病名が増えた話
病名が1つ増えた。
『解離性障害』
この病名は実は高2の時から他の病院でも疑われてはいた。高2の6月に初めてODで救急搬送された時、OD前後の記憶が一切なかったから。その時はリスカしかしてなくて、ODなんて言葉しか知らなくて、何を飲んだらいいのか、飲んでどうなるのかさえわかっていなかった。なのに、一人暮らししていた私は、夜中に近くのドンキに行って、EveA錠と大嫌いのはずのトッポギを買って帰っていた。この時から記憶はなかったけどレシートが見つかってわかったことだった。
最初あたりの投稿にも書いたけど、自分でもなんで飲んだのかわかっていなかった。死ぬつもりなんてなかったから。だから目を覚ました時にびっくりした。トイレの前で倒れていて体が全然動かない。胃酸と吐いた血が目の前に広がっていた。この時カフェイン中毒になっていたらしい。
救急搬送されて入院してお医者さんや看護師さんに聞かれたことは「なんでこんなことしたの?」だった。でも答えられなかった。何も覚えていなかったから。その時は精神科にも通っていなくて躁鬱の症状こそあったものの診断はついていなかった。だから覚えていないこともODしたことも不思議がられた。初めて行った精神科では「解離性障害ではないか」と言われた。ただ、親が「解離性同一性障害」しか知らず「娘は他人格なんてない!」と否定し診断がつかなかったのだ。
その後色んな病院を転々としてやっと合う主治医に出会い、双極性障害の診断がおりた。でも、その時は解離性障害のことなんてすっかり忘れていて話すらしなかった。
じゃあなんで今になって診断がついたか。
親や友達と話が噛み合わなくなったからだった。「こんなこと言って怒ってたけどあの後どう?大丈夫?」みたいなことを言われることが増えたが一切記憶がなかった。覚えていないから今まで違和感がなかったが、思い出そうとよくよく考えてみたらその時間自分が何をしていたのか全く思い出せなかった。覚えていたとしても断片的で記憶がハッキリとしなかった。
それを今の主治医に相談し始め、2人で色んな可能性を考え消去法で消していって今回の通院の時に解離性障害と診断されたのだった。
それから境界性パーソナリティ障害もあるかもねとなった。困っていることを聞かれたときに恋人とのことを話して症状が似ているとの事だった。でも、思春期で情緒不安定になりやすい時期でもあるからまだ診断はせずに疑いっていうことで様子見しようということになった。
治るどころか増えた病名。一体いつになったら良くなるんだろう。いつになったら普通になれるんだろう。それとも一生普通なんてこないのかな。