あの選択をしたから
あの選択をしたから
あの選択をしたから、今のわたしがある。
という選択をいくつも重ねて、49年生きてきたけれど。
その中でも「大きな選択」だったものを
いくつか挙げて、振り返ってみたいと思う。
あの選択をしたから#不登校
ちょうど35年前の今頃。
わたしは「ここ(クラス)に自分の居場所がない」と感じ始めていた。
何か決定的なことがあった訳ではなくて。
「いろんなことが積み重なった結果、そうなった」
としか説明ができないけれど。
なんとか学校に行けていたけど
14歳の誕生日当日、階段を下りることが難しくなり。
玄関まで行っても、上がり框から立ち上がれず。
泣くことしかできなくなった。
4階の教室まで5分で行ける近さにある中学校だったけど。
ものすごく遠い場所になった。
3年になっても、教室には入れず。
受験をどうするか?という問題もあった。
その頃はまだ、学区制があって。
公立校の普通科は、学区内の受験のみで。
職業科なら、学区関係なく受験することができて。
中学校の同級生達とは離れたかったし
誰も知らないところに行きたかった。
リセットする、みたいな意味で
おもしろそうだな、と感じていた看護科を受験することにした。
地元に私立の看護科のある高校もあったけど
そこは嫌だった。
だから、母校となった高校を受験させてもらって。
ご縁があって、学ぶこととなった。
とはいえ。
環境を変えたら、不登校が嘘みたいに…
なんてことはもちろんなくて。
入学した年は、出席日数が足りなくて早々に留年が決まった。
だけど、半分意地もあったけど
看護っておもしろいかも、と感じていたので
1年生を2回、経験することにした。
これがまた、針のむしろ状態で。
卒業するまで本当に辛かった。
教室では、頑張れば頑張るだけ空回りしたけれど。
病院実習が始まると
頑張れば頑張るだけ自信につながっていく面もあって。
すごく楽しかった。
進学先を考える時も
この学校で学びたい!と思う学校に
2学期に入ってから出会って。
県外で全寮制で定員が少なくて
欠席の多いわたしには難しいと思われていたけれど。
ご縁があって、学ぶ道が開かれることとなった。
そこで学んだ2年間は
わたしにとって、宝物のような時間で。
看護が好きすぎて暑苦しく語れる仲間達と出会えて
幸せだな、と思っている。
不登校にならなければ、看護科に行くこともなかった。
看護科に残ったことで、母校となった学校に進学することができた。
そう思うと、不登校という選択をしたから
今のわたしがあるのかな…と。
そして
不登校という選択をしたことで
地元のプロテスタント教会へ通うことになったのだけど。
このお話は、また後ほど。
あの選択をしたから #病気の治療のこと
看護師として仕事をするようになって、10年目が終わる頃。
右足の上に乗用車が乗り上げるという
交通事故に遭った。
骨折はなく、小さな神経を損傷しただけで
終わると思われたけれど。
事故をきっかけに、CRPS(複合性局所疼痛症候群)という病気を発症して
長い長い療養生活に入った。
からだとこころの傷がいつまでも癒えぬまま
心身共に死にかけることになって。
4年前の今頃、このままではいのちに関わりますという状態になって
大学病院への転院を勧められた。
長い長い経過を経て
深傷を負った野生動物みたいになっていたわたしは
保護して治療しようとしてくれるひと達のことを傷つけた。
だけど
からだとこころの傷が癒えていない状態だから
そうなるよね、と
今でも温かく見守り続けてもらっていて。
本当に感謝しかないのだけど。
大学でも、紆余曲折あって
今受けている治療につながって。
4年近くかけて
同世代の同性の6~8割程度の活動ができて。
時短勤務だけど、ダブルワークをするようになった。
看護師として、当事者として
やってみたいと思っていたことに携わることができたり。
学びたいと思っていたことを学ばせてもらう環境にもあって。
傷つけてしまったひと達に
「ありがとう」と「ごめんなさい」も伝えることができた。
この治療過程も、選択の連続で。
日々の選択が積み重なった結果が、今で。
今の治療につながる前の状態の時に
病気のことを理解している先生や療法士さん
看護師さん達から受けていたケアがあったから
今の治療の効果がさらによいものになったこと。
本人は生きることもあきらめていたけれど。
周りがあきらめずにいてくれたことで、今がある。
様々な選択の積み重なった結果が、今なんだな…と。
あの選択をしたから #これからのこと
あの選択をしたから、今がある。
その積み重ねが、「これからのこと」を作っていく。
あの選択をしたから、こうして出会うことができた
とか
あの選択をしたから、仕事につながった
とか
「あの選択をしたから、今がある」の先を作っていく選択を
この瞬間も積み重ねている。
そう思うと、緊張感が強くなってしまうけれど。
不登校から35年後にこんな未来があるなんて。
事故から17年後にこんな未来があるなんて。
その時には考えられなかった。。。
辛くて苦しいことしかないのだと思っていたし
絶望もしていた。
「大丈夫、未来は明るいよ」言われても
想像することなんて、できなかった。
今、言えるか?と問われても
言えない、と答えるわたしだけど。
あの選択をしたから、今のわたしがある
と言えることは、誇ってもいいのかな?と思う。
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