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9月のかけらたち

長編1本、短編2本、詩1本。
9月末に脱稿した。

この1か月間、ほんとうにずっと書いていた。小説の執筆はいつもいのちがけだけど、今回は人生で一番いのちがけだった。

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6万字弱の長編を書くには、自分の記憶や傷や熱とひたすらに向き合わなければならなかった。
全時間軸の自分と話をした。いつの自分も、どの世界線を選んだ自分も、ちゃんと救われてほしかった。どうか届いてほしいと祈った。あのときの自分に、これからの自分に。
誰かの傘になれるような小説を、とずっと掲げてきたけれど、やっと、自分を救えるのは自分だけなのだと受け入れた。私もそう、あなたもそう、彼も彼女もあの人もそう。時間は過去と現在と未来とに分断されているわけではなくて、横断して、その時の自分に会いに行ける。いつでも言葉をかけられる。救われなかった自分は、今からでも救いに行ける。そう信じたかった。そう信じて書いていた。
これを書き上げなければ、次の作品に進めないと思った。

とはいえ学生時代と比べて、時間が潤沢にあるわけではない。書き始めるハードルをできるだけ下げた。書くときは机の前で、静かに原稿と向き合わなければならない……という自分ルールを撤廃。平日は基本的にスマホで。疲れているとき、ふとした空き時間もスマホで。休日まとまった時間があるときはPCを開き、日々綴った文章を編集する。
ルールを緩めれば、朝起きた瞬間でも夜寝る寸前でも、電車に乗っているときでも素麺を茹でているときでも、いつでもどこでも書ける。一日の中でも時間を捻出できる。頭に流れ続ける文章をざーーっと書き綴り、時間を置いて編集する。まとまらなくても書いていい、と自分をゆるすと、心理的ハードルもだいぶ下がった。

あと、今回はかなり「削る」ことができてよかった。編集者てしての自分を心に飼って、このくだりカット、ここは冗長、と朱入れした。元々8万字くらいあった原稿を、ここまで削れたのは成長です。何度も涙をのみながらDeleteキーを押した。でも、消えた言葉たちは死んでしまったわけじゃない。見えないけれど、ちゃんといる。あなたたちがいなければ、完成しなかった。ありがとうね。

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執筆するにあたり、心に決めていたことがある。仕事は絶対手を抜かないこと。
「仕事はほどほどにして、趣味に時間を使ったほうがいいよ」という意見がある。一理ある。いろいろな働き方、その人にあった生活がある。
社会人を3年やってみて、私は仕事に全力になれないと、創作にも全力になれないタイプだとわかった。息切れするくらい出しきらないと、気持ちよく切り替えができない。全力を尽くしたあとでなければ、他のことにも全力にはなれない。その生き方は疲れるよ、とも言われるが、性質的にはこんな感じ。休むことの必要性も感じ始めている。これは長い目で付き合う課題。
私にとっては仕事も創作もどちらも大切で、どちらも明るい方へ向かっていてほしい。なにより、どちらも楽しいから手を抜きたくない。忙しいときほど余暇時間が充実する、という感覚はずっとあるが、ほんとうにそうだと再確認した。ふたつの軸が、いい相互作用を及ぼしあえたらいい。バランスをうまく保っていたい。仕事は創作ではない、創作は人生ではない、人生は仕事ではない、でも全部だきしめているのは俺。

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後半は熱を出してしまってくるしかった。体調より、周りに迷惑をかけてしまうことがくるしかった。私がちゃんと立ってなきゃいけないのに、と落ち込んだ。変な悪夢をたくさん見た。ヘルプの出し方がわからず、勇んで孤独になろうとする自分がみじめだった。人はひとりでは生きていけないんだ、と実感した。
遠くから支援物資を届けてもらい、泣きながらゼリーを食べて、幸せに生きなきゃ、と思った。なんだか切実に思った。熱が下がると安心した。外に出るとやけに涼しくて、今日がもう10月だと知った。季節は容赦なく流れる。支えてくれる人たちにありがとうを忘れないでいたい。書きたいから書く、のもっと深層の思いを忘れずにいたい。
あれだけ書いて書いて書いて、もうしばらく長編はいいかなと思ったのに、またプロットを作り始めていた。書きたいことがまだまだある。ほんとうにまいった。長生きしたくなってしまった。健康でいなきゃ。元気があればなんでもできるってすごい言葉。でも、人間元気じゃないときがあったっていい。あなたはいつでもあなただよ、私はあなたが大切です。そう言える人でいたい。そのためにも元気でいなきゃだ。

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秋だ、と思えるのも一瞬なんだろう、彩度が高いのも、涼しいと感じられるのも。ただいっさいは過ぎていく、その一瞬を逃さないように、やっと新しいカメラを買いました。GRⅢのDiaryEditionです。寝込んでたら足腰弱った気がするので、たくさん歩きたい。歩けばそこが道になる。


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