雷 第三十話

一方で一気に膨れ上がった正義派軍は、まずその軍備を整えさせた。
 それまでの火縄銃などの旧式装備を一気に入れ替え、当時最先端であった(日本においてだが)ゲベール銃に更新させ、さらに隊を二手に分け、大田川沿いに進む船木街道に進む隊とに分けた。
「恐らく、俗論派は二手に分けてくるだろう。私なら、そうするな」
 山縣は後、陸軍の皇帝といっていいほどの力を持つ人物になるが、幕末期における山縣の陸戦指揮能力は、他の追随を許さぬところがあり、後年日清戦争でも戦地に赴き、指揮を執ったほどの人物である。どちらかというと、軍政家としての側面が強いが、少なくとも指揮能力に置いては屈指の者であったであろう。
 山縣は俗論派の動きをある程度察知しながら、天性といっていい鋭い勘で、二面作戦を決行した。
 大田川の隊長には三好軍太郎、船木街道は山縣が受け持つ事になった。高杉は、
「その差配は、山縣君、君に任せる」
 とだけいって、すぐに奥に引っ込んだ。
「少し、考えたい」
 と周りに告げると、四方の襖を閉めさせ、高杉は孤高になった。刹那、鳩尾から大きな何かがせり上がってくると、鉄球でも吐き出さんばかりの勢いで大きくせき込んだ。思わず全身が震える。何とか右手でもって口を封じるように抑え込んだが、それでもせり上がってくる鉄錆びた匂いは消えず、背中の筋肉を鎧の上からでも分かるほどに激しく痙攣している。立つ事も出来ず、膝が曲り、四つん這いになっても尚咳は止まらない。少ししてようやく落ち着いて手の平を返すと、籠手が鮮血に染まっていた。
「ここで、死んでは何もならん。おわっとりゃせんのだ」
 高杉の執念、あるいは情念というべきか。
 恐らく、この時に高杉は先がない事を感じ取ったのかもしれない。

