初めて僕が本を手にした日
それまで読書という習慣はなかった。
本を読むのは学校の読書感想文の課題でだけだった。
…
外国に一度だけ行ったことがある。
カナダとアメリカ。
アメリカは乗り換えでだけだったけれど、
カナダには1か月ほどいた。
13歳の中学2年生の夏に、ホームステイでバンクーバーにいた。
それは1992年のことだったと思う。
いまでも記憶にあるのは、
最初にホストファミリーと会って、ホームステイ先のおうちに向かうまで、
ずっと少年が話しかけてきて、満足に英語の授業も受けていない僕は、
「モアスローリー、プリーズ」と何度も繰り返したこと。
ホストファミリーのおうちの庭で焼いてくれたハンバーガーがとにかく美味しかったこと。
「HOOK」という映画を何回も観させられたこと。
夜になっても空が明るいこともあるって知ったこと。
ホストファーザーが30代の大学生だと知り、いくつからでも大学に入れるって素敵だなと思ったこと。
本当に世界は広いんだと思った。
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ある日の昼下がり、一人歩いてそのおうちに帰っていたら、
バス停で同い年くらいの少年が、
ヘッドフォンを聴きながら、僕を見ていた。
金髪に黒いTシャツで、緑を下地にしたアーミーパンツにブーツだった気がする。
彼が何を聴いていたのか、いまだから気になるのは、
アメリカのトランジット先がシアトルだったこともあり、
そのシアトルのホテルから、添乗員さんに、
「散歩していい?」と聞いたら、
「危ないからダメ!」といわれたんだけど、
それが1992年の話だからで、
そう、グランジの時代に、
その中心地に2日間だけ、いた、と思うと、
あの、ホテルから見えたオレンジ色の街灯のしたに、
ちょっと散歩に出てみたかったといまなら思う。
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その添乗員さんは凄くチャーミングな女性で、
かっこよかった。
黒いMA-1に髪も短くて、
そして飛行機のなかではずっと煙草を吸っていた。
そのときの飛行機の喫煙所はいちばん後ろで、
その喫煙所の前に僕の席があって、
行きの飛行機からずっと、
僕は彼女に頭を撫でられていた。
というのも、一応籍だけは野球部にあった僕は、
坊主頭で、彼女は、「触り心地が良い」と笑いながら、
ずっと僕の頭を撫でていた。
…
1か月間はいま考えるとあっという間で、
英語のできない僕は、彼女に凄く頼った。
それがどんな場面でだとかもいえないくらいに、
頼っていた。
そんな僕に、カナダからアメリカに向かう道中で、
「これ、あげるよ、めちゃくちゃかっこいいよ」
とハードカバーの本を彼女はくれた。
それは当時流行っていた陰謀論とマッチョの入り混じった、
金色のハードカバーの本だった。
それにさらに僕はやられる。
僕が本を読み始めたのはその日からだったし、
いつか外国に、カナダに行きたいなといまだに思っているのも、
あれがあったからだな、と思う。
…
帰国後、一緒にカナダに行ったみんなで彼女ともう一人の添乗の男性に手紙を書いた。
男性からは手紙が帰ってきたけれど、
彼女からは帰ってこなかった。
そして、たぶん一緒に行ったほかの生徒は知らないはずのこと、
彼女が頭の病気で、帰国後入院することを僕は知っていた。
いや、それはもしかしたら記憶を美化しすぎているのかもしれないな。
当時、13歳の僕には、26歳(だった気がする)の彼女はそれはもうめちゃくちゃかっこよく大人に見えて、それは41歳になったいまでも、まだかっこいいままだ。
読書をした初めての日。