私たちが入門書で挫折するわけ
網羅性を避けた理由
これまでに私はいくつかのプログラミングの教本を書いてきましたが、そこにはひとつ共通するコンセプトがあります。
たとえばウェブアプリ開発ツールのReactについて書いた『はじめてつくるReactアプリ(2024年4月第2版リリース)』であれば、Reactというツールの全事項の紹介はしないということです。
教科書風の入門書でよく見る網羅性を目指すものとは真逆のアプローチでした。
網羅性や包括性を目指さなかったことには、次の2つの理由があります。
• 列挙は退屈
• 親切じゃない
それぞれについて少し説明をします。
列挙は退屈
ある分野のすべてをカバーしたものを作ろうとするとき、その中身はどうしてもそれぞれの項目を列挙したものになります。
高校時代に使っていた英語の文法書を思い出してみましょう。
「動名詞」「不定詞」「仮定法」「関係代名詞」といった英語文法の各項目が並んでいたはずです。
全範囲をカバーしようという網羅性・包括性をめざすとき、構成がこのような知識の列挙型となるのは避けられません。
辞書も同じです。
すべての言葉の意味を網羅しようとする結果として、辞書の構成は知識の羅列になっています。
そしていわずもがな、このような列挙は退屈です。
なぜ退屈なのでしょうか?
この理由は、今から書いていく私が網羅性を目指さなかった2つ目の理由につながります。
読者に親切じゃない
知識の羅列が退屈な理由。それは、それぞれの項目の「つながり」がわかりにくいからです。
「不定詞」「仮定法」といった個別の項目を解説されても、読者は「それらはどうつながっているのか」、そして「どう使うのか」がわかりません。
「不定詞」の知識を得て不定詞の文は作れるようになっても、文章には通常複数の文法が使われているのが普通なので、不定詞の知識を他の文法と組み合わせて意味のある文章を作ること、つまり「使い方」がわからないのです。
(この例外は「不定詞について知りたい」「関係代名詞について知りたい」という、はっきりした目的を持って本を開く人ですが、こういう人たちはすでに該当の知識をある程度持っている中級者や上級者たちで、「知識の確認」のために必要なところだけを見返しています。1ページ目から順々と読んでいく人たちではないでしょう。)
各項目のつながりがはっきりせす、そしてそれをどう使うのかもわからなければ、当然わたしたちは退屈します。
各項目の関係性、いわば「ストーリー」が見えなければ、記憶にも定着しません。
バラバラと細切れになったことの羅列を読み進めるモチベーションが湧かないのは当然でしょう。
さらに知識の列挙は、そもそも読者に不親切といえます。
読者はずらっと並べられた断片的な知識の関係性と使い方を自ら見つけていく必要がありますが、それがいつ見つかるのか、そしてそれまでにどれだけ時間がかかるのかは誰にもわかりません。
「仮定法」の知識を得ても、それを実際に使ってみて「本当の使い方」を体得するまで読者は待たなければいけないのです。
このような「余計な負担」は、読者に親切とはいえません。
私たちが本を開いて1ページ目から読んでいくのは(それが小説ではない場合)、いま役に立つ、いま使える、そしていま学ぶ価値があったと思えることを、できるだけすばやく、できるだけラクに身に付けたいからです。
そういうニーズが読者にあることを書き手が意識しているなら、できるだけ読者の負担が少ない伝え方や構成を選ぶのがもっとも自然な選択肢となります。