僕たちは幸せになるため この旅路を行くんだ
先月、友人の結婚式があった。
それからか、結婚式ソングとしても有名な浜崎あゆみのVoyageという曲にはまった。
現在26歳の私からすると、2002年のこの曲は聞き覚えはあるもののど真ん中の世代ではないため、とても新鮮な気持ちで聴くことができたのだ。
聴き始めた当初は、結婚式を機に2人で歩んでいく新郎新婦を浮かべて感動していたのだが、結婚式を終えた今、また違う感情が芽生え始めている。
1.僕たちは幸せになるため この旅路を行くんだ
この記事を目にした人の中に「自分には幸せになる権利はない」、そう考えたことがある人はいるだろうか。
私は、ある。
沢山の人に迷惑をかけてきた過去、消してしまいたい黒歴史、周りの人を傷つけてしまったことがあるという罪悪感。高校生になった頃から、人のために生きる道を選ぶと同時に、自分の人生は二の次だ、幸せになる権利はないのだ、そう感じるようになっていた。
決して、気に病んでいたわけではない。ただ過去を報おうとする想い故に、自分のことを後回しにすることが正しさであり示しだと思っていたのだ。
しかし、今の私は、人のために動きたいという気持ちと同じぐらい、またはそれ以上に自分が幸せになりたいという想いで日々を生活している。
それでも、グッとくるのだ。刺さるのだ。改めて気づき、10年前の私に伝えたいと願うのだ。
"僕たちは幸せになるため この旅路を行くんだ"
2.幸せになることを恐れ、幸せでいることを言えずにいる人へ
日本という国は謙虚であることに美学を感じ、人の幸せを素直に喜べない風潮が強い。
SNSを見ていても何かあれば不幸自慢、苦労自慢が先に目に入る。嬉しいものは嬉しいと、好きなものは好きと言っているだけなのに、どこか曲がった受け取られ方をしてしまいがちな世の中だ。
かつての私も、自分が幸せになることが自分の我が儘だと感じていた節がある。だからこそ、対極にある人のために動くことを自分の使命とし、謙虚に生きようとしていた。それが美しいと思ったから。今まで散々迷惑をかけてきた自分の我が儘は許されないと思ったから。
幸せになることは我が儘だ。かつての私の考えが、特異的だという自覚はありつつも、そう感じるのは私だけじゃないのだろうとも思う。
誰もが幸せになる権利があるはずなのに、幸せになることを恐れている、幸せであると言えずにいる、そういう人が少なくないのではないだろうか。
全く、生きづらい世の中だ。
でも、きっと、そう思っているのは意外と自分だけで、現実はもっと単純なものなのだ
幸せになっていいのだ。
幸せだと胸張って言っていいのだ
なぜなら、僕たちは幸せになるために、この道を行くんだから。
幸せになるために、生まれてきたのだから。
偉人の言葉ではないけれど、人生の本質を浜崎あゆみという平成の歌姫が教えてくれてたのだ。
令和に生きる私たちに待ち構える世界が、試練と困難が多いと知っていたかのように。まるで、幸せになることを恐れ、幸せでいることを言えずにいる人たちの想いを代弁するかのように。
大きな声で、はっきりと。
どうか、幸せになることを恐れないで、幸せだと言うことを悩まないで。
幸せになることを恐れるあなたへ
幸せでいることを言えずにいるあなたへ
幸せになる権利がないと感じていた10年前の私へ
贈りたい一曲。浜崎あゆみのVoyage。