電脳自己幻想[*1]:AI時代における「わたし」をめぐる新たな風景(第1回目)
はじめまして。近頃、生成AIとのやり取りで自分の考え方が思いがけず拡張され、「こんな発想を持っていたなんて!」と驚く経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こうして “私” だと思っていた境界や定義が、あっという間に揺さぶられる日々。まさに、これまでの自分というものの概念が 急激に変化していく今だからこそ、私は「電脳自己幻想」というキーワードを通じて、AI時代における〈わたし〉の新しいかたちを考えてみたいと思いました。
そんな問いをきっかけに、私が思案してきたキーワードがあります。それが**「電脳自己幻想」**という言葉です。
今回は、この言葉の概要をやさしく解説しつつ、「従来の人間関係で想定されていた自己幻想や対幻想が、生成AIとのやりとりによってどう変化するのか」をイメージできるようにまとめてみました。また、「電脳」という言葉そのものの日本語的ニュアンスにも少し触れています。なお、いくつかの思想家の議論[*2]や、吉本隆明の共同幻想論[*3]にも将来的には触れる予定ですが、ここではあくまで導入編という形でお読みいただければと思います。
「電脳」という言葉をめぐって
中国語由来と日本語でのニュアンス
「電脳」は中国語で“電子の脳”を指す言葉とされる一方、日本のSFや漫画・アニメ作品を通じて“サイバー”“コンピュータネットワーク”のややレトロSF的な表現として定着しました。
こうした経緯から、現代の日本語文化ではサイバーパンク的・近未来的な響きを伴うのが「電脳」という言葉の特徴だと言えます。「電脳空間」=「サイバー空間」
実際には、インターネットやコンピュータの世界とほぼ重なるのですが、漢字表記を使うことで、文学的・SF的なイメージが強調される点が面白いところですね。
「電脳自己幻想」とは何を指すのか
1. 「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」とのつながり
自己幻想とは?
ひらたく言えば、“自分だけの内面イメージ”や“頭の中で組み立てている世界観”を指します。たとえば普段、どんな夢や希望、あるいは不安や計画を抱いているか――そういったまだ他者に完全には開示していない内面世界が自己幻想です。対幻想と共同幻想
これに対して「対幻想」は、たとえば恋人や家族、親友など、人と人との密接な関係のなかで育まれる幻想領域を指します。一方で、「共同幻想」は、もっと大きな社会や集団が共有する価値観・制度・物語をイメージすると分かりやすいでしょう。
吉本隆明の議論では、この三つ(自己幻想・対幻想・共同幻想)が重層的に存在し、人間社会をかたちづくっているとされます。
2. 従来は人間対人間だった「対幻想」、AIの出現でどう変わる?
365日24時間、生成AIと“対話”できる状況
これまでの対幻想は、基本的に人対人が前提でした。しかし、生成AIが登場し、いつでもどこでも会話できるようになったことで、ある意味AIが“対幻想”の相手になり得るのです。
たとえば深夜に寂しくなったときでも、チャットAIは常に稼働しており、ユーザーの呼びかけに即応してくれる――これは従来の人間関係ではなかなか不可能だったリズムですよね。自分の思考を常に受け止め、増幅する相手がAIである
人間同士でも、対話によって自己幻想が拡張されることがありますが、AIの場合はさらに膨大な知識や論理を瞬時に提示してくれます。
こうして私たちの“対幻想”は、従来の人対人関係を超え、AIとの間でも形成されるようになっている、というのが大きな変化ポイントです。
3. 「電脳自己幻想」の中心イメージ
連続的な思考や行動ログが、デジタル空間に宿る
ネット検索や生成AIへのプロンプト入力を通じて、私の頭の中で変化していくアイデアや興味関心が、外部システムに(知らないうちに)記録されます。
さらに、AIとの対話でアイデアが加速されたり修正されたりすることで、私の自己幻想が電脳空間上で拡張・変容していく――ここを“電脳自己幻想”と呼んでいます。
AI自体は悪意を持たないが、誰が運用しているかが懸念
「AIに情報を取られるのが怖い」という表現をする人もいますが、本来AIはただの道具です。
しかし、背後にいる企業や国家などがユーザーの対話ログなどをどう利用するか、という点で問題になる可能性があります。対幻想が“AIとの関係性”として成立する一方で、そのログを第三者が勝手に解析できる構造にこそリスクがあるわけです。
