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ルーツ旅【山形庄内地方①】すでに学者がうちのルーツを調査していた

2017年7月下旬。私と小学5年生の娘は、東京から電車に乗りました。目指すは、山形県の庄内地方です。

はじめて乗る上越新幹線は、やたらとトンネルが多くて、日本の真ん中には山脈が通っているんだなぁと実感しました。途中の新潟駅では、珍しいおみやげものを目にして娘と盛り上がるなど、道中を楽しみました。

はじめて見た日本海は、広々としてまぶしく、これからのことを想像すると、胸が希望でふくらみます。

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▼大叔母の家に到着

乗り換えも含めて約6時間。夕方ごろようやく最寄り駅に着き、おばが出迎えてくれました。

「よく来たねえ、疲れたでしょ」

いえいえ。私は、これから武家屋敷を見学できるんだと思うとワクワクして、疲れなんて感じません。

おばの車に乗せてもらって10分ほどで、大叔母(亡き祖母の妹)の家に到着しました。一戸建てで、まわりを家庭菜園が取り囲んでいます。

90歳をとうに過ぎた大叔母は、老人ホームに入っているため、おばが家の管理を任されています。私と娘は、一階の客間を使わせてもらうことにして、しばらく休憩しました。

▼せっかくの武家屋敷が・・・

「そろそろ夕食にしようか」と、おばがいうので、
「その前に、武家屋敷を見に行っていいですか?」と、私は尋ねました。

季節は夏。まだ外は明るいし、本家まで歩いていけるんじゃないかと思ったのです。するとおばは、不思議そうな顔をして、

武家屋敷? あれは100年ぐらい前に、火事で燃えちゃったよ
と、いいました。

えっ?
  ええ?!
    ガーーーン!!

せっかく、楽しみにしていたのに・・・。

確かにおばは、「うちは昔、大きな武家屋敷だったんだよ」と言ったけど、今もあるとは言わなかった。そう、私の早とちりです。

おばは、ちょっと気まずそうに、「まあ、本家に写真があると思うから、今度見せてもらうといいよ」と、言いました。

▼家系図はどこに?

そうか、写真があるのか。ならいいや。
私はすぐに気を取り直して、

明日、本家に行って、家系図を見せてもらえるんですよね?」と、尋ねました。すると、おばはすまなそうな顔をして、

「それがねえ。〇〇さん、もう年でしょ。病気になって、こないだ入院しちゃったのよ。だから家系図は、また今度来たときにって

再び、
   ガーーーン!!!

家系図まで・・・。
私は一体、ここまで何をしに来たのかと、悲しくなってきました。

▼手渡された、謎の資料

おばは、ショックを受けた私の様子をみて、あわてていいました。

でも、本家から預かった資料があるよ。いま渡すから

そういって、ごそごそと戸棚をあさり、コピー用紙を何枚か取り出して、私に手渡しました。

ここに全部、書いてあるから

中をのぞくと、パソコンで作られた文書で、細かい文字がびっしり詰まっています。タイトルにはこう書いてありました。

「大庄屋 齋藤(下の名前〇〇)家系譜 (地名〇〇)齋藤家文書」

おばは少し誇らしげに、

「これはね、何年か前にある学者さんが、うちの家のことを調べて、まとめてくれたんだよご先祖様のことが全部書いてあるから、読んでみたら」

確かに、資料には、執筆者の名前と大学院名が書いてありました。家系譜の最後には、私の曽祖父の名前がみえます。
私は半信半疑で、資料に目を通すことにしました。

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もののふ椿🌺ルーツ旅であなたもドラマの主人公に✨
サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。