光る君へ感想17〜18話

道隆の死
冷静で、いつも堂々としていた道隆。しかしその死が間近になると、息子伊周を関白にと帝の前で騒ぎ立てる醜態を晒す。そして道兼に必死で伊周を頼むと言う。
道兼にとって、この兄の姿は意外だったのではないでしょうか。

伊周の若さと「人望」の無さ
関白になりたい、上にいきたいという焦りはどこか昔の道兼のよう。そして「皇子を産め」と定子に迫る様子は晩年の道隆にそっくりで。父道隆に愛されて、期待されている「お坊ちゃん」な伊周。苦労知らずであることは吉と出るか凶と出るか。

荒んでいた道兼が道長に励まされて立ち直った後の数年間は描かれていない。けれども兄道隆の下で「一族の中での自分の役目は汚れ仕事をやること」と割り切れるようになるまで、本人なりに自分のプライドと向き合って、葛藤もあったことでしょう。
跡取り(関白)になることだけが自分の役割ではないと気づいた道兼は憑き物が落ちたようだった。結果として、悲田院へ足を運ぶなど、視野を広げることにつながった。
残念ながら、周りの全てから好かれるほどでははないけれど「(伊周と比べたときに)次期関白は道兼」と思ってもらえたのは、そういう姿が功をなしたからでしょうね。
1話ラストからここまで、道兼の成長物語でもあったのかもしれない。

7日関白
運命は皮肉なもので、ようやく一族の長としての視野も立場も得た瞬間、道兼は病で倒れる。
死を目の前にした瞬間、道兼は「浄土へ行こうとしているのか、こんな悪人が」と呟く。
最期の涙と慟哭は、道隆が伊周を案ずるようなものでも、立場(関白)にしがみつく(これからなのに逝きたくない)ものでもなく、どちらかというと「死」への単純な恐怖のようにも思えた。「悪人」の言葉にはやはり「人を殺めた」ことが含まれていて、ここまで観てもやはり1話の行動は擁護できないけれど、あの行動によって道兼は結局最期まで苦しみ、縛られ続けた。
「人を殺めた自分が逝くのは地獄だろうか?」そんな恐怖があったのかもしれない。
だから最期の道長の抱擁は、一人でこの世を去ろうとする道兼への唯一の救いであったはず。悪役であることは間違いないけれど、一人で苦しみながらこの世を去って行くシーンにしなかったのは、ひとつの赦しであったのかもしれない。

作品によってはものすごく嫌われる悪役というのもいて、作中のキャラクターや視聴者の怒りをあつめ「一人で苦しんで終わる」シーンが「スカッとジャ◯ン!!」な場合もあるけれど、わたしは、道兼の最期に救いがあってよかったと思った。それだけ悪役として魅力的なキャラクターだった。

これまでドラマでもここまでは取り上げられてこなかった(と思う)藤原道兼を、一から演じ切ってくれた玉置玲央さんに感謝です!(一人の視聴者として、そっとここでつぶやく…)

立場も時代も違えど、道兼という悪役をどこかで憎みきれなかったのは、平成令和の世に生きる庶民のわたしにも共感できる「人間の葛藤」を見事に演じられていたからだと思います。

しばらくロスになりそうですが(笑)
今後の展開も楽しみです。


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