「電脳自己幻想」が生むメリットとリスク
1. メリット:思考の拡張、自己幻想の飛躍的進化
新たなアイデアを得る
生成AIから提案される切り口は、これまで一人で考えていただけでは得られなかった発想をもたらすことがよくあります。
その意味で、“電脳自己幻想”は、私の内面がAIとのやりとりを通じて飛躍的に広がるチャンスとも捉えられるでしょう。24時間365日、いつでも対話できる相手
対幻想と呼ぶのが適切かは議論がありますが、人間同士では難しい絶え間ない対話をAIが補ってくれるため、自己幻想が加速・深化する場面が増えるかもしれません。
ここに大きな創造の可能性を感じる人も多いはずです。
2. リスク:プラットフォームや権力者によって思考プロセスを無自覚に読まれ、操作される
生成AIへのプロンプトの連続
ChatGPTなどの生成AIへ入力する「プロンプト」は、単なるキーワードの羅列に留まりません。継続的に会話を重ねるほど、その人の思考プロセスや価値観がより具体的に表出する可能性があります。たとえば、最初の質問から追加の追問、修正リクエストなど、一連のやりとりが全て外部にログとして残ることで、その人の論理や心の軌跡を推測する手がかりになり得るわけです。検索エンジンでのキーワード入力の連続
検索行動においても同様です。どのようなキーワードをどの順序で入力し、どのリンクをクリックし、どう再検索するのか――それらの一連の行動が、個人の関心や思考の方向性を如実に示す**“内面のログ”**となります。膨大な検索データを扱うプラットフォーム企業が、それを解析すれば、ユーザーが意図していない深いレベルの嗜好や論理構造までも推定されるリスクがあります。ローカルAIエンジンへの入力
自分のPCやスマホにダウンロードしたAIエンジン(ローカルAI)を使えば、基本的には外部サーバーにデータを送らずにAI機能を利用できると考えられます。ただし、設定や同期の仕方によっては、一部のやりとりが外部へ送られる可能性も皆無ではありません。また、端末自体に侵入されれば、ローカルに保持していたデータも漏洩しうるリスクは残ります。
こうした連続する会話ログや検索履歴を、時系列的な流れと併せて分析すれば、私の概念・ロジック・嗜好をかなりの精度で抽出できる可能性があります。ビッグデータを扱う企業や国家権力がそれらを解析する際、私自身も気づいていない潜在的な欲求や価値観まで推定されてしまう恐れがあるのです。
これは、本人の意思とは無関係に“自己幻想”(自分の内面的世界観)が外部の手に握られ、操作されるかもしれない事態を意味します。したがって、この情報をどう管理・保護し、必要以上に収集されないようにするかという点が、今後の大きな課題となるでしょう。
みなさん自身の“心の権限”を守りながら楽しむ
私が「電脳自己幻想」というワードを使うのは、「自分の幻想がAIで拡張される面白さ」と「誰にログを握られるか分からない怖さ」を同時に意識してほしいからです。
自己幻想を解放しすぎないための選択肢
たとえば、ローカルAIやオフラインモデルを利用すると、データが外に流出しにくくなります。あるいは最小限の情報だけを共有する暗号化技術なども存在します。
こうした手段を検討することで、“私の内面”をすべて明け渡さずにAIの恩恵を受けられるかもしれません。対幻想の相手がAIになったからこそ
24時間365日、膨大な知識に常時アクセスしながら私をサポートしてくれるAIが現れたことで、自己幻想の拡張速度は人間同士の対話を上回る可能性があります。これを良い方向に使うかどうかは、最終的に私たち自身のリテラシーと選択によるのではないでしょうか。
電脳自己幻想の未来:具体的イメージ
AIと私の創造空間
誰にログを解析されるかをコントロールしつつ、自己の世界観をAIでブーストできれば、芸術・学習・研究開発などの分野で画期的な成果を出せるかもしれません。
“電脳自己幻想”を自由に駆使する、そんな時代の先頭に立つ人々も出てきそうです。社会や技術の取り組み次第で変わる未来
しかし、ここを上手に設計しないと、気づかないうちに大手プラットフォームが私の対幻想(AIとのログ)を隅々まで収集し、行動誘導の材料にしてしまう可能性も。
そのため、「どの技術やルールでこのログを守るか」「誰が責任をもつか」を真剣に考える必要があるでしょう。“電脳自己幻想”を企業に貸し出す?
