ニッポンの原点奈良・桜井 後編
次なる地は、三輪明神・大神神社だ。
大物主神(オオモノヌシノカミ)を祀っている日本最古の神社である。
本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝する原初の神祀りの様を伝えている。
この三輪さんこそが、事ある度に訪れる、私の起点となる神社なのだ。
第二の場所 大神神社
長谷寺を出て、駅へ向かう。
道中寄り道をしていたら電車を一本乗り過ごしてしまった。
ただ次の電車を待つだけでは面白くないので、もう一つ先の大和朝倉駅から歩いて行く事にした。
面白い出会いがあるかな〜と胸を膨らませる。
この道は一度歩いた事があるのだが、三輪山の麓を通るルートである。
田舎の田園風景を楽しめて、気分転換もできる心地の良い2キロ程のコースだ。
るんるんと歩いていると、ちょうど三輪山の頂上の周りだけ晴れていた。
雲は、龍の綿菓子のような形をしている。
道中可愛い生き物達とも出会い、私の幸せボルテージは上がっていくのだった。
民家の道を越えていくと山が深まった。
ここからは神の世界という訳だ。
大物主神に会いに、今日は遥々桜井に来ている。
大物主神はこわい神様だ。
生半可な気持ちでは中に入れてくれない。
伊勢神宮に祀られている天照大神(アマテラスオオミカミ)を、伊勢に追いやったほどの神である。
一旦深呼吸をして、私は鳥居を潜った。
今日も凛とした佇まいである大神神社。
まずは拝殿にて、二礼二拍手一礼。
「いつもありがとうございます。」と心の中でお礼を唱えた。
狭井神社に移動。
こちらは三輪の神様の荒魂(あらみたま)を祀っている。
病気平癒の神様として信仰が篤い。
裏にある井戸の水を有難く頂戴した。
狭井神社の側から、三輪さんの御神体に登拝する事ができる。
頂上まで片道1時間ほどであるが、その道中飲み食いトイレは厳禁である。
2年前に一度登拝した事があるが、そこでの体験は今までの人生で唯一無二の経験であった。
体いっぱいに三輪の神様のエネルギーを感じる事ができる。
今はコロナの影響で登る事は出来なかったが、再開したらまた登拝したいものだ。
いつもであれば、そのまま降りて家路に就くのだが、今日はもう一つ寄りたい所がある。
なんとなく行かなければならない気がするのだ。
そこは、久延彦神社。
第三の場所 久延彦神社
ここには、久延彦神(クエビコノカミ)が祀られており、知恵・知識の神として知られている。
この神様は面白く、久延彦神とは『カカシ』の事である。
古事記によると、少彦名神(スクナヒコナノカミ)が初めて出現した時、誰も知らなかった少彦名神の名を知っていた神が、久延彦神である。
知恵の神様がカカシだとは、日本の神話は頓知が利いていて面白い。
またこの神社には展望台があり、三輪の大鳥居や大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)などが見渡せる。
晴れていれば、二上山や葛城山も見る事ができる。
今日はなぜかこの場所、この景色を見たかったのかもしれない。。
参拝を済ませた後、展望台の方へと向かった。
空には雲が覆っているので、遠いところまでの景色は見えない。
ただ、ぼーっと大鳥居の先を見つめていた。
急に私のいる所だけ、雲に切れ間が出来た!
ぽこっと穴が空いたような。
すると、北側からアマテラス(太陽)が姿を現そうとしている。
出るか?!出ないか?!とアマテラスの登場を待ち望む。
完全に姿を現しはしなかったが、そのおかげで辺りが明るく照らされた。
霞んでいた二上山や葛城山も見えてきている。
この時間、この場所に居た者達だけに与えられた天(大物主神)からのギフトだ。
この土地に来るまで悩んでいた事、やろうとしている事を後押ししてくれているのではないか。
そのように私は受け取った。
神社に行き、人それぞれ受け取り方は様々だと思うが、私の中ではパワーをもらっているような感覚なのである。
どのような人生を生き、どのような選択をしても、それは個人の自由である。
電車を一本逃したからこそ、この景色を見る事が出来た。
色んな出来事のタイミングが重なり合って起こるものである。
『失敗した』『間違っていた』
と思うのは、その先にある新たな展開を考える事から、逃げているだけに過ぎないのかもしれない。
だから私は、今日桜井に来たかった。
負のエネルギーに巻き込まれないように。
自分の道を正しく生きる為に。
大物主神に呼ばれた理由だと感じている。
明日からの人生も、自分の信じる道を生きていこう。
文章:ボタ餅 写真:ボタ餅・てんぐ
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