」
コムギ「そう、まさに」
ソヨカ「私たちの詩集も、読んでくれた人がウッカリ想像しちゃうようなタイトルにしたい」
ミナモ「うん、うん」
コムギ「でもお兄さんが言ってた「意識に潜る」ってさ、三人だと難しくない?」
ミナモ「まあ、あれはお兄さんのやり方だからねぇ」
ソヨカ「じゃあさ、大和人たちみたいに、連想する言葉をどんどん出していってみようか」
コムギ「それで三人がピンとくる言葉が、私たちの共通意識ってことね」
ミナモ「よしきた」
「えーと、『ゆらめく』」
「もうちょっと具体性がほしい」
「『ひかりの庭』」
「んー、なんかちがう」
「『透明な月』」
「ちょっとかっこよすぎる」
「『ながれる』」
「成瀬巳喜男?」
「『空のいいわけ』」
「今日も暑くてスミマセンってか?」
「『青空ノムコウ』」
「SMAPのパクり」
「『ぜんぶ夏のせい』」
「それは否めない」
「『とおくてちかい』」
「なぞなぞ?」
「んー、『ことばのかおり』!」
「インクのにおいがする」
「『ことばの奥で』」
「あー、わるくないかも?」
「『ことばのおくゆき』」
「お、いいかも」
「でもちょっと説明くさくない?」
「たしかに」
「「ことば」って入れない方が良いかも」
「でも「おくゆき」は語感が良いよね」
「じゃあ、『そらのおくゆき』は?」
「あ!いい!」
「『そらのおくゆき』、語感も気持ちいい」
「そらのおくゆき…」
「そらのおくゆき!」
「決まった!」
(三人で)「そらのおくゆき!!!」
氷だけが残ったグラスで乾杯する三人。
グラスについた水滴がアンティークのテーブルに滴り落ちる。
カラン。ガラスと氷がぶつかる音がわずかに響く。
4
スッキリした顔で喫茶店を出る三人、街はもう暗くなりはじめている。
空はとおく、水色と黄色のグラデーションに染まっている。
ソヨカ「わたし、夕焼けのピークを過ぎたあとの、ちょうど今みたいな空の色が好きなんだ」
ミナモ「ソヨちゃんがお昼に食べてたレモンソーダのアイスみたい」
ソヨカ「空って真っ青だったり真っ赤だったり、真っ白だったり真っ黒だったりするけど、この淡い色味は透明感があって好きなの」
コムギ「…あの青い空の波の音が聞こえるあたりに 何かとんでもない落とし物を 僕はしてきてしまったらしい」
ミナモ「ざざーん ざざーん」
ソヨカ「お兄さん、素敵だったなあ」
ミナモ「詩集ができたらソヨちゃん渡しにいってきてね」
ソヨカ「えー…いく…」
ミナモ「ソヨちゃんもじもじしてる」
コムギ「そうだ、本の表紙、この空の色みたいにしてもいいかもね」
ミナモ「えっ、いい!」
ソヨカ「素敵!なんか、ものすごく良い詩集ができあがりそうな予感…」
ミナモ「おっ、「予感」っていい言葉だよね」
ソヨカ「あれ、そういえばミナちゃんこんどの詩集に『予感』ってタイトルの詩書いてたよね」
ミナモ「書いたかいた!自信作」
コムギ「あの詩はよかった」
ソヨカ「えー、どんなのだっけ?」
ミナモ「ちょっと~、ソヨちゃん忘れちゃったの?」
ソヨカ「えーと、プールの底は光のゆらゆら帝国です、みたいなやつだっけ?」
ミナモ「雑w」
コムギ「それでは、ミナモ作『予感』、どうぞ」
ミナモ「えー、ゴホン。
プールの底にもぐるとき わたしは世界の喧騒をしばし忘れる つめたい水の粒子の隙間を 太陽のひかりが気持ちよさそうに泳いでいる そのゆらめきにふれてみたくて 懸命に伸ばす小さな手の記憶 しかし期待はうらぎられ すこしばかりの……」
《ざざーん…》
とつぜん、空から波の音が響いてくる。
反射的に空を見上げる三人。
「え?」
「いま、きこえた…?」
「うん、きこえた…」
ざざーん…
「ほら、また」
「ちょうどあの黄色と水色のあわいのあたりから…」
「波の音が聞こえた気がする…」
ざざーん…
「あ、また」
「たしかに、きこえた」
「波の、音…」
ざざーん…ざざーん…
「きれいな音…」
「かなしいような、なつかしいような…」
「透明な、音…」
ざざーん…ざざーん…
「お兄さんも、聴こえてるかな」
「きっと、聴こえてるんじゃないかな」
「ことばのおくゆきを探している人には、きっと…」
ざざーん…ざざーん…
三人、目を閉じる。
画面暗転。
ざざーん…ざざーん…
ざざーん…ざざーん…
<波の音を背景に、ミナモ ナレーション>
詩集のタイトルが決まったあの日。
私たちは空の深いところから響いてくる不思議な波の音を聴いた。
この話を友人に聞かせると、たいてい「ミナちゃんは相変わらずロマンチストだね」なんてあしらわれる。実際、当時の記憶は曖昧で、波の音を本当に聴いたのかと問われると正直自信がない。私たちはあの日の暑さだってとうに忘れてしまったから。
だけど、あの日三人で目を閉じて聴いた、空のあわいから響く透明な波の音は、
いまでもずっと、私の心の奥底に響いているような気がする。
そらのおくゆき
こころの海に、耳を澄ましてー
ざざーん…ざざーん…
ざざーん…ざざーん…
ざざーん…
……
…
<エンドロール くるり『言葉はさんかく 心はしかく』>
おしまい
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