見出し画像

走馬灯の1カットにでも。

運命の人は男女間だけのこととか、たった一人って考えるのはどうかなって。
そうじゃなくて、人生のターニングポイントになった人っていうのかな。
赤い糸は一本じゃないし、繋がったり切れたりする。

木曜ドラマ『ゆりあ先生の赤い糸』 9話


サンマルクカフェでチョコクロを頬張りながら、最終回を見て泣いた。その最終回の台詞が心に残った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
走馬灯をみるとしたら、何シーン何カットで構成されているんだろう。人によって違うのかもしれない。
そもそも見るのかもわからないけど。

小学校で金魚のフンのようにくっついていた友達がいた。ずっとおばあちゃんになるまで仲良くしているんだと思っていたけど、最近は連絡をとることもない。インスタに流れてくる投稿で生存を確認しているくらい。

段々と歳を重ねれば重ねるほどそういう関係性は増えていくんだろうな、と察するようになった。
寂しいと思う。でも環境が変われば身近にいる人と関係が深まるもので、お互いが関係を保とうとしなければ疎遠になるのは自然かもしれない。

ずっと寂しいと思っていたけど、上の台詞を聞いて、納得した。ずっと仲良くしていなくても、その人から何かしらの影響を与えられたこと、出会って人生の一時期を共に過ごしたという事実は紛れもなく残るものなんだなと。みんながみんな程度は違うとしても運命の人だということ。

今仲良くしてくれている友達の中で、たとえ人生の途中で疎遠になってしまう人がいても(ならないのが嬉しいけど)、走馬灯で一瞬登場させてくれたら幸せだなあと思う。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?