金兵衛と若狭 ――鉄砲の事。
夜が、明けた。
風は、まだ残っている。
台風が過ぎ去った後の前之浜の遥か向こうに、くっきりと大隅半島の稜線が浮かび上がっていた。
島の高台にいる若狭はその風を全身に浴びた。
「気持ちいい」
沖合にはすでに漁に出た船が斑目に泊まっている。
「お嬢さん、ちょっと待って。……」
息せき切って青年が登ってきた。
「三郎次、例の船はどこにあるの?」
「そこですよ」
三郎次と呼ばれた青年が眼下を指さした。確かにその先に漁船より一回りほど大きな船が打ち上げられている。
「どうするんです」
「勿論」
若狭が逆落としのように走り出した。三郎次は整える息もないままついていくしかない。
二人が浜に到着したとき、数十人ほどの島民たちが船を囲むようにしていた。
「佐吉おっちゃん」
若狭が声をかけたのは五十の坂を登り始めた初老の男だ。
「これは、金兵衛さんのお嬢さん」
「これは?」
「いや、あの船の中に無事な人がいるっていうんで、出しているところですよ」
佐吉おっちゃんは若狭たちを連れて人だかりを避けるように見せてやった。確かに数人の男が転がされている。
男たちの服装は非常に珍妙であった。裾を絞った黒い袴の如きに、これも裾を絞った黒い小袖の如きを身に着けている。何より木を彫ったような顔立ちの真ん中に岳のような鋭い鼻梁が立っている。
「どこの人だろうね」
「京の御公家かね」
などと話し合っているところへ、船からまた一人出てきたのは、儒者風の男だ。男は意識があるようで、さかんに何かを言っているが、その言語は今まで聞いたこともない。
「三郎次」
「はい。西村様ですね」
若狭が意を得た、とばかりに頷いて、三郎次は駆け出していった。
西村様こと西村織部丞が浜にやって来たのはそれから小半時ほど経った頃だった。西村織部丞は漢学をよく修めていて、話すことは出来ないが、読み書きは島民たちに教えるほどであった。
織部丞は儒者風の男に砂浜に書く形の筆談で話しかけた。
「どこから来たのか」
「これより南、暹羅から来た」
「何しに来たのか」
「こちらに来るつもりはなかった。寧波から平戸にむかうつもりだったのが、嵐に遭ってしまって船を動かすことが出来なくなり、こちらに着いた」
「おぬしたちは何者か」
「私は明で儒学を学んでいる五峯という。あの黒服の男たちはポルトガルの商人だ」
なるほど、と織部丞は大体の事を察した。
「織部丞様」
若狭が訊ねるのへ、織部丞は筆談の内容を話した。
「ぽるとがる?」
今までに聞いたこともない国の名前である。そもそも、ここより見える大隅半島より先にそのようなところがあること自体、若狭には想像もつかない。織部丞はさらに儒者風の男と筆談を重ねた。織部丞は、島民たちに眼前の船を北端に近い赤尾木の浜にまで牽引するよう命じると、自らは城の方に戻っていった。島民たちが船を引くために準備を始めた。音頭を取っているのは佐吉おっちゃんだ。
「どのくらいかかる?」
「あの船か?……、そうだな、ここから引っ張り出すのに一日、浜まで一日だろうから、二日くらいかな」
佐吉おっちゃんは周囲の連中を組み分けしてそれぞれ仕事につかせた。
「お嬢さん、帰りましょう。お師様が心配されております」
三郎次が連れて帰ろうとした。
「いや、もう少し付き合いたいの」
「わがままはいけませんよ、これ以上は邪魔になるだけですから」
「いいじゃない、あの人達がどういう人か気にならないの?」
「そりゃ、まあ気にはなりますけど、それでもそういうのは御領主様や織部丞様にお任せすることであって。……」
「堅いなぁ」
「堅くても軟らかくてもいいですから、とにかく戻りましょう、子供じゃないんだから」
三郎次は梃子でも若狭を連れて帰るつもりのようで、その頑固さには、さすがの若狭も諦めるしかなかった。
