53:ご飯
家族の間に漂う空間。温もり。
家族と過ごすなんて、とても久しぶりだった。
久しぶりに帰った実家で、3年ぶりの家族団欒。
私の部屋や椅子、お茶碗まで大切に残っていた。
私の大好きな子猫のお茶碗は、
経った時間を思い知った。
私を中心に展開される夕ご飯。
少しの優越感と、懐かしい感じが、
私を18歳へと誘った。
いつもがそこにあった。
祖母と弟は、早くに食事を済ませて
いってしまう。
妹は静かだが、ぽろっと面白いことを言う。
周りが見えている、さすがは真ん中っ子。
母は私の会話をよく聞いてくれる。
くだらない会話で、笑っている。
父はお酒を飲むと上機嫌に冗談を言う。
少し老けたかな、焼けていてわからないな。
机も少しガタがきている。
それも、私の3年間を教えてくれる。
片付けも一瞬で終わった。
分担して、米とぎ、皿洗い、
テーブル拭き。
阿吽の呼吸がそこにあった。
少し狭いダイニングは、
愛と塵を匿った。
20XX年、核はまた、日常を奪った。
爆風より先に情報が届いた。
私は泣いた。
日が暮れ出す6:50。
家族は食卓を囲んだ。
次の瞬間、世界は真っ白だった。
この家も時期に朽ちていくそう。
形が残っているだけ奇跡だと、
自警団の人たちは話してた。
いつもの食卓の席に座る。
こんな椅子まで残ってたんだ。
防護服越しのスポンジは、
もうボロボロだった。
放置された青空が、
まだあの日を遺している。
小さな草木が生い茂っていた。
3年前とは違う植物が、
この家を支えていた。
ありがとう、弔うことはできないけれど、
いつもそばにいてね。
走り去る車の中で、空を見上げる。
揺れる道路は街灯に、小さく火をつけていた。
(後書)
この作品を描こうと思ったきっかけは、帰省した時に弟が戦争に関する読書感想文を書こうとしていたからです。自分と社会の戦争に対する認識は違うと思います。特に実際に戦争を経験したことのある人とない人との認識の乖離は致し方ないことだと思います。それでも描いてみようと思いました。ご了承ください。
いきなり日常を奪われた主人公。その空間にいられなかった喪失感と無力感が、3年ぶりにその地域に足を踏み入れる時に幻想を見せてきたのです。徐々に幻想と現実が入れ替わり、哀れみが彼女を襲っていきます。しかし、それは政府や世界に対する怒りに変わるのではありませんでした。彼女は自分自身の心中に落とし込もうとするのです。それはこの物語には描かれていない、同じように家族を奪われた若者たちのことも、彼女が見てきたからでしょう。放射線によって、長期滞在ができないことで、遺体を持ち帰ることもできず、物と同じように朽ちるのを待っていくだけだという残酷な現実を受け入れていくと言う設定です。
醜い抗争や武力衝突はいつか止まる時がやってくるでしょう。しかし、その礎を築くために戦争をすると言うのは、私は個人的に間違っていると思っています。争いのない豊かな世界、そして唯一の被爆国国民としての恒久的平和を私は望みます。