顔の美醜、および自然の鏡について
顔について色々思うところもあって読んだTed Chiang "Liking What You See: A Documentary"とDavid Foster Wallace "Philosophy and the Mirror of Nature"について書くんですが、書きます。
映画の『メッセージ』を見た後で原作となった「あなたの人生の物語」の作者であるテッド・チャンについて少し見ていたら「顔の美醜について」という短編があることを知り、タダで読めそうだったので、読んだ。もしも人の顔の美醜が分からなくなる技術が開発されたらどうなるか、そして大学でそれを施すことが義務付けられようとしていたらどうするか、という思考実験的な短編で、ルッキズムの問題や人間の成熟なるものは技術によってブーストされてよいものか、といった問いをこねくり回しているのかと思ったら、それは次第に広告の話、ひいては合理的に制御出来ない欲望に対する人々の恐怖が問題になっているのだと分かる。というか、技術によって顔の美醜の判断を停止する、という倫理的っぽい選択の背後にそのような恐怖があることをチラ見せする、みたいな話だった。
それにしてもテッド・チャンは人の気持ちみたいなことを書くにあたって極めて素っ気ない。なんていうかステレオタイプな表明をさせることである人物像を不器用に導入する、みたいな。かわいい女の子とセックスすることしか考えていないクソ男のテンプレ的人物が出て来るんだけど、そいつの語りが気の抜けたもので、次に話すウォレスの例えば"Brief Interviews with Hideous Men"に出て来る"hideous men"たちのひどさと強迫的な行動原理の語らせ方を考えると、まあ当たり前だけども種類の全然違う作家だなあ(濁し)と思う。とにもかくにも私は思考実験的な設定をそのまま実験の舞台に上げることがそんなに面白くは感じられない。
ウォレスはいつでも強迫観念祭なので好き。"Philosophy"はごく短い短編で、顔のちょっとした整形手術を受けたら失敗して常に正気とは思えないほど恐れおののいた表情、人間が叫び出すまさにその寸前の顔、になってしまった人の話だ。その顔をどうにかするために、彼女はもう一度手術を受けるのだが、その医者も失敗して表情は更にひどくなってしまう。そのために訴訟を起こして弁護士の事務所に通うのだが、バスに乗るのに語り手である息子の付き添いが要る。彼自身もデカくてゴーグルや手袋をしているので否応なく目立つので、絡んでくる人を威嚇する役目を負っているのだ。まあそれだけの話なんだけど、やっぱりウォレスの細かすぎて伝わらない何とかみたいな微細な意地の悪い叙述とかが、いけ好かない言い方をすればこの作家の「表情」を作っていて、好き。好きを言いたい。
ところでタイトルはリチャード・ローティの『哲学と自然の鏡』をそのまま引いている。ぜんっぜん分からないのだが、顔がその人の内面を映し出すという通俗的な認識をローティに引っかけて皮肉に言っているのだと取り敢えずは解した。で、顔の作りはともかくとして、表情をおそらく含む顔面のもっと精妙な要素にこそ人の内面が出るのだ、とする立場は結構あるとし、"Liking"にも出て来る。が、そのような鏡であるようなオーセンティックな外見もまたひどく脆弱なのだと思う。
最初に包帯が外れて鏡を見たとき、彼女は「それが反応なのか刺激なのか、もし反応であるとしたら、反応自体が表情であるのだからそれは何に対する反応なのか」分からずパニックになり、鎮静剤を投与されることになる。こんな風に再帰的に自分の顔を見るということはおそらく普通にはなくて、何故なら多くの場合一旦目を逸らすということが選択されるから、なのだけれど、多分、表情の描写をするに当たって映画における人間の表情が引き合いに出されることと関わっていて、観客が大写しの一つの意味を担った顔、表情と差し向かいになることとかに関してはまだなにも考えていません。
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