城の南、現在の西之表市榕城東町には数十軒の鍛冶屋敷が並んでいる。その中でひときわ大きい屋敷が、若狭の父、八板金兵衛の屋敷である。日はすでに西に向かって走りだしている。
「ただいま、帰りました」
若狭と三郎次が声を潜めて屋敷に入ろうとした時である。
「どこに行っておった」
という落雷のような大喝が二人の頭に落ちた。
鍛冶師特有の装束で、袖からいかにも職人らしい節くれだった岩のような手と幹の様な太い腕が見える。体躯は五尺ほどながら鉄塊のような頑丈さで、その上に同じようなえらの張った顔を乗せている。口の周りの髭は灰をまぶしたように白く、間違いなく職人以外には見えない。屋敷の主である八板金兵衛その人だ。
「申し訳ありません、お師様」
若狭の前に立って三郎次が謝った。
「三郎次は悪くありません」
「それがいえるという事は、己が悪いという自覚はあるのだな。で、どこで何をしていた」
「例の船を見に行っていました」
「例の?確か夜の間に座礁したとかいう船か」
金兵衛は興味がないようで、仕事道具を片付けている。
「あの船、実は暹羅とかいう所から来たそうで、しかもあの船にはぽるとがる、とかいう所の商人が乗っていたそうなんです」
「それが、いかがした」
「気になりませんか」
興味がない、とでもいいたげに金兵衛は片づけを止めようとしない。
「それよりも、飯の支度をしてくれ。三郎次も食って帰れ」
八月二十八日、金兵衛と若狭は北にある慈遠寺にあった。寺から頼まれている道具の修復が終わったので、それを納めるだった。慈遠寺には溢れかえったような人だかりが出来ていた。
「何かあったんでしょうか、父さま」
「さあな。とにかくこれを納めたらすぐに帰るぞ」
門の前には小僧と若い僧侶が立っていて、人だかりを抑え込んでいる。
「ああ、金兵衛さん」
「どうも。道具の修理が終わったので持ってきたのですが」
「そうでしたら、どうぞ」
小僧に連れられた金兵衛と若狭は寺の宿坊には入らず、寺の庫裏で修復道具を納めた。受けとったのは、当時寺を一時的に預かっていた日尊だった。
「八板様の腕にはいつも感服いたします」
日尊は道具を見るなりそう唸る。
「いや、そういっていただけるのは鍛冶屋の冥利に尽きます」
「本来であればゆっくりして茶飲み話の一つでもしたいところですが」
「何か、ありましたか」
「例の、異国の方々が、ここで西村様とお会いしておりましてな、色々と話をしておられるのです」
「それで、表に人だかりが出来ていたのですか」
「まあ、明国ならばまだしも、はるか通り所からの客人ですからな、騒ぐのも無理からぬ話。現に、そこにおられたお嬢様もすでに向こうに」
何、と金兵衛が振り向くと、先ほどまでそこにいたはずに若狭の姿が掻き消えていた。金兵衛が唇をかむと、その表情から察した日尊が諭した。
「そうお怒りなさりますな。このような狭い島では、外からの刺激はまぶしいもの。それに、怒りは身を滅ぼしますぞ」
「お恥ずかしい限り。すぐに連れ戻してまいります」
金兵衛はあわてて宿坊に向かった。
前之浜に漂着した大型船が赤尾木湊に到着したのは二日後の天文十三年八月二十七日で、船の乗組員たちは華蔵山慈遠寺で迎え入れた。この時、日向国の龍源寺から修行に来ていた住乗院という僧侶が滞在していた。この若き法華僧は筆に通じた。つまり、書をよくし、筆談でもって通訳が出来た、という事だ。
翌日の二十八日、つまり金兵衛が来たその日、慈遠寺において漂着した商人たちと、この種子島の領主である種子島左近衛将監時堯の名代としてきた織部丞との対談が始まった。
若狭は宿坊に忍びのように入りこんだ。小僧の一人に見つかるが、若狭は音をたてぬよう口に人差指を宛がった。
