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根を伸ばす

持つべきものは

母のICを終えて、妹と病院をあとにして。
「わたしたちは医療職者だから
ICの流れが予測できて対策をしたり
退院支援に入ってもらおうってできるけど。
普通に会社にお勤めとかだったら
こんなして事前に話し合うこととかできなかったよね」
「母の脳外科主治医、普段の診察でもあんな感じで。
(ざっくり状態を説明して「質問ある?」みたいな)
最初にTIAで入院した時なんて
本人は普段から順序立てて説明するのが苦手なのに
救急搬送されてあわあわして
さらに説明できなくなってるし。
連れ合いはそんなこと聞いてなくて、で。
発作のこととか話を聞こうとしても
情報が得られないからさ…
『はいダメ、次!』って。」
「口頭試問じゃん、それ。」
「わたしが発作の状況を聞いてたから、伝えたけど…。
その件があるもんだから、じーさま(父)なんて
『あの先生、おっかねぇ…』って。
わたしは『うん、外科だね』だったけど。」
「うん、外科だね。笑」…と。

できてねぇから、こーなってんの。笑

そして
「ねーちゃん、なぜお母さんにしたようなことを
自分にはしないのよ?」
と、言われる。

「できてねぇから、こーなってんの。笑」
「『看護師なんだから、自分でするよ』って」
「でもできてねぇから、こーなってんの。笑」
「看護師さん達に『仕事』させなかってん。」
…と答えたけれど。

他者をケアする職種だけど
自分をケアするのはとても苦手というか。
「自分をケアする」という概念がない。
「寝りゃあ大丈夫」
「食べれば大丈夫」
「少し離れたら大丈夫」くらいで。

セルフケアやセルフマネジメントという概念がなくて。

「自分<他者」とか
「休息<活動」とか
優先順位もなんだかあれれ?なことになっていて。

感情的に「自分を殺す」ことをしがちで。
「自分が我慢すればそれで良い」とか
「無理して無理して、頑張って。
誰も見てないところで屍になって。
誰かの目があるところでは、何もなかったように擬態する」とか。
「ざっくり、バッサリと傷つけられても
何もなかったように擬態する」とか。

このあたりを深掘りしていくと
幼少期からのいろんな闇が出てくるのだけど。

今回の母の入院では
母の病院関係者にも、わが家の現状や
わたしの状態を開示することだったり。
妹に助けを求めることだったり。
セルフケアやセルフマネジメントができてない!
どうしよう…
って、大きく崩れる前に自分でも気がついて。
医療職者に助けを求めたりして。

「適度に抱えて、適度に頼る」という課題について
少しまた前進したのかな…?と。

そして、自分でも
「できてねぇから、こーなってんの。笑」って
言うことができて。

ちゃんとわかってんじゃんね、と
自分でも確認することができたかな…と思う。

傷を癒す、ということ

CRPSの発症当初は、まだ今よりも病気について知られていない時代で。
日本版の判定指標もない時代だった。

知る人ぞ知る的な病気で、地元病院の最初の整形主治医が
たまたまこの病気についての理解が深くて。
当時のガイドラインに沿った治療をしてくれたこと。

OTもPTも、この病気について理解してくれていて。
「痛みがあっても、『使える』足にしていこう」と
頑張ってくれていたこと。

その幸運が
今の身体面での回復、改善につながっていて。
歩行の再獲得にもつながっている。

だけども。
社会的に受けた傷や、不幸な体験については
フォローの必要性を感じていながら
適切なフォローにつながらなかった現状があって。
それらのフォローが始まったのは
発症後14年が経過してから、だったけれど。

1年かけて、傷の状態を把握して評価して。
少しずつ刺激に慣らしていって。

傷が反応した時には、どう対処するのか?
傷が反応しないためには、どうしたらいいのか?

少しずつ経験を重ねていくことで
もとからあった傷を癒し、新しい傷もまた癒していく。

これが
わたしにとっての
セルフケアや
セルフマネジメントと呼ばれることなのかな…と。

根を伸ばす

そして
自分のがん告知があって、母の入院があって。
突発事項への対応を迫られることになって。

視覚(左:目の前で手が動いているのを感じる程度
右:若干の視野欠損)と
聴覚(騒音性難聴+加齢による難聴)からの情報が少ないので
配慮が必要な父。

外傷性くも膜下出血のため、左上肢に軽度の麻痺と
感覚障害のある状態で退院した母。

ふたりとも、70代。
これから先、さらに配慮が必要になってくる。

「両親なき後のことも考えていかんばない
(考えていかなくちゃいけない)」

と、リハ科受診時に言われていたけれど。
直面することになって。

突発事項への対応が苦手で
大きく調子を崩してしまいがちだったけれど。
今回はお薬を使って少し底上げする期間はあったけど
「辛い、苦しいが言える」
「助けを求めることができる」という目標を
達成することができたり。

「自分のケアができてない!」と気がついて。
「自分のケア」を優先させることができたり。

昨年度いっぱいかけて、積み重ねてきた経験が
こういう形で役に立ったというか。

昨年度いっぱいは「ため」の期間で。
今年度は「ため」を使って伸びる期間なのかな…と。

昨年度、受診のたびに
「停滞してる」って言われて。

停滞、停滞言うけど、停滞じゃないし!
1ミクロンかも知れないけど、前進してるし!

って思っていたけれど。

停滞しているように見えて
ちゃんと根を伸ばしていたんだな…と。

何かの機会があったら、言うてやる!
「停滞しているように見えて
ちゃんと根を伸ばしていたから
こうしていろんなことが『わかる』ようになったり
『できる』ようになったんです!」
「停滞、停滞って…全然停滞じゃないし!」って。



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