好きだよ、は別れのことばにもなる
20代のはじめの数年間、通いつめた家がある。
週に一度はそこで、始発が走る時間まで過ごしていた。
僕はそこで、フリージャズを知り、プログレッシブロックを知り、マルクス兄弟を知り、マニエリスム藝術を知った。
誕生日に貰った平岡正明の黒い神は、いまでもカバーはなくしたけれど、本棚にあるし、教えてもらった間章の非時と廃墟そして鏡もその近くに並んでいる。
いつもは4人で、ときには3人や2人ででも、そこで音楽を聴きながら、映画について、音楽について、漫画や文学について、あるいは人生について、語りつづけた。
1人の青年は、いま考えてもたくさんの知識を僕に与えてくれた。
50年代のハードボイルド映画について聞けば、30本ほどの観るべきリスト…いわゆる王道からマニアックな作品まで書かれたリストを作ってくれた。
スラプスティック喜劇然りで、僕は彼からマックセネットを教えて貰い、マルクス兄弟にはまることになる。すると、さらに小林信彦の本、世界の喜劇人を彼は僕に教えてくれた。
エリックドルフィーやアルバートアイラー、自分のなし得ることの果てには破壊しかないようなジャズも、よくそこで聴いていた。
寒い部屋で、お酒も呑まずに。
人生や愛について、あれほど語ったこともない。これからはじまる暗い季節を予感をしていたそれぞれの不安やさみしさを埋めるように、たくさんのことばが語られた。
「もうどうしたらいいか、分からない」
それは、僕らだけではなく、あの頃に僕と仲の良かった何人かの友達の通低音だった。
そして、そして、僕は同時に、
「あなたなら分かってくれるよね?」
そうよくいわれた。
レオスカラックスの汚れた血をデートで観て
泣き崩れた彼女や、終電の一時間前に電話がかかってきて、僕が終電で駆けつけるのをためしていた女の子。
僕はずっと孤独で、だけれど、さびしさだけでひとと繋がることを拒んだ。
僕は誰といてもさみしくて、だけれど、眼前に広がる世界を憎んで、誰かと繋がることだけは拒んだ。
それでも、世界は美しいのだと、信じていたかった。
一人で、世界と対峙し、屹立していた、美しいひとを知っていた。
僕は僕なりのやり方で、それでも、すがりつく彼女たちに応えようとしていた。
それが拙く、それが幼くとも。
それは結果として、さらに僕をさみしくさせるだけだったとしても。
件の彼と、だんだんと会わなくなっていったきっかけは、たくさんある。
だけれど、何度も彼に聞いていた。
「ねぇ、なんで周りのひとたちは、僕なら分かってくれるっていうんだろう?」
それは僕の当時の苦しみだった。
誠実な、だけれど、愚かな疑問。
ひとを分かるとはどういうことなんだろう?
そして僕はそれを、あなたに分かってほしいと、誰かに伝えたいとしたら。その誰かは、そのときの僕には誰もいなかった。
彼がある日、ぼそっと呟いた。
「それはね、みんな、きみが大好きだからだよ」
それが僕には、別れのことばのように聞こえた。
現実に、それからしばらくして、僕は一人になった。
好き、ということば。
それはある瞬間、そう、いつもなら、ありふれた魔法のことばかもしれない。
だけれど、それが別れのことばにもなることもある。
どれだけそのことばを待ちつづけていて、そしてそのことばを諦めてからしばらくしてから呟かれたなら、なおさら。
そしてあの頃に通いつめたアパートのほとんどは、いまではまた別のことばが別のひとたちによって、語られているのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?