雷 第四十六話

水戸城に連れられた十兵衛は、そのまま詮議する、江戸でいう所の町奉行所のようなところに入った。そのまま、詮議部屋という、今で言うと取調室のような場所に入れられた。
 そこには、数々の拷問の器具が置いてあり、十兵衛はそこで縄を解かれた。
「其処へなおれ」
 捕吏は馬の鞭で十兵衛の裏腿を叩いた。堪らず、十兵衛は膝を屈した。
「おぬしへの詮議は、ご家老直々によるものである。有難く思うのだな」
 捕吏はそう吐き捨てると、小者を連れて詮議部屋を出ていった。
「しかし、不用心だな」
 と十兵衛は呟いた。いくら寸鉄を帯びておらぬ身とはいえ、暴れてしまえばどうとでもなってしまうというのに、四肢を自由にするというのは聊か怪訝である。
「不用心ではないぞ。いざとなれば、それがしも含めてすぐに殺すことができるのだからな」
 十兵衛が不意に頭をあげると、少々痩せた初老の武士が鎮座している。穏やかな表情で十兵衛を上から見下している。その割には物騒な物言いである。
「それがしが、山本三左衛門だ。まずは、おぬしの姓名から聞こう」
 右筆の者が筆を立てた。
「楠十兵衛と申す」
「どこから来た」
 十兵衛は無表情のまま逡巡した。長州からといえば間違いなく斬首になるであろう。
「江戸から来た」
 といった。無論、間違いではない。江戸を通らねば水戸には行けない。
「それで、水戸には何しに来た」
「戦が起こったので、避難の為に来たまで。別に他意はござらん」
「嘘を申すではない。江戸において、戦など起こっておらぬではないか」
 と山本はそう言って、
「江戸から来たのは嘘ではないのか。長州の手の者か、若しくは天狗党の生き残りか」
「そのどちらでもない」
「ならば、何故ここに来たのだ」
「避難する為でござる」
 と、こうなると単なる押し問答にしかならなくなり、右筆の手も鈍くなってくる。山本は、
(強情なやつめ)
 と睨んでいる。山本の中では、
(天狗党と長州攘夷派を繋ぐための使者ではないか)
 と疑っている。とはいえ、十兵衛が口を割らぬ限り、それを証だてる手立てはない。
「どうしても、割らぬか」
「割るも何も、それがしは事実を申したまで。これ以上は何もござらん」
 山本は鼻を鳴らした。明らかに蔑んでいる。
「どうしても割らぬとあれば、おぬしの心底から絞り出さねばなるまい」
 という。右筆の一人に人数を言って向かわせると、暫くして数人の役人が入って来た。そして、十兵衛を立たせると、そのまま後ろにある滑車で吊るした麻縄で十兵衛を縛り上げると、そのまま引っ張り上げて空中に吊るした。十兵衛の体が宙に浮き、振り子のように揺れている。
 山本は下に降りて、割れた竹刀の手に持ち、そのまま近づくと
「割らぬとあれば、割るまでこうする」
 といい、いきなり十兵衛の体を叩いた。たった一撃で十兵衛は気を失いそうになった。
 山本の責めは続き、数度叩いては十兵衛に尋ねる。
「長州か、天狗党か」
「いずれでもない」
 と十兵衛が答えると、再び数度叩くのである。その責めが数刻ほど続いた。
 すでに山本の息は上がり、代わった他の役人もすでに疲労が顔色に出るほど困憊している。
「……下ろせ」
 山本が息を継ぎながら命じると、十兵衛は数刻ぶりの地を踏んだ。
「放り込んでおけ」
 十兵衛は再び引き立てられた。
 十兵衛が放り投げられたのは地下牢である。
 十兵衛の体は軋み、牢に放り込まれた時、そのまま動かなかったほどである。辛うじて頭だけを起こすことが出来た。すると、一人の男が近寄ってくると、ゆっくりと十兵衛を抱きかかえた。
「しっかりしろ。大事ないか」
 十兵衛は言葉を発することが出来ず、発しようとしてただ息が漏れるだけである。男は耳を十兵衛の口元に近づけると、
「そうか。大事あるまいか。……とにかく、水を持ってきてやってくれ」
 と近くの者に頼んだ。程なく柄杓に汲まれた水を、男が口元に近づけてくれると、十兵衛は啜るようにしてのどを潤した。柄杓の中を見ると、血を水で薄めたように赤くなっている。相当口の中を切ったらしい。
「酷い責めを受けたようだな」
 男は柄杓の中を覗き込んだ。
「詮議を行ったのは、家老の山本様か」
 十兵衛は頷くしかない。
「そうか。……まあ、とにかくゆっくり休め」

 十兵衛が水戸において、拷問を受けていた頃、薩長の中は、まるで禁門の変が幻であったようにその距離は縮まっている。とはいえ、正式な盟約を結んでいるわけではない。しかし、坂本が興した「亀山社中」という、日本初の合弁会社は、薩摩名義での銃火器類の購入という仕事をやってのけた。その内訳はミニエー銃四千三百丁、ゲベール銃三千丁とというものであった。長州は長州で、兵糧米不足に悩んでいる薩摩に対して回米したりして、とにかく密接なつながりになっていた。
「一時はどうなることかと思うたぞ」
 中岡慎太郎は、生真面目な青年である。西郷が下関で下りず、京に向かう、といった時、中岡は
(この世の終わりじゃ)
 と感じた。そして、その責はすべて自分にある、とそこまで思い詰めていたのである。しかし、盟約を結ぶ前に、秘密裡とはいえ薩摩と長州がこうやって亀山社中を通じてはいるが、それでもって幕府に対抗できる軸が固まりつつあるのを見ると、中岡は成長の著しい生徒を見る教師のように、頼もしくとも嬉しくともあった。
 とはいえ、中岡自身の仕事が終わったわけではなく、引き続き薩長盟約成立の為に奔走しなければならない。
「しかし」
 と中岡は思う。
「木戸さんは、どない思うとるんかのう」
 と、この山岳型土佐人の典型例のような男は、太い首に据えた頭を捻っている。

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