見出し画像

バターチキン 【3】 食材と味の違い

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


「バターチキン」というワードは、当時の私が主体的に記憶した最初のインド料理名だったかもしれない。今でこそコンビニの陳列棚はおろか学校給食の献立にすらなる時代だが、90年代初頭の日本においてバターチキンは、まだまったく一般化されていなかった。せっかく覚えた料理名を本場でも使ってみようと、現地のレストランのメニューで目にするたびに私はオーダーするようになった。

インド国内を食べ歩くにつれ、同じバターチキンとはいっても店や作り手によってかなり幅のあることがわかってきた。そしてそのいずれからも、日本のラージマハルで食べたようなハチミツの甘さや生クリームのコクは感じられなかった。この味の違いから、インド人の好みや特徴がかいま見えてくる。

インドで食べる一般的なバターチキン。かなりボリューミー。



まず最初に強く感じたのは酸味だった。インドのバターチキンは酸味が強い。これはトマトを多用するからだが、のちに親しくなったインド人のコックたちは異口同音に「日本のトマトは甘い」といっていた。確かにトマトに限らず日本の野菜は総じて糖度が高い。だから生で食べるぶんには美味いのだが、食材としては使いづらいらしい。彼らからは「まるで野菜じゃなくてフルーツだ」とも聞いた。

インド料理は酸味を多用したものが数多い。バターチキンに使用されるトマトは実はインド原産ではなく、16世紀以降本格的にインドを支配したポルトガルによって南米からもたらされたものである。それがまたたく間にインド全土に広まったのは、タマリンド、青マンゴー、コカム、ゴングラといった酸味を持つ食材を多用したり、アチャール(漬け物)や穀物料理など発酵して酸味付けする料理文化の下地がインドにあったからだろう。

具材となる鶏にも、日印で差があった。ラージマハルでは鶏はタンドールで焼き上げられたのち、小さくサイコロ状にカットされてまったりとしたグレービーをまとっていた。しかしインドで食べたそれは日本と違い、例外なく骨がついていた。中には「ボンレス(骨なし)」とメニューに書かれているところもあり、骨付きのものと比べて20ルピーぐらい高かった。これは骨から肉をはずす手間賃だろう。しかしインド人にいわせると「骨まわりが美味い」という人が圧倒的に多い。それどころか、歯の丈夫な若者などはガリガリと骨まで食べてしまう。また骨付きを食べるのにナイフとフォークでは食べづらい。必然的に手食とならざるを得ない。

バターの量もハンパない。バターはヒンディー語でマッカンという。いや、正確にいうと西洋伝来の近代製法で生産された有塩バターではなく、発酵後に長期保存のための塩を加えない、インド古来の製法で作られた無塩バターを指すのだが、昨今では双方区別なくマッカンと呼称されるようになっている。長期保存のきく工業製品としてのバターが廉価で出回るようになると、食堂や屋台で大量のバターを使った料理が増えていった。ご存知の通りヒンドゥー教では牛は神様として崇められている。バターもまた神様からの浄性の高い恵みという考え方があり、ゆえにたとえ近代医学で摂りすぎを警告されても、不衛生なガンジス河を聖なるものとみなすように、信仰を重視する人たちにとっては欠くべからざる食品なのだ。つまりインドでは信心深い人ほど太りやすい傾向にある。

北インドのレストランで出されたバターチキン。バターの量が凄い。



さらにラージマハルで感じた、舌先に広がるあのハチミツの甘さ。日本の複数の店で食べたバターチキンには強い甘みがあった。一方のインド現地でも、確かに甘さがあるにはあった。インドのレシピには、砂糖を少量加えることで、よりリッチさが出るとされるものもある。
しかし日本ほどの強い甘ったるさは感じなかった。なぜ日本のバターチキンはこうも甘いのか。不思議に思って複数のインド人コックに聞いてみたところ、「日本人は甘いのが好きでしょ?」という答えが返ってきた。彼らコックは保守的で、普段の食事も自分たちで作ることが多いが、それでもたまに外で食べる日本の味は彼らにとってたいそう甘く感じるものらしい。また「テレビのリポーターが『甘くて美味しい』といっていた」という人もいる。つまり厨房のインド人たちは「日本人にとって美味しいもの=甘いもの」と誤解しているフシがある。だから元来甘いバターチキンをさらに強調して味付けするようになったようだ(諸説アリ)。

このように、今でこそ日本では日常的な食べ物となったバターチキンだが、本国インドと食べ比べてみると両国の食材の差、味の差、盛り付け方の差、食べ方の差、などずいぶんと違いが際立つことに気づく。さらに同じバターチキンでも、店や地域によってインド国内でも差異があるのだという知見を得た。

日本のインド料理店でもおなじみのあんなメニューやこんな料理が、本場インドではどんな風に提供され、消費されているのか。本業であるインド食器の仕入の道中で出会った印象的な味の記憶と共に、食べ歩き旅の醍醐味を独自の視点でこれから縷々、綴っていきたい。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/

インド食器屋のインド料理旅」をまとめて読みたい方はこちら↓