「どうした」
という誰かの声が聞こえると、小僧は いえ、なんでもありません、と咄嗟に言った。若狭が手を合わせると、小僧が猫を追うように手で払った。若狭はさらに回りこんで会談の様子を見ようとする。
一方は西村織部丞と住乗院とかいった、日向からきた修行僧がいる。もう一方は五峯とかいった儒学者風の男に黒服の男たちが三人、胡坐をかいている。
互いが一言も発しないので内容は分からない。さらに入りこもうとする若狭。
(あっ。……)
黒服の男の一人と目があった。彫刻刀で彫りだした深い顔に、癖の強い、焦げたような黒い短髪が乗っていて、くすんだ鳶色の瞳が何とも印象深い。黒服の男は刹那に驚いたような顔をしたがすぐにそれを仕舞い、片目だけをつぶって顔を振った。ここを出なさい、という事であろう。
若狭がすごすごと戻ろうとしたその先に、金兵衛が明らかに顔を怒らせて立っていたのはいうを待たない。
寺から出るとき、若狭は頭の頂をさすっていた。
「もう少し落ち着くという事を覚えんか」
金兵衛が自らの背中を越して若狭を叱る。
「しかし、気になります」
「気になろうがなるまいがお前には何ら関係のない事だ。知ってどうにかなることではない」
「父さまは、本当に気になりませんか。海の向こうが」
金兵衛は黙った。
「どうなのですか」
「……、気にならぬといえば嘘になる。が、海の向こうに何があるのか。出来れば見てみたい、とも思う。父上が、関の町からここに移り住んだのも今の気持ちと同じだったからだろう」
「では、何故私には。……」
「女子であろう、お前は。女子が口差し挟むことではない。……、お前が男であればあるいはこうは言わなかったであろう。が、お前は女子だ。女子には女子のやることがある」
今の金兵衛の言葉ほど、若狭にとって憤懣やるかたないものはなかっただろう。男と女、という当人ではどうしようもない個人の属性が、行動の枠を決められ、しかもそれは女人には著しく不利なことに。若狭は唇をかんだ。
「男であれば」
という言葉は口に出さなかった。出してしまえば、自分を否定してしまう、と思った。
金兵衛は振り返り、若狭の両肩を掴んだ。
「思う所はあろう。が、これが世の中なのだ。どうしようもないことが世の中にはある」
金兵衛の言葉はいつになく優しいものだった。
月が明けて九月の初め、種子島赤尾木城主、種子島左近衛将監時堯は、慈遠寺で対面した織部丞の報告を受けた。
「商人ほどのものであれば」
時堯にしてみれば、この種子島は、地政学上明船を含む海外貿易の拠点の一つであり、明国人を含む異国の人間の流入があったからで、単純に異国の商人がやって来た、という程度では大して興味が湧くこともなく、面会をすることもない。
それが、会う事になった。
その理由が、織部丞にある。
―― 見た事のない珍しい物をお見せしたい。
という事で、さらに、おそらくこのジパングには二つとないものであるので、一度見てほしい、と続けた。
「おぬしは見たのか」
「いえ、これは、殿がお会いになった時に見せる、という事でござりましたので」
「わかった」
赤尾木城に招かれたのは異国の商人の長二人と、五峯の三人で、時堯は例の住乗院を伴った。
商人は黒の筒袖服の姿は変わらず、五峯も儒者服を変えていない。
「種子島左近衛将監である」
五峯はすぐに伏したが、二人の商人は胡坐姿のまま手をつこうとしない。織部丞が無礼であろう、と住乗院を通じて一喝すると、五峯もこれまた住乗院を通じて、
「この商人たちは何もかもが違う異国の地よりやって来た者であるので、この国の礼儀作法を知りません、なにとぞご容赦ください」
という旨を伝えた。
「それはよい。仕方のない事だ」
時堯は別段起こる様子もなく織部丞を制した。
