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「本当の自分」という呪縛から自由になる -ドラマ「いちばんすきな花」で分人主義が腑に落ちる-

「私」とは、いったいなんなのか?

自分の人生の根底には、常にこの問いがあった気がする。


好き嫌いの感情も、これがしたい・あれがしたいの希望も、こうなりたい・ああなりたいの未来へのビジョンも。

その時々で移ろい、あの人に語るときと、この人と語ったあとでは違うものになってしまったりもする。

   
いったい私は、本当は何を求めているのか?
何が、「本当の自分」なのか?
   

いつまでも定まらない「私」は、いつまでたってもしょうがないやつだよなぁと、思ったりもする。


そんなモヤモヤに、新しい考え方を示してくれたのが、平野啓一郎さんの『分人主義』だった。
   

私たちには、生きていく上での足場が必要である。その足場を、対人関係の中で、現に生じている複数の人格に置いてみよう。その中心には自我や「本当の自分」は存在していない。ただ、人格同士がリンクされ、ネットワーク化されているだけである。
不可分と思われている「個人」を分けて、その下に更に小さい単位を考える。そのために、本書では「分人」(dividual)という造語を導入した。「分けられる」という意味だ。


自分の中に訪れた理解について、書こう書こうと思いながら、分人主義をどう説明すればいいのか、書きあぐねていた。

そんな中、ドラマ『いちばんすきな花』のストーリーが進むにつれ、「コレ、まさに『分人主義』の話!」になってきて、私はひそかに興奮してしまいました。

    

4人の主人公たちには、自分の人生において重要な存在である「みどりちゃん」がいる。
でも、4人のみどりちゃん像は、まったく違っている。

ゆくえ(多部未華子さん)の「みどりちゃん」は、高校時代に通っていた塾の先生で、「とっても好きな人」というくらい大切な存在。

椿(松下洸平さん)の中学の同級生だった「志木美鳥」さんは、ヤンキーでいつも人をなぐっていた人。

夜々(今田美桜さん)の知る「みどちゃん」は、いつもぽわぽわしている大好きな親戚のおねえちゃん。

紅葉(神尾楓珠さん)にとっては、いつも不機嫌でイライラしていた数学の教師。


だけどどうやら4人の知っているみどりちゃんは、同一人物らしいとわかってくる。

そして、ここからがおもしろい!

今でも連絡先を知っているゆくえは、「ほんとはみんなに知らせるつもりだったけど、先に勝手に会っちゃった」と、ひとりで美鳥と会う。

  
美鳥「4人まとめて来られたら、感情迷子になりそう」

ゆくえ「わかる。その人の前だけの自分ってあるしね」

  
まさに!
この感覚、わかるよなぁと、テレビの前で何百人?何千人?が思っただろう。


私もセラピストとして起業して、"愛"や"いのちの輝き"を語る自分に、

会社員時代の上司や同僚が今の私を知ったら、「詐欺だー!」って言うに違いない。「別人じゃん!」って言われるだろうな…

と、身バレするのをひそかに恐れていました(笑)


じゃあ、会社員のころの私は、いつわりの自分だったのか?
そして今の私こそが、「本当の自分」なのか?

今の私が「ありのまま」で、会社員のころの私は「ありのまま」ではなかったのか?


スピリチュアルや自己啓発にかぶれると、ついこんな考えになりがちなんだけど(笑)

そんなふうに過去の自分を否定してしまうのは、過去の自分がちょっとかわいそうだなぁと思う。

あのころはあのころで、必死で自分を生きていたし。
あのころの私も、やっぱり確かに私なんだよね。


「本当の自分」

この言葉は魅惑的だ。

それがわかれば。
それがわかりさえすれば。

きっと素晴らしい人生を生きられるに違ない!

この考えは希望のようでいて、実は
「本当の自分を生きていない、いつわりの自分」
という観念を、私たちの中に植え付けているのかもしれない。


日常を生きている複数の人格とは別に、どこかに中心となる「自我」が存在しているかのように考える。あるいは、結局、それらの複数の人格は表面的な「キャラ」や「仮面」に過ぎず、「本当の自分」は、その奥に存在しているのだと理解しようとする。
この矛盾のために、私たちは思い悩み、苦しんできた。


「本当の自分」などいない。

私たちは、たくさんの「分人」を生きている。


そう考えたら、終わりの無い自分探しの旅も終わるかもしれない。

   
さらに言えば。

やりたいことがわからない
好きなことがわからない

この悩みも消えるのかもしれない。


少なくとも私は、この先、「本当の自分」に悩むことはなくなるだろう。

そう思っています。


らららっと生きよう(^^)/


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