Bible Gamer 第五夜 「カタン」
緊急事態宣言による巣ごもり需要で一時は品薄にまでなった「人生ゲーム」は、国民的な知名度と人気を誇るボードゲームだ。
「人生ゲーム」には、標準版の他にも、人気キャラクターとのタイアップや、時代の様相を反映した変形バージョン(令和版や鬼滅の刃コラボ版など)が毎年のように発売され、商品ラインナップは今でも増え続けている。
このようなビジネスモデルは海外でもよく見られる。たとえばアメリカ生まれの「モノポリー」がそうだ。
「モノポリー」のゲーム盤に印刷された地名や社名は、ほとんどがニュージャージー州に実在しているか、かつて存在していたものだが、ゲームの中では単なる識別子に過ぎない。そのため、それらを別の国や地域にちなんだ名称に差し替えた「ご当地版」が多数発売されている。
この「モノポリー」のモチーフを聖書に置き替えたバリエーションが「Bibleopoly」である。
これは、「モノポリー」の「家」を「隅の親石(Cornerstone)」に、「ホテル」を「教会」になど、キリスト教の用語に差し替えただけではなく、ゲームの構造にも大きく手が入っている。
「モノポリー」は、不動産取引をテーマにした現実的でやや辛辣な経済ゲームだが、「Bibleopoly」はそのあたりをマイルドに改変し、家族で楽しめるファミリーゲームへと変貌させている。
このような古典的なゲームだけではなく、現代のゲームの中にも、オリジナルのゲームから派生した別の商品を持つ人気タイトルがある。そのような超人気作の筆頭格「カタン」を採り上げてみよう。
「カタン」のシンギュラリティ
1995年は、アナログゲームの文化的特異点が到来した特別な年であると私は考えている。それは、ドイツで「カタン」が発売された年だからだ。
「カタン」は、当初から高い評価を呼び続けて大ヒット商品となり、発売から四半世紀を経た現在でも、ドイツのボードゲームを代表する規準的な作品として君臨している。
世界的なロングセラーとなった「カタン」は、当然のように多数の関連商品をも生み出した。
その中に、発売元とライセンス契約を結んだ上で、「カタン」のゲームシステムを流用して独自の背景設定を持たせた商品群がある。これらは「独立拡張」(または『独立セット』)と呼ばれている。
「カタン」は架空の島を舞台にしているが、独立拡張の中には、史実を描いた歴史的背景を持つものから、宇宙を舞台にしたSF的な設定を持つものまである。
これから紹介する「カナンの開拓者たち(The Settlers of Canaan)」は、そのような「カタン」の独立拡張のひとつである。
“カナン”の開拓者たち
「カナンの開拓者たち」は、イスラエルの部族たちが、約束の地カナンに入植して繁栄を目指すボードゲームだ。
「カタン」のゲームシステムをベースにして、旧約聖書の歴史書をモチーフにした独立拡張で、ヨシュア記からサムエル記でダビデが即位するあたりまでの時代を扱っている。
本作がカバーしている地域や年代は、以前にご紹介した「ヨシュア(第三夜)」や「プロミストランド(第四夜)」と重なっている。
ただし、あちらはいずれも戦いを中心としたウォーゲームに近かったのに対して、本作がフォーカスしているのは資源を活用した地域開発競争だ。
「カタン」と同様に若干の攻撃的な要素があるが、それは抽象化されている。本作は「カタン」に古代イスラエル風味の要素をいくつか組み入れた「開拓ゲーム」として、手堅くまとめられた作品だ。
モルモン信徒へのボドゲ
「カタン」の独立拡張の中で宗教に焦点を当てたゲームがもうひとつある。それが「ザラヘムラの開拓者たち(The Settlers of Zarahemla)」だ。
「Zarahemla」という名称で気づかれる方がいるかもしれないが、これは末日聖徒イエス・キリスト教会(以下、LDS)、通称モルモン教の聖典であるモルモン書(The Book of Mormon)に基づいたカタンの変種である。
ただし、私はLDSの教義について見識が浅いので、本作がこのテーマに忠実であるかどうかはわからない。
制作者のひとりであるマット・モーレン氏は、ブリガムヤング大学(LDSが運営するユタ州の大学/BYU)を卒業しており、本作発売当時のインタビュー記事で「ユタ州のLDS教徒に向けてこのゲームを作った」と答えている(※英語ページ)。それだけでも、本作の商品コンセプトは明白であろう。
それにもかかわらず、実際の商品には、そのことについてのアピールは極めて抑えられている。外箱の裏に、本作がモルモン書に由来していることが短く書かれているくらいなのだ。立派な装丁でフルカラー28ページにも及ぶルールブックに至っては、モルモン書に全く触れていない。
そのようにした理由は不明だが、想定したターゲット層に察知してもらえば、それだけで十分だと判断したのかもしれない。