私にとって海外とは
私にとって海外とは自分と向き合い、心の自由を取り戻す場所だった。
旅行で留学で駐在で、海外に足を踏み出すたびに様々な挑戦があって、乗り越えたことは自分の礎に、心に響いたことは結晶化されていつまでも心の奥に、その時一緒にいてくれた人たちとの絆は特別なものになった。
日本で生まれ育った自分にとって、他の価値観・場所があり日本以外でも生きていけると知ることは、その後日本に戻っても心に自由をもたらしてくれた。
簡単に言えば、ものごとを見る別の「ものさし」を手に入れたということだろう。
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小学生の頃に海外旅行に行ったことがあるが、当時は心の自由なんてことは思わなかった。では心の自由は(完全にではないにしても)どこで失われたのか。おそらく義務教育後半からの学校生活の中で、出る釘にならないため抑圧された考え方・振る舞いをして集団に順応して来ざるを得なかったその過程だろう。
中高時代から基本的に多数派(マジョリティ)に心からは染まれないタイプだった。しかし、出る釘にならないよう周りに順応することを続けるうちに、自分のことがよくわからなくなり、自分について深く考えることも少なくなっていた。
だからこそ、自分の足でしっかり自分自身を代表して立たなければいけない海外の環境は自己を客観視し理解を深めることを通じて「自分自身を生きる感覚」を再び与えてくれた。
(その後社会人になってから、友人に私は「メタ認知」をしていると言われたが、メタ認知ができるようになったとすれば、留学の時からだと思う)
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そして結局海外であっても、いや海外だからこそ、自分の第六感はかなり当てになる。
母国より言葉が不自由な環境において第六感で感じたことや日常で生じた心の声が、それまでの自分の価値観・考え方との間で認知的不協和をもたらしたなら、それを解消しようと自分の都合のよい方向に、「たぶん第六感や心の声が間違っているんだ」と簡単に片づけようとしない方がよい。立ち止まってよく考えてみる価値があるものなのだ。
そういう自分にとっての生きるためのエッセンスも、私の場合は日本の外に出ることで体感の中で学んだ。
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今後日本に住むとしても海外に住むとしても、私を支え続けてくれる「ものさし」。心に自由をもたらし、より自分らしく生きられる「ものさし」をくれたこれまでの経験に感謝している。
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