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【小説】一人十色 第3章「目迷誤色」

 目が覚めた。眠い目を擦りながら時計を見ると、6時を少し過ぎたところだった。どうやら、早起きしてしまったようだ。いつもなら二度寝しているところだけど、今日に限ってはそれができない。なんともしても寝坊するわけにはいかないのだ。

 とりあえず歯を磨いてから、キッチンに行き冷凍庫から食パンを取り出す。カチカチに凍った食パンを見て少し笑い、トースターへと放り込む。その流れでケトルの電源を入れしばらく待つ。

 時間ができたのでテレビでも見ようかと思ったが、寝室で眠っている父を起こすわけにもいかないのでスマホで我慢する。前日の天気予報が雨だったのに対して、外は雲ひとつなく澄んだ空が広がっている。どうやら大きく外れたようだ。

 しばらくスマホをいじっていると、トースター特有の甲高いベルのような音と、お湯が沸いたことを知らせるカチッという音が聞こえてきた。よし、早速コーヒーを淹れよう。ペーパーをセットし、お湯を注ぐ。こぽこぽこぽという心地よい音と、コーヒーの良い香りが私を包み込む。

 焼き上がった食パンにバターとジャムをたっぷり塗り、淹れたばかりのコーヒーには砂糖とミルクをたっぷり入れる。

「いつか私もブラックで飲めるようになる日が来るのかな」

 誰に言うでもなく呟きながら、食パンにかぶりつく。甘い、というか甘すぎる。欲張ってジャムを多く塗りすぎたのだろうか? いや、私にはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。私は、まだ大人になれない。

「随分と早起きだな」

「あ、父さん。おはよ。もしかして起こしちゃった?」

「いや、なんだか目が覚めてしまってね」

 大きなあくびをしながら私の隣に座る父。そんな父に釣られて、私もあくびをしてしまう。何か話したい気分だが話題がない。このままでは無言の時間が続いてしまう。

「父さんも食べる?」

 沈黙に耐えかねてそう尋ねると、嬉しそうな顔でお願いするよと返答が返ってきた。食べかけの食パンを咥えたままキッチンに向かい、先ほどと同じ工程を繰り返す。

「はいどうぞ」

「ありがとう。いただくよ」

「うん。私、学校の準備してくるね」

 甘すぎるパンに目を回す父を背に、そそくさと自室に戻る。学校からの手紙を読むに、説明があるから少し早くきてほしいとのこと。通学時間のことを考えると、そろそろ準備をして家を出たほうがよさそうだ。クローゼットから制服を取り出し、早速着替える。若干大きい制服に戸惑いながら、階段を降り玄関から父に声をかける。

「いってきまーす」

 少しして、ドタドタと慌ただしい音を立てながらリビングから父が顔を覗かせた。

「気をつけてな。いってらっしゃい」

 その言葉を聞いて、玄関の戸を閉める。さて、行こうか。事前に渡されていた地図を引っ張り出す。しばらくは道なりに進めばいいようだ。

 私は本当に知らない街に来たんだ。街を歩いてみて改めて実感する。知っている建物はひとつもなく、すれ違う人たちは誰一人として見たことがない。私の新しい生活は、キラキラ輝くのだろうか。

 複雑な気持ちを胸に歩き続けると、大きな建物が見えてきた。どうやらここが私の新しい学舎のようだ。ドキドキしながら校門を通り、案内図を確認して職員室へと向かう。職員室に入るとすぐ、優しい物腰の女性が話しかけてくれた。

「あなたが転入生? えーっと確か、雨宮彩葉さんだっけ」

 突然自分の名前を呼ばれて軽く驚く。そうですと辿々しく答えると、長旅ご苦労様と優しく笑いかけてくれた。その笑顔を見て緊張が解けたのか、私もつられて笑顔になる。その後は軽く校内の説明をしてもらい、流れで新しい教科書を持ってきてもらった。

「そろそろ時間かな。教室行こっか。みんな良い子だから、あんまり緊張しないでね」

 応接室で出されたお茶を飲んでいると、さっきの先生が現れてそう言った。どうやらホームルームの時間らしい。お茶を飲み干し席をたつ。緊張しなくても良いと言われても、それは無茶というものだ。横で話す先生の声が全く耳に入ってこない。

