『お弔いの現場人』を書くのに役立った本たち②谷口ジロー『犬を飼う』
『お弔いの現場人 ルポ葬儀とその周辺を見にいく』という6年ぶりの本が中央公論社から出ました。
霊柩車の工場やドライブスルーのある葬儀会館など、葬儀にかかわる仕事をひとたちを訪ねたノンフィクションです。
《ひとは、なぜ弔いの儀式をするのだろうか?
異端者・パイオニア・他業種からの参入……葬祭業界の最先端をゆく人びとと、お葬式の今を描く書下ろしノンフィクション》
というオビの宣伝文を担当してもらった編集者からもらったとき、ああ、そうか、そういう問題意識を抱きながらインタビューしつづけていたのだなぁと、あらためて気づかされました。本になったものを読みかえしていると、本文の中にそうしたことを書いてはいるのだけれど、あらためて抜き書きされることで、「ああ、そうか」と納得するわけで、オビは編集者の仕事にして見せどころともいわれますが、このひとと仕事をしてよかったと思える瞬間でもありました。
お母さんが使っていたベッドを仏壇に作りかえたひと、新幹線で何往復もしながら実家の遺品整理をしたひと、ちょっと変わったお坊さんたちにも話を聞きました。あえてここでは名前は記しませんが、知る人ぞ知るひとたちです。
はじめたのが2017年の暮れだから2年かかったことになります。一部noteに掲載していますが、全面改稿しました。ご興味があれば、探してお読みいいただけたら嬉しいです。本に収録できなかったりした写真がたくさん掲載されています。
さて。前回に続き『お弔いの現場人』の巻末にあげた「本書を書くのに役立った本たち」の紹介。谷口ジロー『犬を飼う そして…猫を飼う』(小学館)は、92年に出た『犬を飼う』(小学館)以来、谷口ジロー選集にも収録され、新しい版が出るたびに買い求め、もう何十回と読み返してきた谷口さんが飼っていた愛犬の看取りを描いた短編マンガと、その犬が縁をとりもち飼うことになった猫たちの話です。
谷口さんの没後に刊行された最新編集の『犬を飼う そして…猫を飼う』には、「サスケとジロー」という長編エッセイが収録されていて、「犬を飼う」のバックストーリーとして読むとさらに思いが膨らみます(『歩くひとPLUS』光文社 2010年 にも収録)。
わたしが最初に「犬を飼う」を読んだのは、とつぜん母が亡くなって間もないころだったこともあり、「犬」以上の存在として読んだ記憶があります。30半ばの新米ライターだったわたしは谷口さんの漫画のファンだったこともあり、興奮してインタビューを申し込んでいました。わずか1ページ、原稿用紙にして二枚程度の週刊誌のインタビューにもかかわらず、仕事を見せてもらい、取材後にちかくの居酒屋に場所を移して話を聞かせてもらいました。その十年くらい後に「あのときに自費出版の絵本にサインしていただいたんですよ」と話すと、「ああ、もういろんな人にあげたから覚えていない」ということだったけど、いまも大事にとってある。
「犬を飼う」でいちばん目に焼き付いているのは、妻が散歩に連れていく。途中で、よろよろした犬を見て、とおりがかりの婦人から「かわいそうに」と声をかけられる。悪意はないのは承知だが、座りこんだ犬を見て、なんども「かわいそう」と言われる。反論したくなる気持ちをおさえて妻は、「はい、タム。がんばろう」と立ち上がらせる。
足をひきづるようになり、歩行がつらくなった犬に、散歩用の靴を手作りして履かせてやる場面も印象深い。身体を支えるため、盲導犬につけるような紐で前足部分を引っ張り上げるようにして主人公が散歩をさせていると、今度は女学生の集団に笑われる。「何あれ?」「おもしろーい」と。チラッと、騒がしい女学生たちを見返す主人公のあいまいな表情。ただただ前に進もうとする、よぼよぼとした犬の足先。読み返すたび、はたして自分はここまで、愛情をこめて接することができるだろうか。相手が犬に限らす。介護などする間もなく逝った母のことなど思い浮かんでは、あれこれ考えたものだし、何度読んでも同じ思いになる。
