『アーダ』[新訳版]ウラジミール·ナボコフ 著/若島 正 訳/早川書房
「鏤(ちりば)める」
読めませんでした。無作為に何かを散らすのではなく、慎重に場所を決め、そこに「嵌め込む」。この作業を「鏤める」というのだとか。
ナボコフが『アーダ』に潜ませた様々な隠喩、皮肉、洒落、オマージュ、そして作中の言葉で言うところの「華麗な美文」 (purple passage) には、「鏤め」られているという言葉がぴったりだと思います。
物語の舞台は「アンチテラ」という地球とよく似た惑星。そこには、同じ花が咲き、同じ蝶が飛び回り、同じ画家の絵が存在します。でも電話がなく、代わりに「伝話」という水の力を使った通信手段があったり、チェーホフの『三人姉妹』は、『四人姉妹』だったりもします。
この「アンチテラ」に住む二人の主人公、ヴァンとアーダ。幼い頃は、知的にも性的にも早熟だった二人ですが、無邪気にさえ見える残酷さ、不道徳さ、そしてお互いへの一途な想いを変わらずに持ち続けます。ある意味、子供のままで歳を重ねていく二人の物語は、大人のための贅沢なおとぎ話という感じです。
煌やかにおとぎ話を飾るのは、巧妙にカモフラージュされ、時にあからさまに登場する数え切れない程の文学作品。何を仄めかしているのか判然としなかったり、全く意味がわからない箇所さえあり、特に上巻はかなり苦労して読みました。
ナボコフ自身による注釈も謎めいていて、あまり当てにすることは出来ません。知らない!(知りたい!)わからない!を面白いと思える人にはお勧めできる作品です。
あとは美しいものに目がない人や、絵画や映像に興味がある人にもぜひ手に取って頂きたいです。とはいえ、「エロ」は濃密な描写から単なる下ネタまで、「グロ」は片目を瞑って読みたくなるような下りもあります。でも、そこを補って余りあるほどの美しい文章には、心底酔わされてしまうと思います。
赤いチェスの駒、紫の絵の具の付いた筆先、ジョージア·オキーフの白を思わせる肌をしたアーダとレンピッカの『緑のドレスの女』から抜け出してきたかのようなリュセット、という美しい姉妹。
作品を読んでいて頭に浮かび上がってくるイメージは、美しく鮮やかな色で満たされています。心情の描写でさえも映像作品を観ているようで、ナボコフの筆の冴えには目を見張るばかりです。
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」。フランスの詩人アロークールの作品の一節が元になっているこのフレーズ、チャンドラーの『ロング·グッドバイ』で有名ですね。実は『アーダ』にも少し形を変えて(それも、2回も!)登場します。ナボコフはどちらにインスパイアされたのでしょうね。(静)