見出し画像

054【リーダー論4】

「リーダーは5つほめて、3つ教えて、2つ叱る」

ほめてほめて、自分のことを本当によく考えてくれているんだなと思わせてから、文句をちらっと言ってやると心に入るという。

だれもがほめることが人を育てる上で有効と思っている。にもかかわらず、一般的に教師といったリーダー的存在の立場にあるものが、1時間にほめる回数は5回以下であることが多い。典型的な人は、ほめ言葉を好子(正の強化子)とは考えていないし、使おうとしない。

リーダーは、ほめる・教える・叱るを、場面において、バランスよく使う。ほめることは、出てきた行為に対して条件付けられる反応である。だから、正しくなかったり、低い水準であったり、良い仕事をしたことだけでなくても、ほめていくことになる。服装、言葉、望む水準より低くても、ほめる。これらはときに、励ます・認めるとも言い換えられる。アイスブレイク的な側面でつかわれるほめ言葉である。しかし、この種のほめ言葉は、問題解決や内発的動機付けには至らない。このほめ言葉を多用すると、目的や状況によっては、逆に不快な思いを与えてしまうこともある。

一方、リーダーがたとえアイスブレイク的なものであっても、長く続けると、価値が出てくる。だから、ほめるという行為は、リーダーとして良好な人間関係に寄与することを自覚しなければならない。

では、問題解決的なほめることとはどんなものか?

行動や言っていることに対して、価値付けしたり、注意を払ったりするものだ。単純で、自然な声で、まっすぐなものでよくて、オーバーであったり、劇的である必要はない。規準としては、相手の認知に基づいてほめるべきである。大概、相手は、ほめられる理由を理解していない。だから、個別に本当の進歩・成長を見取る必要がある。成功や結果に対しての賞賛が大事で、励まされるが、しばらくすると、その成功や結果が容易に得られるものではないことに気づき、学び、努力しなくなる。だから、ほめるのは、努力や過程に寄り添ってほめる。内発的動機付けを高めるほめ方は、努力に寄り添ってほめることである。過程をほめることによって、動機付けが維持される。

ほめるという行為は、自然に行われるのではなく、意図的に行われるべきであり、個に合わせなければならず、単にたくさんほめればいいというわけではない。

仮にほめること・教えることによって、信頼関係が出来ているのであれば、叱ることも大事なエネルギーになる。信頼して安心のおける人間関係においては、ときに叱られることが、次はもっと認められたいという大きなエネルギーになることがある。この大前提を理解せず、叱っている場面だけを切り取って、叱ることの有用性だけを論じることは、無意味である。単に叱ることは、相手に不快な思いをさせ、不当な評価は身動きをとれなくさせる。信頼関係のない人に叱られることは、思考停止や嫌悪感、ときには反抗心を起こさせる。

リーダーに必要な力とは?

コミュニケーション力が強く叫ばれているが、ほめる・教える・叱るの構造を理解し、個人の情動にいかに丁寧に、繊細に寄り添えるかに尽きるのだ。それが出来ているのであれば、巷に溢れるコミュニケーション力など、取るに足らないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?