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要介護の母が熱中症+αで救急搬送された件…その2「救急車を呼ぶ」

その1「様子がおかしい」はこちら

意識朦朧・高熱・嘔吐・痙攣に加えて、75㎏の母を私が抱えて移動させることが出来ないため、救急車を呼ぶことにした。
母が病弱だったため、小学生の頃から何度も救急搬送に立ち会っているが、今回は意識障害があったため、今までで一番くらいに大変だった。私自身がかつてないほど動揺していたせいもあると思う。

スマフォで「119」に電話し、「救急」であることを伝え、症状を伝える。ここら辺は慣れているのでスムーズだった。結論から先に言い、時系列順に詳細を話す。住所に加えてマンションの外観なども伝えておく(よく宅配便の人が迷うほど入り組んだところに住んでいるため)。
「すぐに向かいます」との言葉にほっとしながら、「すぐには難しいだろうな」とも思った。
連日ニュースで医療崩壊だと取りざたされている状態だったからだ。

とにかく、ざっと吐瀉物を片付けながら、母の体を冷たいタオルで拭いたりしていると電話が鳴った。こちらへ向かっている救急隊員さんだった。(消防と救急が同時に向かっていたらしい。ちなみに珍しい事ではなく、過去に消防車の方が早く到着して、消防隊員さんに処置してもらったことがある。)
母の異常を発見したのが7時30分、119に電話をしたのが8時3分、救急隊からの着信が8時9分。異例の早さである。

電話で今の状態や数日前からの詳細、持病やアレルギーを説明しながら、保険証やお薬手帳や着替えやオムツなどの持ち物を準備する。母はアレルギーも病歴も多いので伝えるのも大変な上に(家族とはいえ丸暗記は厳しい)、動揺していたので病名をど忘れしたり、生年月日を間違えたりとなかなかパニックになっていた。(私は物事を同時進行で処理するのが苦手である。)

皆様には、もしもの時のために「救急搬送セット」を準備しておくことをお勧めする。
今までの病歴・アレルギー・かかりつけ医を書いた紙、保険証のコピー(保険証とお薬手帳はすぐに出せるように定位置に保管しておく。母は定位置がなかったので見つけるのに困難した)、緊急連絡先を数か所書いた紙、下着と着替えと靴、現金。これをエコバックとかに入れておくとコロナの時代に安心だと思う。袋に「救急搬送されたときに持っていくもの」と張り紙をしておけば自分の意識がない状態でも救急隊が見つけて追っていってくれる可能性がある。(エコバックと書いたが、怪我の場合はリュックがいい。松葉杖で帰された時とても大変だった経験者より。)

電話をしている最中に救急隊員到着。はじめは一人だったが、数分後に大人数が到着した。(何だろう……一人は自転車とかバイクとかで来たのだろうか。)電話をしていた人とは違う人なのか、私の説明がわかりにくかったのか、本人を前にしてもう一度説明することになった。(本人から直接聞くというのがルールなのか、私は同じ説明を他の救急隊・医師・看護師など一日で10回以上することになる。)

先発隊と話をしていると後発隊が5人くらい到着したのだが、ここで問題が発覚する。私も動揺していてうっかりしていた。……玄関までの外階段が狭い・玄関が狭い・母の部屋への廊下が狭い・そして母の部屋はモノがあふれていて狭い。小柄な私はいいのだが、屈強な成人男性5人は入れない。この外階段は救急搬送の時、毎回苦戦していた。一般的な担架が使えないのだ。今までは何とか自力で1階まで下りるか、痩せていた祖母や小柄な私なんかはおんぶで運ばれたりしたことがある。(我が家はみんな病弱体質である。) だがそれは「意識が一応ある」状態。意識のない(全く力の入っていない)人間を運ぶのは難しい(しかも嘔吐している)。母はかなり太っていたため、お姫様抱っこで運ぶこともできない。

とにかく経路を広げますから!と傘立てとか消火器とか脚立とか生協の発泡スチロールの箱とか靴とかガンガン母の部屋とは反対側の廊下に投げ入れられた(救急隊員のいら立ちがとても伝わった)。そして布オンリーの担架(足場が悪い被災地なんかで使いそうなやつ)が登場して、それに包んで運ぶ……みたいな感じになっていたが、私はちゃんと見ていない。戸締りとかしていたので。

家を出る間際、「帰る時に必要な靴とか杖とか、持ってきてくださいね!」と注意され、慌てて準備して一足遅く(大通りに待機していた)救急車に辿り着いた。
車内には母の処置(血圧や酸素濃度計ったり)をする人、搬送先を探して電話をかけている人、運転手がいた。(他の人たちはいなくなっていたが、もしかしたら消防の人たちで、次の現場に向かったのかもしれない。)

時刻は8時30分。まだ出発しない救急車の中で会社に電話し、出社できない旨を伝えた。

その3へ続く→

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