五峯は商人をそれぞれ紹介した。一人は鳶色の目と癖の強い髪が特徴があるのが、フランシスコで、もう一人はキリシタ、といった。
「見せたいものがある、という事だが」
商人たちは時堯の前に袱紗に包んだ長い物を置いて、すぐに元に戻った。
「刀か」
時堯はそう推測したが、刀であれば二つとないものでもないし、何より見た事がないものではない。
「その布を取りください」
時堯自ら袱紗をとると、確かに見た事のない長く異形な鉄塊である。
―― 形象物ノ比倫スヘキ無シ。
という記録の通り、たしかに世に二つとない代物であるのは間違いない。
「これはなんだ」
五峯を通じて商人がいうのには、これはアルケブスというもので、遠くの敵を殺すことができる、という。時堯の耳にアルケブスという発音は入ってこなかったようで、明らかに反応は鈍い。
「どのように使うのだ」
五峯によれば、商人たちが実演してくれる、という。
商人は黒い薬と小さな玉を鉄塊の丸穴から流し込み、それを細い棒で押し込めた。さらに鉄塊の根元近くにある盃のような出っ張りの部分に同じ黒い薬を乗せ、一旦蓋のようなもので閉じる。そして縄に火をつけ、出っ張り近くにある取付口に差し込み、一旦閉じた出っ張りをもう一度開け、あらかじめ用意していた遠くの的に向き直った。
商人が何かを叫んだ刹那、目の前で落雷が起きたような衝撃があたりに飛んだ。どうぞ、といわんばかりに商人が的に手を向ける。時堯はその先を見て驚いた。
的が吹き飛んでいた。
「なんと。……」
時堯は次の言葉がでなかった。
「なん、と申したか、あれを」
住乗院に訊ねた。
「あるけぶす、と申しておりました」
「いいにくいな」
「左様で」
「どういう理屈でああなっているのか」
住乗院が五峯と筆談で話し合った。そこでわかったのは、あの黒い薬に火をつけることで爆ぜ、その力でもって鉛の弾を遠くに飛ばすらしい。
「では、あの黒い薬は火をつけると爆ぜるものか」
「そのようですな」
「昔に元とかいうところが攻めてきた折に似たようなものを使っていたな。てつはう、と申していたか」
時堯は、元寇の折に蒙古兵が爆ぜる武器を使っていたことを思い出した。無論、時堯がうまれるはるか昔の事であるので、文献などから得た知識に違いないだろう。
「ようはそれと同じ理屈だな」
時堯の目の前にある鉄塊が命名された瞬間である。
「もし、これを求めるならばいかほどになる」
フランシスコがいうのには、ひとつで千金という事で、現在二丁しかないので、全部で二千金になる。
「随分と吹っ掛けたな」
時堯は表情を変えずに呟いた。住乗院が訳そうとするのを織部丞が止める。
「いかがなさいます」
いかにも織部丞は必要ない、といいたいような渋い顔をしている。時堯とてとても即断出来るような金額ではない。商人は五峯からの通訳がないので固まったように畏まっている。
「おって沙汰するゆえ、暫く待て」
住乗院から伝えられた商人たちはぎこちなく一礼をして、慈恩寺に戻った。
さて、二千金である。
種子島家臣の大半はそのような得体のしれぬ物を買う事に反対している。高すぎる、という事もさることながら、それ以上に今までに見た事ない、いうなれば超兵器のような存在である鉄砲に畏怖し、また心理的抵抗も働いている。
時堯は、この四千金については、
「高くない」
と思っている。むしろ安いくらいだ、とさえ感じている。それほど、あの鉄砲は魅力的な武器なのだ。恐らく、この鉄砲という存在は歴史を大きく変えることになるだろう。ややもすればこれだけで天下が手に入るかもしれない。時堯自身は自らの領地を踏まえてそこまでの野心はないが、先んじない手はない。
「買うぞ」
家臣相手に言いきった。
「蔵が空になりますぞ」
家臣の一人が言上した。今までの蓄財を全て放出することになる、というのである。