「彩葉さん? ほら、着いたわよ!」

 その言葉と同時に開け放たれる教室の扉。先生に言われるまま教室に入る私。教室内がざわつく。

 どこを見て良いのかわからずキョロキョロしていると、先生に背中を押され、自己紹介するよう促され、黒板に大きく自分の名前を書く。

「雨宮彩葉です。いろはって呼んでください。一別から引っ越してきました。えっと、よろしくお願いします」

「みなさん、仲良くしてあげてくださいね。彩葉さん、あそこの席に座ってください」

 指さされた方を見ると、奥の窓際の席が一つだけ空いていた。みんなの方に一礼してから席に向かう。みんな私のことが気になるのか、四方から質問が飛んでくる。そんな、雷雨のように降り注ぐ質問に、曖昧な返事をしながら軽く席につく。

「はい、みなさん。質問したい気持ちはわかりますが、休み時間にしてくださいね?」

 騒がしかった教室が一瞬で静かになる。みんな、口は閉じたものの、こちらを見て笑いかけてくれたり、小さく手を振ってくれた。

「以上でホームルームを終わります。みなさん、ちゃんと私の話、聞いてくれてましたか?」

 誰も聞いていなかったであろうホームルームが終わり、すぐに1限目が始まった。授業は以前通っていた学校とさほどずれもなく、違和感なく進行されていく。しかし困った。みんなの様子からして、きっと授業が終わると大変なことになるだろう。

 結論から言って、私の考えは当たっていた。授業が終わってすぐ、クラスの女の子たちが私の席に集まってきた。最初は辿々しかった会話も、いつしか自然なものに変わり、クラスで誰が好みか。そんな質問へと移り変わっていた。

「えっと、私そういうのあんまりわかんないんだけど。そうだなぁ、今教室にはいないけど、前の席に座ってた人。あの人かっこいいかも」

「もしかして不知火君? あいつ変人だよ? いつも授業終わったらふらっと出ていってさ、そんで、気づいたら座ってんの」

「しらぬい君……、ふーん、そうなんだ」

「うんうん。あ、そういえば____ ...」

 話はどんどん変化していく。以前はあまりこうやって人と話す機会がなかったから、楽しくもどこか心が落ち着かない。それに、不知火君? という人のことが引っかかる。彼がどういう人か、一切知らないはずなのに、どこか私と似ているような気がしてやまない。

 タイミングを見て話しかけてみようか。そんな企みも虚しく、休み時間になるたびに姿を消す彼に話しかける術が思いつかない。普通に声を掛ければいいのだけど、チャイムと同時に教室を出ていかれてしまっては打つ手がない。

 いっそ、授業中に話しかけてみようか。そんなバカな考えを思いついたのは、6限目の終わりを告げるチャイムが鳴った時だった。話せなかったことを残念に思いつつ、どうせ明日も顔を合わせるのだから気にすることはないかと言い聞かせる。そんな馬鹿なことを考えていると、担任の先生が教室に入ってきた。ホームルームが始まるらしい。

「ーーーですので、みなさんも十分に気をつけてくださいね。それではさようなら」

 また聞いていなかった。とりあえず今日は帰ろう。そう思って帰宅の支度をしていると、またクラスメイトが話しかけてきた。

「彩葉ちゃんもう帰っちゃうの?」

「うん、晩御飯作らなきゃいけないし」

「そっか。また遊びに行こうね。そうだ、時間ある時でいいから屋上行ってみなよ。すっごく広いからおにごっこだってできちゃうよ」

「屋上入って平気なの? 前の学校はダメだったよ」

「学校によって違うんだね。じゃ、私行くね。また明日」

 手を振って見送ってから、教科書をカバンに詰め込み教室を後にする。階段を降りようとして、ふと上の階を見上げる。この階段を伸びれば屋上に出られるのだろう。

 カツン、カツン、カツン。今日は疲れたから早く帰ろう。そう思っていたはずが、そんな意思とは反対に、私の足は屋上を目指して階段を登り始めていた。ちょっと見てすぐ帰ろう。それなら大丈夫なはず。そう思って屋上への扉に手をかけ、ゆっくりと力を込める。あまり整備されていないのだろうか、扉は金属音を鳴らしながらゆっくりと開いていった。

「……、不知火君?」

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