見出し画像

038【言霊の倖ふ国】

日本では、声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。戦時中は、日本は負けるのではないかと口にしてはならない思想があった。

今、平成30年の学習指導要領が完全実施され、現場では様々な言葉の定義に振り回されてきた。

アクティブ・ラーニング→主体的な学び
黄金の三日間→スタートカリキュラム
コンプリメント→ほめ言葉のシャワー
インタラクティブ・カリキュラム→カリキュラム・マネジメント
外国語活動→英語教育
学力テスト→学力・学習状況調査

言葉には、魂が宿っていて、その力が森羅万象すべてのものを成り立たせている。

「アクティブに学ぶ」
「まずはアクティブ・ラーナーになる」
「能動的な学修」(←わざと学習を学修としている)
「メタ認知」
「俯瞰しよう」

現場では、「アクティブ」という言葉がたくさん使われているけれど、主体的って何だろう。似た言葉にある自主的って何だろう。自主性とは、やるべきことを明確にしてその行動を率先して人に言われないでやること。主体性とは、何をやるかは決まっていないことを、自分で状況を判断して、自らの責任の下、もっとも効果的な行動をとることだ。

「アクティブに学ぶ」
「主体的に学ぶ」
「自主的に学ぶ」

・脳が活性化する。
・何をやるか決まっていないのだけれども、自分でやることを決めていく。
・やらなきゃいけないことを率先してやっていく。

こうした言葉の使い方について、現場はもちろん、民間の教育団体、さらには教育委員会、指導主事ですら、しっかりと意識していない。マスコミは、やや状況を静観している感じがする。教育の自由、言論の自由という視点から考えると、本来、良くないのだけれど、学習指導要領の改訂に伴い、好き勝手にアクティブ、アクティブと連呼するのは、どうなんだろう。すでに定義されている言葉を、調べもせず、自分たちで名前を付けて拡げていく。教育現場が混乱するのも無理はない。言葉が乱れているのだから。

日本は言霊の国。言葉を大切にする国。言ったことは葉っぱのように繰り返され再生する。同じ物事も角度を変えてみると、違った物事に見えてくる。心理学、NLP、協同学習、ノーマライゼーション、ユニバーサルデザイン、教育実践書、学校、、保護者、民間会社、スピリチュアルな視点、フリーランス、倫理学、哲学、若い教員、中堅教員、ベテラン教員、男性教員、女性教員、コーチング、理学療法士、作業療法士、メンタルトレーナーなどいろいろな分野の方と話し、一端を垣間見ることで、流行に流されないたった一つの不易に至る。

それはやっぱり教育とは、『愛』でした。そして、教育現場で使われる言葉こそ、真理。ヴァーチューズを伝えていくこと、日本人のアイデンティティである日本語をしっかりと伝えていくことこそが、本丸なのだ。

いいなと思ったら応援しよう!