「そのくらいの事で浮足立つな。あれはそれだけの値打ちがある」
ここで作って火薬や弾と共に売れば、二千金などはすぐに取り戻せる、ともいった。家臣達は時堯のいう事に対して半ば懐疑的に見ている。
「言う事に疑うか」
「決してそのようなわけでは」
「疑うのも無理からぬ話ではある。だが、あれの威力は皆も目の当たりにしたはずだ。あれを欲しがらぬ者がいると思うか。あれほどの遠くの的を一撃で射抜けるほどの威力を持った武器を」
「確かに、殿の仰せの通りでござりまするが、しかしながらあれは、つがえる動作が少々難解でござります。弓は矢をつがえればすぐに撃てまするが、あれは作業が聊か面倒ではないか、と」
「弓を扱った事のない者が初めから矢をつがえると思うか」
「無理でございましょう。しかし慣れれば。……」
「同じ事ではないか。弓か鉄砲かの違いなだけで、慣れれば使えるようになる。弓矢の鍛錬を怠らぬくせに鉄砲の鍛錬は怠るというか」
家臣達は黙った。
「とにかく、買うぞ。蔵の中を全部出してでも買う」
薩摩の小さな島の領主が日本史上に永久に名を残した瞬間である。
金兵衛や若狭たちはこの九月のやり取りを知らない。
知らずして、赤尾木城に登城を命じられている。
城に呼ばれたのは金兵衛たちに留まらず、島にいる鍛冶屋すべてが召し出された。何が始まるのか想像もつかない。
時堯が上座に着座すると、皆は改めて平伏した。
「堅苦しい挨拶は抜きにして、単刀直入に申すゆえ、近うまいれ」
金兵衛達は膝をにじらせて近づくと、時堯は家臣を一人連れて、鉄砲を片手に皆の前に立った。
「これを作れ」
金兵衛に手渡した。
「これは、何でございましょう」
「黒服の商人たちがこれを持って参って来た。ある、何とかとか申しておったが言いにくいので、鉄砲と名付けた。遠くの者を撃ち抜く代物だ」
やってみせよう、と時堯は皆を庭先におろし、家臣に的を用意させた。四十間はあいている。ぎこちない手つきで何とか弾を込めると、轟音の中、的を撃ち抜いた。金兵衛はじめ、鍛冶屋の者たちはおろか若狭にいたまるまでが驚きのあまりひっくり返った。
「外法か、あれは」
という者さえいた。それほどの衝撃だ。
「それを、作れと」
「そうだ。何よりもこれを先んじてほしい」
礼金もはずむ、と付け加えた。金兵衛が尋ねた。
「それはよろしゅうございますが、何故これを作るのでござりましょう」
「詳らかには出来ん。が、曲げて聞いてもらいたい」
「……。一度、皆と話し合うてみたいのですが」
「それは構わん。が、是非とも作ってくれ。それと」
時堯は控えている家臣と金兵衛達を引き合わせた。
「あの者は笹川小四郎という。あやつには、玉と薬をやってもらう。もし、何かあれば、あの小四郎が受け付けることになりゆえ、なんなりと申せ」
下城した鍛冶屋たちは一堂に金兵衛の屋敷に集まった。
皆がそれぞれ下された鉄砲を解剖するように見つめている。
「さて、殿はああいっておられるが」
金兵衛が口火を切った。
「これを作ってどうなさるおつもりだろうか」
鍛冶屋の一人が疑問を投げかけた。
「恐らく、これを作って他国に売るか、あるいは自ら戦に使うか」
他の鍛冶屋が推量で答えた。
「戦ってどこの」
「屋久の城攻めじゃないのかね」
当時屋久島を巡って禰寝清年という肝付氏付の国人と争っていたことを引き合いに出した。
「しかし、城攻めに使うとしても、こんな危なっかしい飛び道具を使うかね」
「それに、こんな仕掛けなんぞ作ったためしがないぞ」
などと、鍛冶屋たちの意見はどうにも宿題を嫌がる子供のようにしか聞こえない。
「では、各々方は殿の命には従わぬ、と」
「いや、そうは言ってはおらぬよ、金兵衛殿。ただ、我々でこのような物が作れるのか、と」
