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飛鳥・聖徳太子の風景

「今度の休み、飛鳥に行ってみようか。」

そんなふとした思い付きで行くことになった飛鳥。
私は物ごごろがついてから飛鳥に行った記憶はない。
おそらく初めてである。

着くまでに約1時間程あるので、道中少し飛鳥について触れてみよう。

『飛鳥』と言うと、やっぱり思い出すのは聖徳太子だろう。
この地は、かの有名な聖徳太子が生まれた地である。
明日香村にある橘寺で産まれ、幼き頃より仏教を深く信仰しており、日本に仏教を広めた偉大な人物だ。
古墳時代から脱皮し、新しい文化を発展させた中心地であり大化の改新後、天皇制律令国家へ飛躍した日本国家設立の時代であると言えよう。
今の日本の政治、経済、社会の礎が築かれた場所だ。
まさ教科書の世界が広がっている訳だ。

その改革の中心的存在であったのが聖徳太子であり、日本の文化と平和を象徴する最大の人物である。
日本人で聖徳太子の名前を耳にしたことがない人は、恐らくいないだろう。
推古天皇が豊浦宮(奈良県明日香村豊浦付近)に即位した592年から、元明天皇が710年に奈良平城京に遷都するまでの約100年に渡る飛鳥時代。
この時代が今の日本国家の始まりだと思うと、想像もつかないほど昔から受け継がれている事であり、聖徳太子の教えはそれほど大事であると言う事だ。

およそ今より約1400年前の時代に行ってこよう。

奈良と飛鳥

大阪から電車で約1時間。
電車の旅を楽しめると言う点においても飛鳥は魅力的だ。
のどかな田園風景が広がっているが、ツーリングに来ている人、観光に来ている人で明日香村はそこまで静かではないようだ。

まず見ておくべきモノは、やはり石舞台古墳である。
駅からタクシーに乗りその場所へ向かう。
車内で飛鳥について運転手は色々と語ってくれた。
ザ・観光といわんばかりの雰囲気。この感じ久しぶりで楽しい。

「飛鳥は初めてですか?」
そんな運転手の問いに
「奈良は何度も来ていますが、飛鳥は初めてです。」
と私は何気なく答えた。
すると運転手は、「飛鳥と奈良は違いますよ。」と言った。
その言葉に私は疑問を抱いた。
奈良県の中の飛鳥という意味で言ったつもりだが、運転手はあたかも国が違うというような言い方であった。
私はその意味を後で気付くことになる。

「間も無く石舞台です。今日は天気が良いので存分に飛鳥を楽しんできて下さい。」
運転手に見送られ、さて飛鳥ハイキングツアーの幕開けだ。

石舞台古墳は整地された公園の中にドンっと現れた。
6世紀の建造物と言われ、巨石30個を積み上げられ造られた石室古墳で日本最大級である。
大小、形もバラバラなこの巨石をバランスよく積み上げ、1400年間もの間様々な天災や戦に耐え、この場に建ち続けている。
大昔にこれほどの巨石を運んできたことさえ素晴らしいのに、耐久性にも優れに優れているとは、現代人も宇宙人もアッパレである。

どの人物の墓なのかは定かではないが、6世紀後半にこの地で政権をもっていた蘇我馬子の墓だろうと言う事が有力視されている。
蘇我馬子も仏教をあつく信仰しており、排仏派の物部氏と衝突していた。
聖徳太子と共に、馬子は物部氏を攻め滅ぼし、日本に仏教を広めていった中心人物の一人である。
神の時代から人の時代へ移り変わっていく、大改革の時代がここ飛鳥で始まった。
それほどの人物の墓であろうと言う事なので、このように立派なのも頷ける。
ただ偉大さで言えば、日本人誰もが知る聖徳太子の方が優っているのだと思うが‥。
なぜ蘇我馬子なのだろう?
生まれ故郷でありながら、ほとんど聖徳太子の存在を感じない。
土産物屋に聖徳太子キーホルダーやお饅頭などがあっても良い気がするのだが‥。
なんだかとても不思議である。

