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おはなしの「もと」
聖書のように、もう何年も大切にしている本があります。
手に取ると、この本を初めて読んだ当時の辛い記憶が蘇ってくるのですが、だからと言って流石にもう直接の「痛みのようなもの」がおそってくることはなく、うっすら見えるか見えないか程に小さくなった傷跡に当時の私を反映させては苦笑いを浮かべるのです。
その本には雑誌の切り抜きが一枚、挟まっています。私にこの本をくれた人が作者の方のインタビュー記事を切り抜いて挟んでくれたのでした。臨床心理学者・河合隼雄さんの本。そしてある一箇所にはわざわざアンダーラインまで引っ張ってありました。
「生きるとは自分の物語を作ること」
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ある日、ただただ暗い場所の、更にその底へと降り立った私は、そこへ入り込んだはいいものの脱出する術を知らず、言葉にならない「言葉」を吐き出しては飲み込むことを延々と繰り返していました。もちろんこれは比喩なのですが、現実世界に戻って表現すると、自分の中に湧き上がってくる感情を説明しようとしても、自分自身ではどうしても言語化できないという、大変もどかしい状況に身を置いていたのでした。
海外移住をして数年経ったその頃、言葉の壁や文化の違いにしっかりと打ちのめされ、あろうことか同じ言語を話す日本人に対してまでもコミュニケーションをとることに対して苦手意識が芽生えていました。あまりにも他人の目を気にしすぎて、相手にとっての「正解」しか自分の言葉として紡ぎ出せなくなっていました。「否定」されることを極端に恐れていた、ということなのかもしれません。
きっと見るに見かねたのでしょう。もしくは私より先に移住していたその人は、私に数年前の自分の姿を重ねていたのでしょうか。彼がその本を手に取った経緯は教えてもらえなかったけれど、「とてもいい本だから、読んでみてよ」と差し出してくれました。
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そこには、私が言語化できなかった私の中の「混沌」がしっかりとした「言葉」となってそこかしこに散りばめられていました。それをつなぎ合わせて浮かび上がってくる私にとっての「物語」。その根っこは、誰かにとっての「物語」ときっとこの世のどこかで繋がっていて、確実に生身の人間の内面と結びついている、ということを実感させてくれるきっかけとなりました。
「私は、自分の物語を生きていいのだ」
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深い森の中で一人きりだと思っていた人間は、再び自分の足で歩き出すことを自分の意思で決断し、コンパスを片手に旅を始めました。道すがら、心から信じられる仲間と出会い、別れもあり、それでももう深い森の中に引き返すことはなくなったようです。
あれから十数年。
私は毎日のようにカードさんたちと対話をしながらリーディングをし、カードさんたちと相談しながらデザインして写真をとったりしています。しかしながらそれは、私の中では河合隼雄先生が提唱されていた「箱庭」を作っているような感覚なのです。この作業をすることによって自分自身が深く癒されていくような。ここへ来ても今まだ言葉にできない「何か」をカードさんたちを通して外に向かって表現しようとしているのかもしれません。
どんどん小さくなる傷跡は、あの時の私の大部分を占めていた「私」の存在を表しているのでしょう。しかし、ある時から傷はうんともすんとも言わなくなって、ただそこにじっと居座るようになりました。その傷はどんなに小さくなろうとも、あの時の私はいなくなることはないし、その存在をして今の自分があるのですから。
moon garden ☽✩