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チーノと呼ばれて

チーノとは、スペイン語で中国人のこと。ちなみに日本人はハポネスと呼ばれます。中南米を自転車で旅していると、様々な場所で中国系らしいお店や人々を目にします。

ペルーでは、過去に政策として中国人を移民として受け入れたようで、その時から中華料理が各地に広まり、現在も小さな村に唯一あるレストランが中華料理屋だったりします。超大盛で薄味なペルー流の中華料理は、量とカロリーが欲しくなるような旅疲れした時にはとてもありがたいものです。パナマでは、スーパーのほとんどは中国系の人達が営んでおり、地元の人達はスーパーの事をチーノと呼んでいたりするほどです。

また最近は中国が中南米に融資や投資をしていると聞きます。確かに、色々な国で道路工事やダムの建設、それに関わる看板等に中国語が使われています。支援に合わせて労働者も引き連れてきているようですね。

大きな荷物を積んだ自転車で走っていると、様々な場所で地元の人に話しかけられます。自転車好きな人や世話好きな人となると、世間話から始まって別れ時には応援物資だと言って飲み物や果物や現金まで持たせてくれたり、そのまま家に招待して食事を振る舞って一泊させてくれる人までいます。

バックパッカーとしてアジアやヨーロッパを旅していた時は、特別な目的が無い限り、情報量が多くて交通の便が良い観光地にたどり着きがちでした。そういった場所では、地元の人も観光客慣れしているため、外国人だからと珍しがって話しかけられる様な事はめったにありません。

自転車の旅では毎日体を洗うことは難しいため、土埃や汗で汚く、贅沢な外国人観光客にはとても見えないでしょう。また自転車という誰もが経験的に知っている、現代において長距離移動に適しているとはとても言えない乗り物で旅行している姿も、見る人によっては笑えたり愛着が湧いてくることもあるでしょう。とにかくよく話しかけられます。

もちろん友好的に声をかけてくれる人がほとんどですが、ごく稀に不快な思いをすることもあります。からかわれたり、パートナーである同行者の女性に対しては、性的な罵声を浴びるようなことも。続けて何度もそのような事が起こると、その日は暗い気持ちになり、町の印象も悪くなり、とても残念です。

中でも頻繁に起こり、複雑な気持ちになるのが、チーノと呼ばれる事。ラテンアメリカでは目の細い人と東アジア人を総じてチーノと呼びます。私の親族は知る限りでは皆日本にルーツがあり、私自身も見た目はしっかり東アジア人なので、チーノ!と少し遠い所から、時には強い口調で笑いながら呼ばれることもあります。

中央アメリカを走っていた時は、メキシコから自転車で南下中だと伝えると大抵驚かれましたが、南アメリカに入ってからは同じ説明をしても反応があまりありません。おそらく距離感が掴めなく、想像がつかないのでしょう。その気持ちはよく分かります。私も、東南アジアの国々の位置関係を突然聞かれても、地図で確認しないとはっきり分かりません。

ましてや東アジアは彼らにとっては地球の裏側です。日本人だと伝ると、日本とは中国のどのあたりに位置するのか、なんてことを尋ねられても納得がいきます。遠すぎて情報も入ってこない上に関心も湧きにくいのでしょう。

地元の人同士でも目の細い人をチーノと呼ぶということは、意図的に揶揄している場合も中にはあるかもしれません。しかしほとんどの人々は周りが皆そう呼ぶから特に何も考えずに同じように使っているだけだと想像します。

しかし頭では理解し、文化的な違いも加味した上でも、チーノと呼ばれる事への複雑な気持ち、不快な気持ちは止められません。中国出身の親友もいる私にとって、決して中国は嫌いな国ではありません。実際には知らない事がほとんどです。

ではなぜ不快なのか?明らかに揶揄している人は別としても、悪意が全く見えない気の優しそうな人に言われた時でさえ嫌な気持ちになるのには、自分でも納得がいきませんでした。しかし、嫌だったなあ。で終わらせたくなかったので、原因を探りたどり着いた一つの結論として、固定観念で決めつけられる事に違和感があるのだと考えました。

特に自分の意志で変えにくい、または変えられない事に対しての判断を、私の意思とは別の場所から引用されて決めつけられると、抵抗感や違和感を感じます。民族や性別を見た目で決めつけ、性格や趣味趣向までを誰かが言った価値観をあてはめて奥まで知ろうとせずに、時には可能性にまで蓋をする。

ジェンダーの問題に通ずるところもあるかと思います。男性である私1人で行動している時には気付かなかったことですが、女性であるパートナーと共に地元の人と話していると、時々こんな人がいます。会話中は目線を私の方から外さず、特に話が専門的だったり複雑になってくると私に向けて話し続けます。スペイン語が流暢なパートナーが話を進めているのにも関わらず、です。特に歳を重ねた男性に多いですね。

これは裏を返すと、女性には分からないだろうという固定観念から来ていると、パートナーは憤慨します。そんな事は無いと考えていましたが、注意して観察してみると、確かに明らかに男である私に対してのみ敬意を示す人が一定数いる事に気が付きました。

パートナーが感じるその嫌悪感も、私が感じたチーノと呼ばれる事に対する違和感も、大小の違いはあれども根は同じで、相手に対して想像力や理解力を働かせずに思考停止し、価値判断を他者に委ねてしまう怠惰で横柄な態度に問題があります。

とはいえ、私自身もパートナーに言われるまで女性軽視の細かい所には気が付きませんでした。無意識に多くの人を傷つけてきたことと思います。パートナーの出身である多文化社会のブラジルと違い、日本で日本人として暮らしていると、背景の似た人が集まっているため、なかなか違いに意識を向けにくい所もあるでしょう。

見た目は男性だけど心は女性の友人を、出会った当初に彼と呼んでしまったこともあります。後ほど気にして彼女のことをよく見てみたら、身なりや動作に思う所がいくつもあり、慎重さや繊細さに欠けていた自分に気付く出来事となりました。

敬意と好奇心をバランスよく持ちながら他者と接すれば、負う必要のなかった心の傷を減らすことができると考えます。人の性格や趣向は人の数だけあるため、そう簡単には理解できないのは当然のことながら、悪意が無かったから仕方ないでは済ませられません。注意して観察し、少し想像すれば避けられる事は、私が思うより遥かに多く、相手から理解を示されれば、肩の力が抜けて存分に力を発揮できるようになる人も無数にいるでしょう。お互いの違いに興味を持ち、才能を見出し合える関係を作れるよう、日常に潜む些細な出来事や自分の経験にも、表面のみを見てしまっていないか、常に問いかけていこうと思いました。

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