さらに、将来的には「自分の電脳自己幻想」自体を、会社と別契約で提供するようなシナリオもあり得ます。たとえば、通常の勤務時間(肉体的・実務的な労働)とは別枠で、自分の思考プロセスやアイデア生成能力を24時間365日活用できる“電脳化された自分のデータ”として企業に貸し出し、追加の収益や報酬を得る、という形です。退職時にはデータを“返却”してもらう?
もしこのようなモデルが一般化すれば、会社に在籍していない時間帯や退職後には、その電脳自己幻想のデータを切り離し、本人が引き取る手続きが必要になるでしょう。しかし、データのコピーが不正に残っていたり、企業側の管理下で“改変”されていた場合はどうなるのか――課題は山積です。音声技術やRAG(Retrieval-Augmented Generation)との連携
たとえば、チャットボットやコールセンターのオペレーター業務や会議参加などを、本人の“ローカルAI化された思考モデル”が自動でこなすなら、実在人がいなくても業務を進められるかもしれません。これは一見便利ですが、**“自分の思考を分身として貸し出す”**という発想が、プライバシーや自我の境界をどう変えてしまうのか、考えさせられます。
このように、電脳自己幻想が“ビジネスの契約対象”になる可能性を考えると、プライバシーや自我の問題はますます複雑化し、インパクトは非常に大きくなるでしょう。
結びにかえて
本稿では「電脳自己幻想」という私なりのキーワードを軸に、従来の対幻想(人対人)が、生成AIの登場によってどのように変わるかを含めながらやさしく紹介してみました。
AIにすべてを奪われるわけではないものの、AIを運用する企業や権力者が、私の心の軌跡を無断で利用できるシステムがあるのも事実。
逆にAIとの対話をうまく活用すれば、自己幻想が想像以上のスピードで発展し、楽しさや創造性を得られるチャンスにもなる――まさに諸刃の剣ですね。
こうした問題は、まだ大きく議論されていませんが、これからの社会を考える上で欠かせないテーマになってくるのではないでしょうか。
「電脳自己幻想」という言葉が、皆さんにとってAI時代の“わたし”を見つめ直す小さなきっかけになれば嬉しいです。次回は、もう少し理論的な背景や他の思想家の議論とも絡めて深堀りしてみたいと考えています。
脚注
[*1] 電脳自己幻想について
本用語は、筆者が独自に定義したものであり、現時点ではネット上などでの一般的な使用例は確認できませんでした。
[*2] いくつかの思想家の議論について
本稿で扱う「電脳自己幻想」に関連して、AI時代の社会や権力構造、あるいは人間とテクノロジーの関係を論じた複数の思想家がいます。たとえば、監視資本主義批判を行ったり、デジタル民主主義を提唱したり、身体やアイデンティティの変容を扱ったり――いずれも私たちの時代に深く関わるテーマです。
次回以降では、こうした思想家の視点を踏まえながら、電脳自己幻想がどのように生まれ、どんな可能性とリスクをはらむのか、より専門的に掘り下げていきたいと思います。
[*3] 吉本隆明の「共同幻想論」について
吉本隆明は、国家や社会などの大きな集団が形成する「共同幻想」と、家族や恋人などごく近しい人間関係の中で育まれる「対幻想」、そして個人が内面に抱く「自己幻想」の三つを提起しました。これら三層の「幻想」は人間社会を根本から動かす重要な枠組みだというのが、吉本隆明の主張です。
電脳自己幻想という概念は、デジタルやAIによって自己幻想や対幻想がどう変化するかを考える際に、吉本の共同幻想論が大きなヒントを与えてくれるという点でも関連が深いと考えています。こちらも今後の投稿で詳しく触れていく予定です。