 戦況は激戦である。
 二手に分かれた両軍が先に激突したのは、大木津という所であった。元治二年一月十日である。
 大木津から攻めてきたのは撰鋒隊、主力八百。一方の三好隊はわずか七十と、普通に戦えば必ず負ける戦である。
「よいか、どっちでもいい。一発銃声が鳴ったらすぐに動くぞ」
 山縣が言い終わらぬうちに、号砲が鳴った。
「どっちだ」
「大木津のほうだ」
 よし、と山縣はすぐに奇兵隊第二銃隊四十名を差配した。
「坂だ。坂から狙い撃て。そうすれば敵はひるむ。三好が退きはじめたら構わん。撃って撃って撃ちまくれ」
 発破をかけられた第二銃隊は、権現山中腹の幣振坂に伏兵した。
 一方の大木津防衛隊は、やはり衆寡敵せずと見えて、地雷を辺りに散布しながら本陣近くまで撤退した。ところが、地雷は一向に動かず、どれも不発に終わった。これを見た撰鋒隊は
「突っ込め。小勢だ」
 と貪狼のように一気に襲い掛かった。すると、次々と銃声が側面から聞こえてくる。
「伏兵か」
 この銃声が撰鋒隊を混乱に陥れた。恐らく冷静に考えれば踏みつぶせる戦力差ではあるはずなのだが、予想しなかった見えぬ側面での奇襲は、浮足立たせるのに十分な効果はあった。
「退け、退け」
 撰鋒隊の中で誰かが怒鳴ると、雪崩を打って一気に退却した。
 おそらく、通常では考えられないようなお粗末ぶりであろうが、これが俗論派の実力であった。言うなれば革命戦争に対する意識の差が、えてしてこういう大逆転劇を産み続け、その果てに革命というのは成立するのである。その為の前提条件として、不安定である事と、怠惰である事が重要なのだが、俗論派はその二つを自ら成立させてしまっているのである。
 そう考えると、正義派に付け入る隙は十分にあった。さらに、高杉や山縣、伊藤といった筋金入りの猛者が軒並みその能力を発揮して、その土壌としての奇兵隊をはじめとする諸隊の士気の高さ、次いで極限状態の中でのある種の興奮状態が奇跡的な流れを引き寄せたのであろう。
 といって、正義派軍が突進できるほどまだ戦力は拮抗していない。
 一月十四日、今度は船木街道呑水峠(のみずのたも)での戦である。
 こちらは撰鋒隊千三百に対して、諸隊は二百。同じような構図であった。
「一気に踏みつぶせ」
 一気呵成に突っ込んでる撰鋒隊に対して、諸隊は少しずつ退き乍ら、銃撃戦を展開させて牽制していた。山縣はすぐに応援を頼みたい一心であったが、この頃ではまだ鴻城軍はその影の一端すら見えず、孤軍のままで戦っている。味方はどこを探しても子供一人出てこないのである。
(このまま突っ切られたら)
 山縣の頭の中にはその恐怖があったに違いない。そうなると、天に任せるしかなくなってくるのである。
 その天が出した答えは、雨であった。
 柄杓の口から零れるような小さな滴が落ち始めると、それを追うように勢いが増し、辺りは視界が不良になっていた。途端に、撰鋒隊の銃声が一切なくなった。
「誘っているのか」
 諸隊は警戒した。だが、
 ―― 退却しているらしい。
 と分かるや、一気に追撃に出た。ゲベール銃の銃声が雨の中鳴り響くと、撰鋒隊の兵士が斃れていった。
「火縄銃か」
 山縣はそう分析した。雨になれば火縄が濡れて使えない。戦国期にはこれに対応した物もあったが、すでに泰平になって久しいこの時代になるとそのような技術はすでに失伝してしまっていた。
(いける)
 という確信が、山縣の脳の中枢に走った。山縣はすぐに高杉のもとに向かった。
「高杉さん。勝利ですよ」
 と山縣がふすまを勢いよく開けた時、その光景を疑った。高杉はすでに伏せっていて、傍らにある木桶には、喀血が溜っていた。
「どうしたんですか、これは」
 山縣は高杉の傍に寄った。高杉は手で制すると
「恐らく、今までの疲れがどっと出たのだろう。たいしたことはないよ」
「しかし、高杉さん此処で死んでしまったら、何もならんでしょう」
「僕は死なんよ。まだ、やらにゃいかんことがあるからね」
 高杉はゆっくりと起き上った。すでに症状はだいぶ治まっている様子である。
「まあ、一時的に出ただけだろう。休んだからもう大丈夫だ」
 高杉は立ち上がって、鎧姿に戻ると一転して双眸がぎらつき始めた。
「戦況は」
「今の所は勝利です」
「このまま一気に突き抜ける。絵堂を抜いて、向こうの本陣にまで襲う」
「このまま突き進むと、夜襲になりますよ」
 といって、山縣は思い至った。高杉はここが勝負どころと踏んだのである。
 絵堂の西、赤村に高杉率いる全軍が一気に夜襲をかけたのは一月十六日から十七日にかけてである。ただでさえ度重なる敗戦と矜持を喪ったことへの衝撃とで、精神的に疲労のピークに達していた所に、この夜襲であったから撰鋒隊は何もできない。実際、戦というよりも蹂躙といったほうが適切かもしれない。
 俗論派は赤村での夜襲がとどめとなって、一気に萩と絵堂の中間地点である明木にまで部隊を退かせた。そうなると、もはや正義派は単なる小勢ではなくなっていて、萩においても、それまで中立的立場を貫いていた家臣たちも正義派の傘下に入りはじめ、その形勢は最早逆転していた。
 俗論派の勢いが十分に削がれた事は正義派ならずとも誰が見ても明白であった。
 さらに正義派は漸く合流した鴻城軍とさらにその威勢を増し、堅実な詰将棋のように萩の俗論派を追い詰めていた。高杉は、
「早馬だ。馬関に早馬を出せ」
 と伊藤に命じた。
「何をなさるので」
「馬関の楠君に出てきてもらうのだ」
「船、ですか」
 高杉は頷いた。
 馬関の十兵衛にその早馬が到着したのは間もなくの事である。十兵衛は福原と共にこれを聞くと、すぐに癸亥丸の心臓に火を入れた。
 癸亥丸は、仕事を得た事を喜んだように大きな蒸気を上げた。
 十兵衛にとって初めての船である。そのはじめての船が、蒸気船であるから、滅多にない機会であろう。
 癸亥丸は馬関を出て、馬関を回り込むようにして日本海に出た。そして萩まで直行したのであるが、おりしも正月の日本海は荒い潮風が船に体当たりする季節である。いかに蒸気船といえども揺れないわけにはいかず、船に慣れている船員であってもこれにはこたえた。ましてや初めての船である十兵衛にとってみれば、甲板が揺れるさまは十兵衛の三半規管を揺さぶるには絶好であった。十兵衛は何度もえづきながら、船の縁から顔を出している。
「まあ、慣れぬから当然ですな」
 と、福原は笑っていたが、
「萩の城が見えましたぞ」
 と、十兵衛の肩を叩いた。なるほど、遠くに指月山に聳える萩城が見える。
「砲門開け!!」
 癸亥丸の側面から扉が開くと九斤砲四門と十八斤砲一門が顔を出した。
「城を砲撃するのですか」
 十兵衛は驚いた。いくら俗論派との戦いとはいえ、砲弾を撃ち込んでしまえば、いかなる理由があろうとも反逆者になってしまうのではないか。

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