30:共に死のう
「君って、才能ないよね?」
上司は机の上で嘲笑う。
ことさらに自分の身なり、心構えを貶しながら、
その痴態をオフィスにさらさんとする。
6つ下の先輩も嘲りながら、自分の帰り道に唾をかける。
また始まる、終わることのない作業。
いや、実際には終わる作業も、ずっと続けて早10年。
出世コースからズルズル落っこち、万年平の自分を、
この世界は拒絶している。
人のために働きたいと思ってたんだ。
認められて幸せになると思ってたんだ。
仲のいい人たちと幸せに仕事し、
冠婚葬祭に一緒に参加して、
感情を分かち合えると思っていたんだ。
全ては自分のせい。
その環境に甘んじて、何もしなかったからだ。
最近は観葉植物の水やりも板につき、
窓際で光合成させられている。
その光線は冬、スポットライトのように、
横顔に差し込む。
『こうはなるな』の暗示が込められた、いやに綺麗な光線である。
それをみて、皆心を入れ残業する。
日も暮れ、光も人工に変わると私は帰路へと歩き出す。
残る意味もない。やることもないからだ。
自分の家へ力無く歩く。
電車で二駅、もっと近くても良かったと思う。
公園にあったキャラものの水筒。
その忘れ物が、嫌に幼少期の思い出を想起させる。
亡くなった母への墓参りも久しく行ってない。
家、黒い空間にドス黒い塊が崩れ落ちる。
すぐさま起き上がって、あかりをつけるが、
つけてもそこまで変わらない。。
次の瞬間、全てが壊れた。
記憶が遠のく、体のコントロールができない。
暴れた35の男に、ワンルームは耐えられなかった。
テレビはほこりと共にまい、机はたおれ、
かったべんとうをぶちまけ、スーツをぐちゃぐちゃにひきさいた。
誰からも怒られない、ただ自分だけが大変な木曜日。
気づいた。人は平等じゃない。
そうだ、俺は悪くない。
悪いのは世界だ、この世界だ。
世界が僕を下へと追いやるんだ。
何が正義だ。何がやりがいだ。
搾取されるこの世界のシステムがダメなんだ。
そうだ、だったらここから飛び降りて逃げよう。
どうせこの世界はダメなんだ。死んで次の世界で頑張ればいい。
そうだ、そうだ、そうだ。
背中に何かが触れた気がした。
気づくとオフィスに戻っていた。
警備の穴をおれは知っている、伊達にここで10年やってたわけじゃない。
指定のルートを駆け上がる。
おれは幸せだった。
解放される喜び、このクソ世界とさよならできる。
おれは一心不乱に階段を駆け上がる。
自死のために駆け上がる。
体が痛い、いやにでかいなこのビル。
だが今は関係ない。
通用口の扉を勢いよく開ける。
『ガチャ!!』
美しかった。
24階から見るこの空は、あまりにも美しく言葉を飲んだ。
その足でビルの端を目指す、走る。
走る走る走る。
靴を脱ぐ?遺書を書く?
そんなことどうでもいいのだ。
死にたい時に死んで何が悪い。
柵を一気に飛び越え、
私は空に舞った。
飛んでいるような気持ちとは、こんなに心地よく清々しいものなのか!
最高だ!なんて美しいんだ!
笑顔になるのもいつ以来だろうか、開放感に包まれた。
そうだ!あの空を最期に見たいな。
スローモーションの感覚の中、体をよじり空を仰ぐ。
すると屋上に、見たことある人影があった。
6つ下の後輩だった。
おかしい、今は終業後、なぜそこにいる。
柵に掛かっていたジャケットと、夜空に照らされた一瞬の表情を捉えた。
私は確信した。
「ああ、君も今日だったんだね。」
見たこともない表情だったが、私は分かったのだ。
そして今自分がしていることも理解してしまったのだ。
死を前にして恐怖に打ちひしがれる表情。
彼は少し尊敬の眼差しに変わり、私を見ていた。
だが、私はそれどころではない。
正気に戻ってしまった!
死にたくない
ああ、死にたくない!
生きたい!!
と心から叫んだ。
時はすでに遅かった。
次の瞬間、私はアスファルトに落ちた。
深夜0時、クワの実が落ち、赤く濁った色のアスファルトだった。
追記)
こんにちは、作者のもんてんです。今回は少し長めに自死をテーマにした、超短編を書いてみました。警視庁発表の昨年2020年の日本の自殺者数は2万人ほどであり、世界的にも高い水準であるのは周知の事実です。もし、自分自身が自殺をするとき、他の誰かがその場に居合わせたのなら、自分の置かれている状況を客観的に見て、冷静さを取り戻すことになると思います。居合わせ人すら同じことをしていても、果たしてそうなのか。今回はそこを少し考えながら描いてみました。
※本作品は全くのフィクションであり、お借りした写真は作品とは一切関係なく、架空の登場人物です。ご了承ください。