そう、春が来たのだ。
春がきた。
暑さに強いわりに寒さにめっぽう弱いので、
私は冬が苦手だ。そして、夏をこよなく愛している。
ああ、夏。賑やかで、騒がしく、そして、どこか懐かしい季節。
夏。1年に数ヶ月だけ会える私の恋人。
しかし今日は、夏について書きたいわけではなかった。
今年の春についてだ。
何を言っているか分からないと思うが、今年の春は、私にとって体感的に10年ぶりの春という感じがする。
勿論、私は毎年春を経験している。
重い花粉症から始まり、暖かいんだか寒いんだか分からない、なんだかぼんやりして気怠く、どこか落ち着かない春に対して、私はプラスの感情を抱いたことがなかった。
冬が過ぎて、夏に向かうまでのただの通過点。まあ暖かくなってきたのは嬉しいが、花粉症持ちの身としては、できれば早く過ぎ去ってほしい季節。
しかし、今年の春は、違った。何と言えば良いのだろう。
気づいたら、春が来ていて、それがとても美しかった。ずっと、待っていた。
これまで、こんなに春が美しいと思ったことは無かった。
こんなにも世界は鮮やかで、明るく、美しいのか。
現実はあいも変わらずグロテスクで、混沌を極めている。
一歩間違えれば、深い闇が私たちを飲み込もうと口を開けて待っている。
でも、それでも世界は美しい。
どうしてこんな気持ちになったのだろうか。
10年ぶりの春。体感的に出てきた数字だけれど、考えてみれば、父が亡くなってから、今年でちょうど10年になる。
10年前の11月。冬の始まりの季節。父は急に死んでしまった。
それからは、目の前の生活をただ、こなしていくだけで精一杯だった。
出来るだけ、下を見ないようにしていたけれど、私の隣には、深くぽっかりとした闇があって、気を抜けば、私たちを飲み込もうと待ち構えていた。
とうの昔に乗り越えたと思っていたけれど、私にとっての冬は、今の今まで続いていたのかもしれない。
飲み込まれないように、出来るだけ思い出さないようにしてきた。
しまい込み、隠し、一緒に生きてきた闇が、10年という月日によって、溶かされてきたのかもしれない。
溶かされた闇は、私の一部となり、それでも結局父の死に対して、まだ折り合いをつけることはできないけれど(暗い記憶は思い出さないだけで精一杯)、春が始まったのだから、きっとこれからも私は、私たちは大丈夫なんだと思う。
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