036【何を学ぶか、何ができるようになるか、どのように学ぶかを超えるもの】
平成30年度からはじまった学習指導要領の方向性は次の3つ。
「何ができるようになるか」
「何を学ぶか」
「どのように学ぶか」
そして、
「個々の子供の発達をどのように支援するか」
これらを実現させるには、授業はどうするか。学習をどう考えるか、そして人間をどう捉えるかという視点が欠かせない。
『学校』は何のために行くんだろうと考える。自分で生きるため。幸せになるため。働くため。誰も疑うことのない思いだ。多くの大人は、もう一つの視点を最重要視する。
「食べていけるため」
どんなに楽しい勉強をしようと、友だちと仲良くなろうと、最終的には、「食べていけるの?」という言葉が問いかけてくる。それはいつの時代も同じだ。作文がほめられて、作家になりたい。計算が得意だから、数学者になりたい。科学者になりたい。画家になりたい。漫画家になりたい。スポーツ選手になりたい。歴史学者になりたい。総理大臣になりたい。ケーキ屋さんになりたい。料理人になりたい。床屋さんになりたい。医者になりたい。公務員になりたい。旅人になりたい。漁師になりたい。農家になりたい。親になりたい。
子どもたちはたくさんの夢と希望を持っている。最近は、子どもの考えを認めていこうという風潮があり、そういった夢を応援することが増えてきたが、やはり、大人は「食べていけるの?」と問いかけてくる。子どもたちに現実を見せること、批判的な視線もあることを見せることは大事だが、その瞬間、心に灯った火は容赦なく消えていく。
「人の役に立ちたい」
「誰かを喜ばせたい」
「この道を究めたい」
そんなことを思ってみても、「食べていけるの?」で一蹴される。何ができるようになるか、何を学ぶか、どのように学ぶかをどんなに思い描いても、将来、この子が食べていけるのか?を常に考えてしまう。結局は、誰かの作った服を着て、誰かの作った建物で、誰かの作った本を読み、誰かの作った仕事を学ぶ。本当に「やりたい」ことと「やらなければいけない」ことは一致しないことが多い。
『学校』は、自分で生きるため。幸せになるため。働くため。自己実現のためにある。人格の完成は何よりも大切な目的だ。「食べていく」。それは何より大切なことだと思う。夢を語っても、生きていけなければどうしようもない。食べていくために働くことは、何より尊い。なら、『学校』は、何を学ぶの?何ができるようになるの?どのように学ぶの?
結局は、食べていくことで精一杯な環境で育った子どもは、そこに合った自己実現を目指すしか成し得ないじゃないか。何を学ぶか、何ができるようになるか、どのように学ぶかよりもを考え、議論することは大切だ。それよりも、いつ、どこで、誰に学ぶか、何より『誰に学ぶか』が最重要だと思う。人かもしれない、書物かもしれない、一枚の絵かもしれない、たった一つの言葉かもしれない。授業をどうするか、学習をどうするか、そんなことを考え議論するのは、洟垂れ小僧、人間を考え議論するようになって、やっと花盛り。たった一つの出会いが、たった一つの言の葉が、子どもたちの人生を変える。「あなたから学びたい」そう言われるように。「あの子を喜ばせたい」そう思える人に。毎日、笑顔がある学級をつくりたい。
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず遭える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に.。』(日本の教育者 森信三)
自分のことを棚に上げて、敢えていいたい。「食べていけるか」なんてことで、一生懸命な男や女しかいねーから、結婚したいって心から思えるパートナーに出逢えない。たまに出逢えたと思っても、偽物ばかりで、うんざり。まずは、自分の言葉で、夢を語れるようになりやがれ。ぼくは、人生を見極める。そして、女を見極める。そんな、魂が震え、一生をかけてもいいようなパートナーに出逢う。
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