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しつけと言う体罰と、愛と言う名の虐待

こんにちは。
今日の写真は、何時ぞやの家から見えた空。環水平アーク。
どんより曇り空なので気持ちだけでも晴れたいmakoです。

夜9時半には消灯で電気消えてから、なかなか寝られない(^^;;
子供じゃあるまいし、こんな時間に寝た事ない(笑)
院内Wi-Fiは朝7時から夜9時まで。
15分毎に切れ、合計時間300分。
上手く使わないと(笑)

今日は検査も何もないので、少し早めにnoteを書こう。

しつけと言う体罰と、愛と言う名の虐待
これは昭和の子なら、私だけの話ではない。
今でもあるだろうが。昭和の子には多く居ると思う。

大きな棘は、案外にも抜きやすい。が、細かい小さな棘はなかなか抜けない。
しかも、どこに棘があるのか?でも、チクチクする…。
この棘を探す作業は、痛みを伴う。
痛くないはずの体や心が苦しくて痛む。
消化出来ていない感情が、心の奥から湧き出て震え怒りに満ちている。
こことも向き合わないと。
何度も何度も同じ症状に苦しむ。
この苦しんだ時の話を今日は文字起こしして行こう。
(今はもう自分の中で消化されてます。)
家族構成が複雑で、一般的な家庭生活を過ごした事がないので、いわゆる普通とズレがあった。
母の実家、五島列島での生活。
祖父母と島に残っていた母の妹2人、弟1人、私と6人。
(他2人の妹は島から出ていない)
1番下の弟は私と7つ違い。
ま、ざっとこんな感じでの暮らし。

島なので、私がここに来た理由は近所の人たちも知っていた。
好奇な目で見られる感じも、小さいながら感じていた。
祖父母は、きっと私に対して哀れな子。
きちんと育てなくては。
と思っていただろう。
母は、私だけでなく色々と仕送りをしていた。
父に、母に、妹、弟。私。
妹弟の学費も出していた。
(後日談)

当時のしつけは頭ごなしで、身体で分からせる。いわゆる体罰。
きちんとさせる。
普通に。
他者との比較で違いがあるならば、この子は可笑しな子。
本人は悪いことしてないと思う事でも、大人達からはダメ出し。
叩かれる。
小さくてもお家のお手伝いはしないといけない。
ご飯を食べたらお皿を洗ったり。
当時のお風呂は五右衛門風呂。
外で薪を焚べて沸かし、浮いた板に乗り沈んで入浴する。
私の年代でも、これを経験して居る人はほとんどない。
なので貴重な経験。
でも、このお風呂は怖かった。
言う事を聞かず反抗するならば、頭から沈められる。
祖父は怖かった。
苦しくて、バタバタして、何度も何度も頭を押さえ沈める。
これは、おまえの為。
まだ40代、漁師の仕事をして居るから力は強い。
とても怖い存在だった。
ただ怖いだけじゃなく、優しい反面もある。
私の為に庭にブランコも作ってくれた。
でも、この頃の大人達の多くは子供のしつけと言う体罰が当たり前の世界だった。
自分の価値観を正当化する。
それに従わす。
従わない場合には体罰により修正。
なんとも陳腐で滑稽なしつけ。
ここから、小さな棘があちこちに刺さり抜けなくなって行く。
島での2年の生活の中で私が学んだ事は、大人や周りの顔色を読む事。
これも又、今の私の一部になっている。

この、しつけと言う体罰、愛と言う虐待。
これはここから始まった。
この体罰と虐待から抜け出すまでの葛藤がこの後続く。
自分を晒す事で癒される心の傷がある。
角度を変えて、その時代を見てみる。
納得が行かない気持ちや憎しみ、とことん出してみる。
嘘付かず。
泣いて、わめいて、苦しんでは
そこから逃げず。
自分と向き合う作業は、傷が多いほど辛い。
許す。並大抵ではない。
うん、許さなくてもいい。
だが、許さない自分を許して欲しい。
自分を責めず。

今日は長くなったので続きは次回。

今日もありがと💕







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