「犬を飼う」を読んでいると、以前見たテレビ番組が思い浮かぶ。すごいと評判のブリーダー男性を取り上げていた。飼い犬に対する愛情の深を強調していたのだが、愛犬が不治の病にかかったのがわかると安楽死を選択する。それもまだ病状が悪化する前に。介護するようなことはなく。死を確認して、そして号泣するのだ。なんだかやりきれなかった。それぞれに考えはあるから外野が口出しするものではないとおもうが、あまりにもスパッとしていた。谷口さんの「犬を飼う」はそういう意味では対極にある。
「犬を飼う」より
エッセイの「サスケとジロー」は、作者がタムと呼ばれる飼い犬のモデルとなる「サスケ」と暮らした長い年月、それは若手作家が仕事を増やし、作品が認められ、犬の飼うために転居する。人生の移ろいと重なるものでもあり、ときどきで何を考えたのか、飼い犬との関係を通した自伝にもなっている。
作品の中で前足に靴を履かせているが、サスケはもらってきた仔犬のころ足に障害があったという。気づいたときに夫婦で、もらった先に言おうかと相談する。犬がかわいそうだ、妻は、返すのはやめようといい、谷口さんも同意する。子供のいないふたりにとって、この仔は縁があってうちにやってきたのだと。医者にみせるなど治療の成果もあり、歩行に難はなくなったものの、ウサギのように前足を揃えて出す癖が残ってしまった。
近所の公園でサスケを遊ばせていると、子供たちがやってきて、「わぁー、おもしろーい」「ピョンピョンはねてるー」とはしやぎたてる。谷口さんは子供たちにこう言う。「本当はな、この犬、ウサギと犬の間に生まれたとてもめずらしい犬なんだぞ、ほらこんなに耳が大きいだろう。世界にたった一匹しかいないんだぞぉ」。
赤塚不二夫のマンガにウナギ犬がいたことを思い出す場面だ。このあと子供たちとサスケで広場を駆け回ることになるのだが、足の悪い犬というと不憫におもいがちだが、サスケはひょうきんものだったらしく、きびしい躾をうけなかったぶん、生涯愛嬌あふれるマイペースな犬だったらしい。
面白い逸話は、散歩の途中にサスケが、捨てられていた仔猫を連れてきてしまうというか、サスケのあとを仔猫がついてきて離れないものだから、夫婦して「しょうがないよね」と言い合い、飼うことになる。その猫に「ポチ」と名付けてしまう。ポチは、サスケの散歩についていく。そうした、あたたかな景色は「猫を飼う」シリーズに反映されている(マンガでは、実生活を下敷きにしつつも看取りの順番などはちがっていて、作家の創作とはどういうものかもつかめる)。看取りはかなしいが、成長してゆく日を描いたこちらの後日物語は楽しい。しかし、これはひとつに連なったもので、通して読むことで、いろいろかんがえさせられる。
お弔いに関わるひとたちの仕事を理解しようとし、理解がおよばないときに読み返しては、もう会うことのできなくなったひとを思い出しもした作品集です。
サスケとポチの話、出会いと別れということでいうなら、坂本千明『退屈をあげる』も、『犬を飼う』のように何度も読み返した画集本です。坂本さんがツイッターで綴られていた、ご両親の介護、遺品整理の様子が他人事におもえず、とくに新幹線で通う実家の遺品整理の体験のことを詳しく知りたくインタビューさせてもらいました。その話は次回にでも。
いま読んでいる📖『描くひと 谷口ジロー』(双葉社)。原画とともに谷口さんがフランスで受けたロングインタビューが入っている。
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