ぐるっと石舞台の周りを回っていると、一羽の鳥がずっと石の上にいる事に気がついた。
良い写真が撮れるぞとカメラを構える。
「毎日やって来るんですよ。」
ガイドのおじいさんがそう話す。
「私ボランティアでここのガイドをしているんです。毎日あの一羽の鳥がやってきます。不思議ですよねぇ。」
「一羽だけ?」
「そう。一羽だけ。」
動物だから本能のまま行動しているだけで、たまたまなんだろうが私にはこの古墳を守っているように感じてならない。
『飛鳥』の名に相応しい、凛々しい佇まいである。

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飛鳥の聖と俗


さてさて昼時になってきた。
昨日テレビで飛鳥が報道されたらしくレストランは満員。
古代米カレーと草餅を頂き午後の部スタート。

今日の最終目的地は飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)だ。
皆さんそろそろお気付きだと思うが、私は神社マニアである。
なぜその土地にある神社やお寺に行くのか?
それはただご利益にあずかりたいのではなく、神社やお寺は何百年、何千年も前からその地にあり、理由があって祀られているのだと言う事に惹かれるからだ。
その理由や神様の事を知り調べていくうちに世界の事や、人としてのあり方を学べるからである。
そうすると日本にある全てのモノが神話に基づき造られている事に気付き、日々がもっと面白くなるからだ。
今こそ、日本人はもっと神話を知るべきだと思う。

飛鳥坐神社までちょっとしたハイキングを楽しむ。
途中、岡寺に寄る。

岡寺は日本最初の厄除け霊場として人々から信仰されており、今よりおよそ1300年前天智天皇の勅願によって義淵僧正(ぎえんそうじょう)が建立したものである。
正式には『龍蓋寺』という寺名であり、この龍蓋寺という名は飛鳥の地を荒らし農民を苦しめていた悪『龍』を、義淵僧正がその法力をもって池の中に封じ込め、大きな石で『蓋』を改心させた事からその名が付いたと伝わっている。
『龍に蓋をする→龍蓋寺』という訳だ。

この悪い龍の厄難を取り除き飛鳥を守ったという伝説から、現在まで続く岡寺の厄除け信仰の始まりの所以の一つになったとされている。

この日も続々と厄を取り払いたい人々がこの岡寺に押し寄せてくる。
様々な厄除けグッズがずらり。
そのお守りを10ほど手に持ち今にも溢れ落ちになっている人。
ハイヒール姿で梵鐘を鳴らす人。
スピーカーから大音量のお経が流れてくる。
神聖さを唱えているはずが、俗にまみれているように感じた。
心静かにお寺へ来ている人がどれだけいるのだろう?と思ってしまうほど。

飛鳥に来るまでのどかな農村を想像していたが、かなり印象は違いとても商売っ気が多い。
実際に足を運ばなければ分からない事が、まだまだたくさんあるようだ。
なぜこの地にはるばる渡来人が多くやってきて、大陸の文化を伝え広めたのか。
今のところはまだよく分からない。
最終目的地に辿り着けば何か分かるのだろうか。

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飛鳥に行ってみようと決めた時、飛鳥坐神社の『おんだ祭り』が目に入った。
『おんだ祭り』とは毎年2月に行われるこの神社の大祭で、他の神社のお田植祭とはレベルが違うらしい。
何と言っても西日本三大奇祭の一つであり、稲の生長・豊穣を始め、子孫繁栄の子宝・縁結び・成育安全を願う多くの参拝者で賑わうのだ。
こう聞くとすごく神聖な儀式だと思うだろう。
だがその祭はとってもユニークで面白く、毎年多くの人々を魅了しているのだ。

なぜならこの天下の奇祭は、子孫繁栄をモチーフにした滑稽なセックス劇であるからだ。
天狗とお多福が夫婦となり、夫婦和合の儀式をするのだそう。
その劇があまりに滑稽で参拝者の笑いを誘うのだ。
私も一度見て見たいのだが、今はコロナで中止になっているので来年に期待!

