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大豆田とわ子と三人の元夫 感想

大豆田とわ子と小鳥遊大史

かごめの死から1年。とわ子は大切な人の死を完全には受け入れることができない日々を過ごしていた。そんな中で、喪失感や悲しみを初めて打ち明けることのできた相手が小鳥遊だった。

しかし、小鳥遊はとわ子が社長を務める会社の株買収を指揮していたマディソンパートナーズの法務部長であることがわかる。あろうことか、とわ子に社長解任決議案を言い渡すのだ。

7話は、そんな二面性のある小鳥遊にただただ衝撃を受けた。「や、やばい奴だ…」という強烈な印象が残った。

8話では、小鳥遊の過去や性格についての背景が描かれ、とわ子の揺れる心、そして小鳥遊との距離が縮まっていく様子が描かれた。

もちろん、8話でもコミカルな2人の元夫(鹿太郎と慎森)のやり取り、そしてとわ子と気持ちを共有できない姿がもどかしく切ない元夫(田中八作)の存在感は健在だ。

だが、やはり8話は、「大豆田とわ子と小鳥遊大史」がストーリーの主軸であった。

なぜ、この2人なのか。なぜ、2人は惹かれ合うのだろうか。

小鳥遊の自己肯定感の低さ

小鳥遊は17歳から31歳までヤングケアラーで、「人生がなかった」。学歴も職歴もない小鳥遊を拾ってくれたのが社長で、小鳥遊は「社長の命令なら」社長の娘と結婚しなければと思うし、「社長の命令なら」非情なやり方で恨みを買ったとしても任務を遂行する。

小鳥遊の過去や現在の言動から見え隠れするのは彼の自己肯定感の低さと他人軸な思考だ。

ずっと「他人の人生を生きてきた」小鳥遊は、自分で物事を考え、選択し、決定することをしてこなかった。他人に人生をコントロールされてきたから、できなかったのだ。

だから自分ひとりでする行動に自信が持てない。

社長の娘とどんな会話をするのかを、とわ子のアドバイス通りにするのも自信のなさのあらわれだ。

「他人ありきの」人生だったから、ありのままの自分に価値があると思う「自己肯定感」が低いまま年を重ねてしまった。

あんなに楽しそうに数学の話をするのに、なぜ数学に関係する仕事につかないのだろう。

第三者でも抱くような疑問に、本人は気付かない。

なぜなら、ずっと他人軸で生きてきた人間は、自分の本音が分からないからだ。
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか分からないけど、自分で人生をコントロールできている感覚がないから生きづらい。

そんな一見他の人からは分からない生きづらさ、孤独を抱えて生きているのが小鳥遊という男だ。

とわ子の孤独

大豆田とわ子は、一見小鳥遊とは真逆の人物のように見える。

3回結婚をし、離婚をしている。
好きなことを仕事にし、社長業に邁進。
娘とも自立した親子関係を築き、めんどうなこともあるけども、日常を楽しみながら生きている。

自分で人生を選択し行動していて、「ひとりでも生きていけそうな」自立した女性に思える。
実際、彼女にはそのような側面もある。

でも、人間って、人それぞれいろいろなものを抱えているし、多面性があって、「この人はこういう人!」なんてものははっきりとは分からない。

とわ子は「ひとりで生きられるけど、ひとりで生きたいわけじゃない」。

とわ子の離婚の理由は、いつだってとわ子自身ではどうしようもない「他人軸」なことだった。

社長業だって自分でやりたいと言ったわけではないけど社員のためにやらないといけないし、かごめと約束したから、向いてない自覚がありながらも、苦しみながらやっている。

とわ子もまた、どうしようもない寂しさや孤独、生きづらさを抱えて生きているのだ。

そしてその潜在的に抱いていた孤独は、かごめの喪失によって大きな心の穴となっていったのではないだろうか。

そんな心の穴を埋めるように、寂しさを抱えた小鳥遊ととわ子は惹かれ合っていく。

そう考えると、物語の後半にこの2人が出会ったのは必然であったかのように思える。

ただ、自分の心の穴を埋められるのは自分だけだ。そこにまだとわ子は気付いていないのか、気付いていないふりをしているだなのか、それはまだ分からない。

セラヴィ~それが人生~

もちろんドラマはフィクションであり、8話のあまりの切なさと面白さに興奮した私が書き殴ったこのブログは完全に私見である。

でも、坂元裕二さんの書く脚本はいつだって生きづらさを抱えた者への優しさがあり、キャラクターの言葉には真実味がある。

この世界のどこかにはとわ子だって小鳥遊だっていて、そんなふたりが恋をして。

この恋は、彼女に何をもたらすのだろう。
それが悲しみだろうと喜びだろうと、それがまた人生のエッセンスになり、とわ子の人としての魅力がまた深まっていくはずだ。

この恋の結末がとても気になるところで、物語は続く。


3回離婚したり、嘘のような出来事があったり、突然大切な人を失ったり。周りから見たらコメディでも悲劇でも、自分の人生を生きられるのは自分だけだし、そんな自分を生きていくしかない…。

いち視聴者の私もまた、日常のめんどくささに直面しながら、また来週の火曜まで人生の機微をかみしめて生きていこうと思う。

セラヴィ。そんなめんどくさくて愛しい日々の連続が、人生なのだから。

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