
ざっくりモンゴル! 草原の秘密|鈴木裕子 うさぎを啜る
「あなたモンゴルでも行く?」この一言で、給食のおばちゃんだった鈴木裕子は、在モンゴル日本国大使館の公邸料理人になった――。モンゴルは驚きの連続。価値観がボロボロと崩れ落ち、そして再構築されていくのがなぜか心地良い。
初の著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』でモンゴルの知られざる食と暮らしを紹介し、生きることと食べることの意味について考えさせてくれた著者が、今度は食に留まらない様々な場面で、モンゴルでの気づき、日本との違いをユーモアたっぷりに綴ります。
うさぎの骨は軽かった。ペットのうさぎは骨折しやすいと聞くけれど、もともとうさぎが暮らしていた草原や森みたいな場所は骨の材料が得にくかったのかもしれないなぁ。食べものは生きものの材料。
そんなことを思ったら、ふと菜食の人のことが心配になった。「ヴィーガン カルシウム」で検索すると、やはり不足しやすいと記されていた。ただ、カルシウムは豆やナッツ、海藻で補えるともある。超雑食の人間は恵まれている。
材料が限られていればそこから作れるものも決まってくる。うさぎの住む地面の上には骨の材料になるものが潤沢にはなさそうだ。同じ草原にいても、肉食の鳥は重い。鳥の骨は飛行の負担を軽くするために中が空洞になっていて、軽石のようなスカスカの組織でできていると習ったのに。獲物を掴んで飛び去るからだは、ただ宙に浮くだけの鳥のものとは違っていた。
うさぎのお肉、ほんとうは背肉が好きだ。でもこんな風に丸ごとのうさぎを、この黒い瞳を知ってしまったら、どの部位をいただいてもありがたみしか湧いてこない。
モンゴルに来たばかりの頃、若い家畜と年老いた家畜、そしてさまざまな部位が同じ値段で売られていることに驚いた。それがだんだん、「そうだよね」に変わっていく。いただくいのちの器、それに値段はつけられない。
あるものを食べてきたモンゴルの長い歴史。それがこれからは、都市化に伴って人中心の社会に変わっていく。でも、でもいのちの重さは見失わないで、伝えたい言葉がわたしの内に積もる。
大きなお肉は脚、背肉、次に前脚の3つ。それに加えレバーと肺を取り出したらおしまい。撃たれたうさぎには、内出血が大きく使えない部位もあった。どんな味かするのだろう? と試食用にあばらも取るには取ったが、それは骨も肉も紙みたいに薄いものだった。
意外なことに皮膚の下に脂の層がない。それはモンゴル五畜と呼ばれる四つ脚の家畜たちとは大違い。脂があるから飼ったのか、それとも飼われたから脂が持てたのか。脂があった方が寒さから身を守れると思うけれど、どうなんだろう? もしかしたら体の中に塊として存在する脂は、全身を使って捕食者から逃げる生きものには邪魔なのかもしれない。
うさぎのお肉は暗い赤。鶏や豚と比べると、レバーとお肉の中間みたいに思える。それも、脚を撃たれて捕まり首を折られた個体だからかもしれない。いや、飼育されたものではなく野生だから? ほかを知らない今のわたしには判別がつかない。
腹腔に血の池ができていたなんていうと血生臭さを想像されそうだけれど、全然そんなことはない。うさぎに獣臭さはない。たしかに生の状態ではわずかにうさぎの体臭があった。それが火を通すと姿を消し、ふわふわとおいしい匂いが立ちのぼってくる。
お肉は火の通し加減や使う部位によって食感や味が大きく変化する。わたしはエキスを味わうため、うさぎ肉をフライパンで蒸し焼きにすることにした。エキスに味のモトを探りたいんだ。モンゴルの肉汁文化を知らなかったら、こんな風にお肉を味わおうとは思わなかったかもしれない。加熱に肉から滲んだエキスがフライパンにわずかに溜まる。それに塩を足してペロリ。おいしさとは別の次元で、知りたい味がここにある。こんな風にしてわたしは自分が何を食べているのかを確かめている。
素晴らしい味付けと、複数の素材の組み合わせは、材料ひとつひとつの生まれもった味をわからなくしてしまう。そんな複雑な「おいしい」が溢れる国からやってきたわたしが、今ここでしたいことがこれなのだ。
ところで最近気に入っている調理法は、お肉にきのことセロリを合わせて一緒に蒸し焼きにすること。これでどんなお肉からもたいていおいしいエキスが出る。もちろん今回みたいな初体験の時はしないが、西洋料理のフォンに近いものが味わえる。
もちろん翌日はこれを試した。最高! 背肉で作ったそれは、お肉が甘美で丸くコロコロと舌の上を転がった。うさぎはスープがおいしいよと友人が教えてくれたのも頷ける。もしゲストハウス住まいでなかったらもっといろいろ試していただろう。ワインや洋酒、スパイス、お肉に添える野菜ピューレ……。弾力のある肺とレバーも美味だった。

鈴木裕子
1968年東京都生まれ。保育園の調理師から在モンゴル日本国大使館公邸料理人に転身。離任後は大好きなモンゴルに健康としあわせを贈りたいと『Japanese chef YUKO’s vegetable and cookbook for MONGOLIANS』上下2巻をモンゴルで出版。2024年にモンゴルで会社を設立、日本とモンゴルを往復する日々。国家資格の専門調理師全六部門を取得した食いしん坊。
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