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5年前の自分の言葉から得た知見


こんにちは。久しぶりにnoteを開きました。

この半年ほど、いろいろと濃い毎日を過ごしており、あっという間に時が過ぎ去っていました。

少し余裕ができたので写真を整理していたら、偶然5年前の私が書いたメッセージが出てきました✉
それは新人研修のときに書かされた(←オイ)もので、当時の日記も出てくるもんだから、忘れかけていた苦しい記憶が戻ってきたりもしました。

けど、それ以上にあたたかい気持ちになったのだから過去からの言葉はすごい!

過去の私は主に以下のようなことをメッセージとして伝えていました。

<懸念>

・どうしているか
・元気か、落ちこんでいるか
・しっかり笑えているか
・生きてこの手紙を読めているか
(しんだと思われている?!とおもって少し笑ってしまった・・・笑)

<現状>

・今がとてもつらいこと
・家族や友達、大切な人たちが自分を助けてくれていること
・本当に恵まれていると感じること

<祈願>

・今の頑張りが未来につながっていると信じていること
・今悩んでいることがあっても、自分のことは否定しないで認めてほしいこと
・自分だけはいつも自分の味方でいてほしいこと

<未来>

・夢を持っていると嬉しいこと
・素敵な人を見つけて、毎日楽しんで生きていてほしい
・↑でもまずはそんな大層なことを願わないので、毎日しっかり寝て、食べて、笑顔でいてくれれば十分だと思っていること (笑)

当時しんどかった割にはちょっと内容が笑えて、これを笑いながら読めるのも嬉しかった~

一番最後は、「大丈夫だよ私!」という謎の励ましで締めくくられているのですが、過去の自分からの大丈夫は無責任だと思いつつもなぜか説得力があって、本当に大丈夫だよと言ってあげたくなった。


この5年を振り返ると、いろいろあった。
なりたくてなった助産師という職業、わたしはこの手紙を書いた3年後には適応障害と診断を受け、病院をやめることとなる。
悔しかった。

なりたくてなった職なのに、自己否定され続けると楽しいと思える気持ちが薄れ、だんだんと「助産」自体向いていないのだと感じるようになった。
環境が変われば大丈夫、そう思った時期もあったが、病院という場所でもう一度頑張ろうという気持ちに中々なれず、わたしは大学院へ進んだ。
それなりの覚悟をもって入ったが、その道の半ば、今度は勉強、研究、仕事、恋愛すべてに一生懸命になりすぎて体調を崩すようになった。このまま続けることもできたが、自分が破滅する未来も同時に見え、いまは休学している。
こうやって見ると、なんか5年前の自分に申し訳なくなる?けど今の私はそうは思わない。

「人生に失敗がないと、人生を失敗する」


最近この有名な言葉を思い出した。
わたしの失敗(かどうかも定かでないが)はこれからつかむ成功のためにあるのだと思うと、ひとつも無駄な経験はなかったと思っている。

実際にこの1年で関心が沸いた英語や国際的視点から、今年海外へ行って、現地の生活を味わったり、帰国後も語学の勉強も継続し、将来渡航するビジョンも描けるようになった。

今年、お母さんたちとのやり取りを通して、「この仕事にほんとに向いている」と言ってもらえたことがあった。すごくうれしかった。
せっかくなれた職なんだ、病院以外にも違うやり方でお母さんとあかちゃんの助けになることを探し、新しい挑戦もすることにした。
今までの経験がなければ、こんなこと思ってもなかっただろう。

5年前の私、5年後の私はあなたの言う通り、一生懸命生きているよ。
そう伝えたいし、そう伝えられるような自分でよかった。


ただ、わたしのキャリアはもちろんここで終わりではない。
さらに5年後の私に向けてメッセージを書くならなんて書こう?

そう思ったときに思い出したのは、中学生くらいの時、人の顔を見てその人に合ったメッセージを書いてくれるという人からのお言葉。
今思うと、なんでそんなのがわかるんだと思うけど(笑)、すごくいい言葉だから気に入っている。

「頑張ることも大切だけど楽しむことも忘れないで
〇〇(私の名まえ)が楽しむとき、力が大きくなる」


この5年、欠けているものがあったとするならまさにこれだと思う。
一生懸命にはなれるんだけど、わたしは「楽しむ」ことを忘れてしまう時がある。

将来どうなりたい?と問われて中々具体化はできないけてど、
将来どうありたい?と問われたら「楽しむ」ことを忘れない人でありたいと思う。

そのほうがずっと人生は軽く、楽しいだろうなと思う。

わたしの挑戦はきっとまだまだ続く。
その挑戦さえも楽しめる人間でありたいな。


ここまで読んでくださってありがとうございます🍃

それではまた!


#わたしのキャリア

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