第26橋 中橋(宮城県)|吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」
鎮魂と未来への祈りをこめた
南三陸杉の橋
南三陸町という地名を聞いただけで心をえぐられるような気持ちになる。東日本大震災の被災地であることはいうまでもないだろう。あの日、僕自身は日本にはいなかった。帰国後すぐに、ボランティアという形で東北へ向かった。あれからもう10年以上にもなる。
久々に三陸海岸へ足を運ぶことになったきっかけは、橋だった。南三陸町に、震災からの復興の象徴として新たに橋が作られたことを知ったからだ。「中橋」という名のその橋は、建築家・隈研吾氏によってデザインされたものだ。
東北新幹線を仙台駅で降り、駅前でレンタカーを借りた。車なら仙台から南三陸町まで約1時間半。電車とBRTを乗り継いで行く方法もあるが、それだと最短でも2時間半はかかる。
ちなみにBRTというのは、要するにバスの一種である。かつてはJR気仙沼線として電車が走っていたが、震災により不通となった。そのため、代替する移動手段として導入されたのがBRTというわけだ。
バスとはいえ電車の代わりなので、元々あった鉄道駅を結ぶルートを運行している。南三陸町に元々あったJR志津川駅は、鉄道が廃止されたいまもBRTの停留所として健在で、現在は「道の駅さんさん南三陸」に併設されている。
このさんさん南三陸こそが、今回の旅の目的地だった。目指す中橋も、ここにあるのだ。
日本各地を旅していると、しばしば隈研吾氏の手になる建築物に出合う。木材をふんだんに活用し、モダンながらも日本古来の和の文化を感じさせる独特のデザインは強い存在感を放っていて、建築マニアならずとも惹かれるものがある。
中橋もまた、これぞ隈研吾デザインとでもいうべき個性にあふれていた。南三陸杉を利用したウッドデッキの橋。一言でいえば斬新というのが素直な感想だ。これまで数多くの橋を巡ってきたが、類似した橋は見たことがない。
何よりも特徴的なのは、橋が上下の二層構造になっていること。一見すると太鼓橋のようだが、中央部分が反転して川面へ反り返っている。上下のどちらを通っても対岸へ渡ることができるという不思議な構造なのだ。
橋の装飾もユニークで、下層への入口付近には木製の支柱が連続して直立している。地元では「千本鳥居」と呼ばれているのだという。橋の東岸の道は神社へと続いており、橋が参道の役割も担っている。
一方で橋の西側は、「南三陸町震災復興祈念公園」として整備されている。園内に立つ鉄骨が剥き出しの建物は、旧防災対策庁舎だ。震災当時、庁舎内にいた職員や近隣住民がこの庁舎の屋上へ避難したが、そのうち43名が犠牲になったという。ぐにゃりと曲がった鉄骨の生々しさが、津波の恐ろしさを物語っている。
庁舎や中橋を一望できる「祈りの丘」に上ってみると、パノラマの景色が広がった。まっさらな台地が続いているが、かつてはこの地には街が存在した。遠方には海も見える。
志津川地区を襲った津波の高さは16.5メートルだった。死者・行方不明者は800人を超える。石碑には、この地が「追悼・鎮魂の場」であることが書かれていた。
公園から中橋を渡って戻ってくると、左手に大きな建物が立ち、右手に商店街が立ち並んでいる。
建物は「南三陸311メモリアル」といって、地域住民の被災体験を後世に伝え継ぐために作られた施設だ。当時の写真や証言などが展示されているので、せっかくここまで来たのなら襟を正して見学したい。
商店街は「南三陸さんさん商店街」という。震災後に作られた仮設商店街が元となっていて、鮮魚店や土産物屋などが立ち並ぶ。飲食店も充実しており、新鮮な海の幸などを味わえる。
中橋だけでなく、南三陸メモリアルや南三陸さんさん商店街などもまた隈研吾氏による設計だ。周辺一帯のグランドデザインにかかわっているという。
橋の両岸でまったく違った雰囲気なのが興味深いと思った。祈りの場として聖なる雰囲気さえ漂う公園と、未来への活力を感じさせる賑やかな商店街。そして、それらを繋ぐ唯一無二の存在としての橋。
十数年の時を経て、復興が進みつつあるこの地の今を目の当たりにして、自分の中の被災地へ対する認識がようやくアップデートされたような気がした。
行ってみてから知ったのだが、訪れたのは偶然にも「かがり火祭り」の日だった。震災以前から行われていた地域の伝統行事で、日暮れとともに川に燈籠を流す。
屋台も出たりして夏まつりのようだが、華やかで浮ついた感じはなく、厳かな空気が漂っているように思えた。ライトアップされて闇夜に浮かび上がった中橋の下を、無数の炎がゆらゆらと流れていく光景を静かに見守った。
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