【トルストイの見方・考え方】
「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれにちがっている」レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の言葉
幸せな二人はよく似ていて、不幸な二人はそれぞれ違っているのか。
幸福と不幸
善と悪
男と女
トルストイは『戦争と平和』の中で幸福について描く。
「人間が幸福で完全に自由な状態であるという状態が存在しない以上、不幸で不自由な状態もありえないこと」
「すべての不幸は不足ではなく過剰から生じる」
知らなければ、欲しなければ、ぼくは満ち足りていたのかもしれない。
幸福とか、不幸とか
善とか、悪とか
男とか、女とか
単なるシンボル、あるいはたとえなのかもしれない
重さと軽さ
言葉には、重い言葉と、軽い言葉がある。重い言葉は分かりづらい軽い言葉は分かりやすい。言葉の重さは、漢字によるため、言葉の軽さは、ひらがなによるため。
『源氏物語』『枕草子』において、用いられたひらがなは、日本語を急速に進化させた。漢字は男の使う言葉、ひらがなは女の使う言葉。どちらがよいとか、よくないとか、二つは分けられない。似ているような気もするし、それぞれ違うような気もする。漢字ばかりだと読む技術がないと内容が理解できない。ひらがなばかりだと誰でも読めてわかりやすい。でも、そこに込められた思いはどちらも深い。
努力を必要する重さ
読み手の奥深さに委ねられる軽さ
不幸があるから、新しい考えが生まれる
悪があるから、心は成長する
女の出産を見て、生命の宝に気づく
重さよりも、軽さが、言葉を成長させてきた
子供にもわかるような文章を書くために作家は、たくさんの視点を学び、軽さに深さを忍ばせる。出会わなければよかった。知らなければよかった。そんな風には考えたくない。よく似ているようで、それぞれ違っている。そもそも男と女は、違っている。男がいるから強くなれる。女がいるからやさしくなれる。
ふたり
生と死
ふたりでいると、いつか別れてしまう死という絶対的な孤独が待ち受けている。ふたりの心がつながっていると、生も死も、相対的に感じられ、不安がなくなる。ふたりでいてもいいことはない。知らなければ、欲しなければ、よかった。そんなことはない。
ふたりでいればいいことしかない
ふたりでいっしょにいる今を生きる
ただその一点にのみ集中する。