光る君へ感想(14〜15話)
先日、録画分と合わせて2話一気に観ました!
遅ればせながら…!
跡取りは道隆
史実バレしていますが、改めて…まあ道兼としては怒るよな…
ただ、その感情の爆発のさせ方はやはり一族の長となるにはマイナスポイントなんじゃないかなあ。
もしかすると、事前に兼家から道隆にはある程度話をしてる可能性ありますよね(跡取りはお前だと近々発表するからと)。その場合、事前に打診がなかった時点で道兼が跡取りに選ばれることは(現時点では)ない。
兼家の野心家な部分や、手段を選ばないところは道兼に見事に遺伝していて、それは兼家も間違いなく認めている。
けれども、道兼はあまりにそれが強すぎて、かつそれを自分でもコントロールできていない。
表向きは「私はまだ若輩者。これからは道隆兄上に従います」と言って大人しくしておこうとか、そういう判断ができない。
父に対する暴言、亡くなった後の宴会騒ぎが見事にそれを現しているし、ああいう言動は間違いなくすぐに広まってしまう。(実際に宴会については史実として残ってしまっている…)それによって一族への余計な非難を生みかねない。
こういう危なっかしさを読んでいたからこそ、跡取りには選べなかった。
あとは家庭内も惨憺たる状態。
道隆・道長が平和な(“謎の漢詩事件”はあれど笑)家庭を築いている中で、道兼夫婦仲は険悪な上、ついに妻に出て行かれてしまう。
あの時代、本当の意味での自由恋愛結婚はなかなか難しい面もあったでしょうが、今よりもっと「家のために子孫を」という考えが強かったのではないでしょうか。
だとすると「健全な家庭」を作ることも「一族の長」の仕事であったはずです。もちろん「娘を帝の妃に」と言っているのですが、道兼は「本当に野心だけ」で動いてるんですよね。機械的なんです。妻や子が逃げてしまう理由はそこでしょう。
内心はともかくとして、もうちょっと本心を隠しましょうよと。
道長はまひろちゃんを忘れられないけれど、それはそれとしてしれっと倫子さまと仲良くしているよ…
道兼は、一貫して不器用な人(?)
…と同情しそうになりますが、第一話のあのシーンが「あ、ちょっと待てよ」と邪魔しにかかります(笑)
第一話のシーンがなければ、現代の感覚で「父に認められなくて妻や子に邪険にされる可哀想で不器用な人」と感情移入してしまいそうになるのですが。
単に不器用なだけじゃなくて、自分の感情をコントロールできなくて、後先考えられなくて、手段を選ばない貴族、なんですよね。
あのシーンを入れたからこそ「父親に認められなくてかわいそう」という「現代劇でもありそうな家族間の揉めごと」で終わらせなかった。脚本が本当にすごいなと思います。
道兼の涙
妻と子が出て行ったあと、部下の家に転がり込んでご飯や酒を要求して帰らない、なんて文章化するとすんごい迷惑な行為(笑)
これまでの経緯を加味した上で、道長の立場からすると「もういい加減にしろよどんだけ迷惑かけるんだよ」と言いたくなりそうなもんでしょうが、冷静に迎えに行く。
この道長の朴訥な雰囲気がとてもいいですよね。お父さん(※柄本明さん)とはまた違った、凛と、飄々とした感じ。
道兼は、父に認められること=跡取りになることだけを目標に生きてきてしまった。だからこそ、それが叶わなかったから希望を失って、自暴自棄になってしまう。
跡取りになるための方法も、父に従って汚れ役をやればなんとかなると(実際“役に立って”はいたのですが)盲目的に父を信じ切って、空回りしていた。
道長の「まだこれからではないですか」という言葉に涙する道兼。このときの泣き方、めちゃくちゃ上手いなと思いました。静かに泣くのでもなく、わあわあ喚くのでもなく。自分の感情をどうしていいかわからないときに、ふと何か「きっかけ」が見えたとき、確かに人ってああいう泣き方するなと思いました。
大人だし、立場もあるし、プライドもある。
だから泣いて喚いて縋り付けないけれど、かといって静かに涙を流すほど落ち着いてはいられない。
どうしようもない感情を爆発させたときの泣き方。
さて。「疫病」の流行による不穏な終わり。
この後、どのように話が動くのか引き続き正座待機します、(なかなかリアタイでみられてない、、、