この神社の面白さはそれだけではない。
境内の至るところに男女のシンボルである陰陽石がずらりと並んでいる。
陰は女性、陽は男性のシンボルを意味する。
よくもまぁ何千年も昔にこれほどの数の石を見つけてきたものだ。
なぜここまで男女のシンボルが祀られているのだろうか?
それには理由がある。

飛鳥坐神社には四柱の神様が祀られており、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)またの名を加夜奈留美神(かやなるみのかみ)、そして高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。
創建は確かではないが、大国主命の第一子である八重事代主神が大国主神より国譲りの後、八百万の神々を率いて天の高市(現在の飛鳥)に鎮まったとされている。

要するにここで祀られている神々は、高皇産霊神を除いて全てオオクニヌシ関連である。
三輪にある大神神社も、御所にある高鴨神社もこの飛鳥より近いところにある。
飛鳥の歴史は、大国主神由来であり今まで見てきた石舞台や岡寺より更に前からのものなのだ。
タクシーの運転手が『奈良と飛鳥は違う』と言った意味も、今ならよく分かる。
奈良平城京は、天皇の歴史。
一方で飛鳥は、神代の時代の歴史。
石舞台や岡寺がフィーチャーされるが、飛鳥の真髄は飛鳥坐神社なのだ。
聖徳太子の存在を全く感じないのも、飛鳥はそれよりも古いからなのかもしれない。
旅の後半に差し掛かり、どんどんと謎が紐解かれていく‥。

高皇産霊神は生成神、人間をつくった神とされている。
この神は古事記で一番最初に出てくる神様で、要するに全ての源であるという事だ。
前作『カモのはなし奈良編』で詳しく話しているので、興味のある人は読んでみてほしい。
高皇産霊神が祀られているから、この神社には多くの陰陽石があるのだ。
『おんだ祭』という奇祭をしたり、男女のシンボルである陰陽石が多数おいてあったり、一見かなり俗っぽく感じるが、逆に健全で神聖である。
全ては神の御業であるのだ。
厄除け厄除けとグッズを大量に買うより、この神社に参る方がよっぽど厄除けである。

本殿より上に登ると、なぜか見えにくくしてある社があった。
灯篭が立っているのに、その前にピタッと建造物が建ててあり拝む事が出来ない。
まるで見るなと言われているように。
どの神様を祀ってあるのかも書かれていなかったが、きっと高皇産霊神なのだろうと感じた。

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さぁ、飛鳥寺に寄って帰るとしよう。
このお寺は静かでゆっくりと時が流れているようだ。
地元のお寺という感じであるが、ここは蘇我馬子の発願により建てられた日本最初の本格的寺院である。

この辺りはとても空気が綺麗。
人間の心がざわつく音も聞こえない。

田んぼの中心に大きな『とんどの櫓』が見えた。
私は田舎出身なので、子供の頃に親、兄弟、友達ととんど焼きをした記憶が蘇ってきた。
『とんど』とは、その集落の一年の無病息災、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄を願うもの。
懐かしいなぁと見つめていると、三人の子供が無邪気に櫓の周りで遊びだした。
その光景を見た瞬間、これこそが神聖なもの、人間が守るべきものなのだと思った。
皆、子供の頃があったでしょう?
成長し、大人になるにつれいがみ合い、俗の感情が膨らみ出す。
あの田んぼで遊びまわる子供のように、心を清らかにすれば幸せに生きられるはず。

『和を以て貴しとなす』
飛鳥寺から見えるこの景色こそが、聖徳太子が伝えたかったこの言葉の本当の意味なのかもしれない。

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文章:ボタ餅 写真:てんぐ

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