「作れるかどうかはやってみなければわからぬでしょう。それに、我らがここで仕事ができるのも、殿や先代のおかげではないのか。その殿から頼まれているからには、応えるのが道理だと思うが如何に」
「言う事は分かる。だが、出来ることと出来ぬ事があるではないか」
「これは、皆は出来ぬ、と仰せあるか」
一様に皆が無言となっているところをみると、黙認の肯定と捉えるべきだろう。
「分かり申した。皆はこれまで通りの仕事をされればよかろう」
「金兵衛殿は、これを作るというのか」
「殿の仰せに従う」
話はこれで終わった。
とはいったものの、どこから手をつけるべきか。
金兵衛の最初の壁はそこである。
見たところ、鉄の部分である銃身とと木の部分の銃床とがあり、それぞれの部分を繋げて一個の体をなしている。金兵衛はまず時堯の様子を思い出しながら構えた。
「なるほど」
金兵衛は呟いた。己の中で何かを理解したのであろう。ついで三郎次を呼んだ。金兵衛は三郎次に墨と筆、さらにありったけの紙を用意させた。金兵衛は先ず鉄砲の全体を写し取り、ついで銃身の部分と銃床の部分を仔細に書くと、一つ一つ確認するように分解していった。鉄砲は数カ所の目釘穴で成立している。その目釘穴を叩いて外すごとにどの部品に繋がっているのか、それは全体のどこの部分に当たるのか、などという詳細を、まるで猫が皿をなめるように丁寧に書きとっていった。
「よくこんなものを作ったものだな、南蛮人は」
金兵衛と三郎次は明らかに苦笑している。
日本人が、初めて外来軍事技術に直面している。
金兵衛は一つ一つの部品を丁寧に測ってはそれを描き留めていく。紙はゆうに百枚を越えていた。
三郎次は鉄砲を組み立てては分解し、また組み立てている。手に覚えさせるように何度も同じ作業を反復させている。
若狭は何をしていたのか。
何もしていない。させてもらえない、といったほうが適当だ。
若狭は前之浜近くにある佐吉おっちゃんの所にいる。佐吉は妻と二人の男の子、さらに生まれたばかりの娘と佐吉の父との六人暮らしで、今若狭は佐吉の娘をあやしている。
「すいませんねぇ、お嬢さん」
「いいの。どうせ家にいてもやることないし」
「どうなさったのかね」
佐吉が若狭の表情を察したようだ。
「父さまが、殿様から仕事を受けたのだけど、私には何もさせてもらえないの」
佐吉は何ともいえない表情をした。
「まあ、金兵衛さんは危ない事をさせたくないのでしょうな。三郎次さんがいる以上、お嬢さんに何かをさせることもないでしょうし」
若狭は不満を顔に出した。
「お嬢さんの事は分かっていますよ、金兵衛さんも。ただ、父御として心配な気持ちも分かりますよ、娘がそれだけ元気で活発なんだから」
佐吉は笑う。
「とにかく、今日はお帰りなさいな、屋敷までお届けしますよ」
佐吉に送られた若狭が屋敷に戻った時も、金兵衛と三郎次はほのかな明かりの下で鉄砲の解明について取り掛かっている。
「ただいま、帰りました」
若狭が聞こえるかどうか、というほどの小さい声で入ろうとした時、
「佐吉、すまなかったな」
金兵衛は佐吉の顔も見ずにいった。
「いや、金兵衛さんも遅くまでご苦労様で」
「全くだ、殿もえらい仕事を頼んでくれたものだよ。それより、あれが迷惑をかけたんじゃないのかね」
「とんでもない事で。お嬢さんにはうちの娘の面倒を見て呉れましてね、助かりました」
「そうか、ならそれでいい」
佐吉は、意を決したようにいった。
「金兵衛さん、余計なおせっかい事だとは思いますが、もうすこしお嬢さんについて気を掛けてやった方がいいと思いますよ」
若狭の足が止まった。金兵衛と三郎次も手を止めた。金兵衛は佐吉の方に顔を向ける。
「余計な心配をさせてすまないな。……、お前はもう寝なさい」
