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ペンギン・マン

吸った空気は、気道の在処と肺の大きさを身体の持ち主に伝えながら、胸に大きく広がってから四肢へと溶けた。
寒いせいだろう。しかし空調は付けなかった。料理をすると暑くなるから嫌だった。

こんな寒い日は今まで何度も迎えてきたけど、今回は違った。
導かれるように自分の店を持つことになり、導かれるように愛する土地に行き、導かれるように神様に会って、そして話した。
神様と呼ぶ人の日本画は、そこに在るだけで僕を立ち止まらせた。
そこに「何故」も「理由」も無く、無意識のようにただ立ち止まる。
感想を表すことが出来ない、というのが感情の極致だと思う。言葉を一番の道具として生きてきた僕にとって、この手合いの感動は圧倒的で清々しくもあった。

 大変な時ではあったけど、その隙間と示し合わせたかのようなタイミングで僕はその日本画を生で見ることができた。3日あるうちの3日を全て行き画商さんにびっくりされて、今の僕や未来の僕が学び見いだせるものを少しでも多く身体に残そうと思って、そんな反応もお構いなしに厚かましく勉強しに行った。
僕の、表現の、生き方の目指すところ。そのゴールのひとつを、一枚の日本画で体現していて、それが何枚も描かれていて、何枚も飾られている。
人生の途方もなさを視覚的に確認することができるのは滅多な体験ではないだろう。

画を眺めていると、画商さんと会話が始まり、いつの間にか先生ご本人と僕は会話をしていて、その日の夜には僕の歌った「いつも何度でも」が「美しい」と言われていた。
止まる島もなく素泳ぎで芸術畑をうろうろし続けてきた僕にしてみたら、彼の一言はまさに止まる島そのものだった。
やっと休める。
そんな思いがして、翼が生えたような気持ちにも、ようやく地に足が着いたような気持ちにもなった。ずっと書き続けるために色んなことを放り出した。全ての反対を無視してあらゆる嫌がらせを食らって、
幸せな人生ごと投げ捨てても、死ぬときに良いものが書けてれば良いと思ってたのに。
なんだよ、既にちゃんと描けてるんだ、ちゃんと美しく見てもらえるんだ、目指すようになれてたんだ……。色んな心が交錯して、その交錯全てが幸せだったのは間違いなかった。
それから用事を済ませたり働いたりして、
束の間の慌ただしさから解き放たれた今日は、どことなく静かな気がした。

 いつもYouTubeやprime Videoを横で流すのは、少しだけ雑音を増やしたいからだ。
それにどれだけ落ち着いていても、アウトプットしたものに対してジャッジをしてしまう。改善点を見つけたくなるし、注意点を見つけてしまう。目指す場所までの道は長くて、僕一人の人生で間に合うのか、という大きな大きな不安はポジティブな時ほど真横に見える。
(書いたものをぐしゃぐしゃにしていた頃よりマシになったとはいえど、僕は本当にワガママなままだ。)
そんな気性をコントロールする手段として雑音は意外と効果的だった。
それを今日は殆ど使わずにすんだ。
「そのまんま」で良かった。起きた時から息は吸われて静かに吐かれて、冷たい空気が器官を通り、胸のあたりでゆるやかに溶ける。
天気は少し雲がかった晴れで、いわゆる普通で、その明るさの中でただ呼吸をしていて、
それ以上はなかった。
外から見れば、遅めの朝過ぎにだらしなく寝ている健康そうな普通の男。それが幸せに呼吸をしてるだけだというのが申し訳なくも面白くもなった。
生命の維持装置に生かされている。無意識に呼吸が行われるから酸素不足になる心配はないし、自動で必要な場所に血が流れるから、考え事をするために、バケツで脳に血を汲む必要がない。
学ぶ力と文化のおかげで表現方法があり、代謝も成長もしていくから、いつも昨日と違う自分になれる。

数えきれない悲しいこと、涙になりそびれた小さな瞬間の積み重ね、そんなのを越えて人が誰かに会うとき、縁や運命の意味を問い直すのかもしれない。
逆にその時会う人が縁や運命…その人がその人の人生の価値を決める引き金になってしまうこともある。

お店が開けば様々な人間と会うだろう。
全ての人間に名刺は渡せないけれど、僕との出会いが出会う人の幸せのきっかけになれますように。


 曲を書くのも歌うのも気持ちがいい。
目指す人に「美しい」と言われたなら、きっと迷いは正しかった。

今は翼がわかる。愛を試行錯誤する大海に出て、今日からは空も海に含める。
今日から僕は飛べるペンギン。翼は4枚、上手に使う。

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