あの頃、自分が透けていく感じがした
この頃、自己肯定感という言葉をよく聞くようになりましたが、(昔からあったのだろうけど気にしてなかった笑)
みなさんは自分のことを肯定できていますか?
自身を認めて、愛することができていますか?
ちなみに私はあまりできていません。笑
すぐに人と比べて落ち込んじゃうし、寝る前に失敗したことや、恥ずかしい場面がフラッシュバックして自分の存在がみんなの記憶から全て消えてなくならないかと考えてしまいます。
そして忙しい時や自信をなくした時は自分の未来に希望が持てなくなり、生きているのがしんどいくなります。
特に高校生の間はこれらの感情が本当に酷くて、毎晩のように良くないことを考えながら過ごしていました。
私の頭の中に常に他人が住んでいて、少しでも人と違うことをしたり、道を外れると「これでもか」というくらい非難してくるし、自分の嫌な所ばかり突いてくるんです笑
(ただの被害妄想だし、本当に自意識過剰すぎる)
わかってはいるんです、「みんな違ってみんないい」
多様性や個性こそがその人を魅力的にさせるもので、
唯一無二の存在にしてくれるのだと。
それなのに集団生活を送っていると、自分の嫌いで醜い部分ばかり大きくなって、好きだと思っていた部分が削ぎ落とされていく感じがするんです。
あの息苦しい教室で授業を受けているとき、通学電車に乗っているとき、模試の丸付けをしているとき、
私は自分の色をどこかに落とし、 透明になっていきました。
自分がわからなくなって、輪郭がなくなり、しまいに溶けていく感覚。
もはやこのまま最初からなかったことになってくれたら嬉しいんだけど
そういうわけにはいかないもので私の自我や自意識が「ここにいるよ」と叫ぶのです。
結局長い攻防の末、私は人と違う道を辿りました。
みんなみたいには出来ないし、「普通」にはなれない。
そもそもそんなもの存在しない。社会が作り上げた幻想でしかない。
早くても、遅くても、マジョリティじゃなくても、私1人しかいなくてもどんな人生を歩んだとしても自分のことは嫌いになりたくない。
自分のことだけは「特別」に思っていてあげたい。
難しいことだし、ついつい忘れちゃうけどその度に思い出して、
この世界で生きている私を救ってあげたい
人を助けられなくても、勇気を与えられなくても、自分のことを救えるような人間になりたい。
そしてそういう人に近づくほど、同じ想いを背負う誰かの灯になれるかもしれないと思う今日この頃です。
こんなところまで読んでいただきありがとうございます。
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