若狭が部屋に戻ると、金兵衛は佐吉を傍に呼び寄せた。
「……、分かっているのだが、どうにも娘にどうして良いかよくわからん。母親が生きて呉れていたら、多少の事は任せられたのだが、父親だけではどうすればよいか分からん。ただ、あいつには余計な事をさせたくないのだよ」
「それはわかりますがね、お嬢さんは、金兵衛さんのお役に立ちたい、とそう思っていなさるのですよ」
「それだけではないよ、あいつは外に出たいのだ。慈恩寺に仕事に行った時、あいつは例の商人どもを影から盗み見ていたのだが、それがどうにも憧憬、というか、そういうように見えた。……、遠くへ行くような気がしてな。無論、かわいい子には旅をさせろ、とはいうが、どうにも割り切れんよ」
「よくわかりますとも、自分の子供がいざそう考えてやろうとした時、気持ちよく送り出せるかどうか。……、それでも、子供もやりたいことには出来る限り沿わせてやりたいと思います」
「親になると、つくづく大変だな。……、三郎次、心得ておけよ」
金兵衛はやっと笑った。
鉄砲の解剖が進んでいくにつれて、鉄砲の部品一つ一つについては非常に繊細な技術が必要であることが分かった。が、同時に今の状況でも大変ではあるが出来なくもない事が明らかになった。特に鉄の部分である銃身については、鍛冶の叩きの技術が多いに応用できることが分かった。
刀鍛冶は当時の日本における最先端の技術者で、金属文化についても他国と引けをとらぬほど歴史も長く蓄積された技術も相当にある。特に鍛造については日本は最先端の技術国で、また強度のある銃身を作るのは不可能ではない。
木の部分である銃床に集約される仕掛けについても薄板を使ったり、目釘の技術を応用することで引き金も作り上げることができた。
一つを除いては。
それが、尾栓だった。
内側に歯が切られている事だけについてはどうしても解明できない。今では基本的な機械要素の一つであるねじ技術だが、当時の日本においては、そもそもねじという概念がない。従って、ねじを切る、という事もわからないければ、尾栓がどういう作り方で成り立っているのか分からない。
これにはさしもの金兵衛は匙を投げずにはいられない。他の部品や構造については網羅したのに、たったこの一ヶ所だけが、分からない。
金兵衛に分からないものが三郎次にも分かるわけがない。
―― 我々でこのような物が作れるのか。
という仲間の鍛冶屋の言葉が金兵衛の頭によぎったかもしれない。
「お師様」
「栓であることには違いないが、この山型をどうして切るか。これが分かればな。……、ふたであることには間違いないのであろうが」
「この穴を塞ぐだけならば、鉄のようなくさびをはめ込むことで事足りるやもしれませぬ」
金兵衛は何とも言えない顔をした。恐らく、技術者として一抹の不安があったに違いない。とはいえ、三郎次の策の以外に思いつく方法がない。金兵衛は和釘を模したようなくさびを作り、銃身の底に、鎚を使って撃ちこみ、さらに火で炙って完全に密封した。
「出来たことにはなるが、これで試し撃ちをせねばなるまい」
翌年の三月頃には最後の点検を終えて、金兵衛と三郎次が向かったのは笹川小四郎の屋敷で、小四郎自身も玉薬が完成したかどうか試す必要があった。
試し撃ちの場は赤尾木城の庭先である。以前と同じように遠くの的に当てる。
試射は時堯自身が行う。先ず鉄砲の出来具合を見た。
「よくできておるな」
「光栄に存じます。されど、これは試作でござりますので、お気をつけなさりませ」
「心得ている」
時堯の玉込めの手際は格段に良くなっていた。縄に火をつけ、少し振り回して火に勢いをつけるところは熟練者でなければできない芸当だ。火ぶたを切って落とした。確かに玉は飛び、的に当たった。が、時堯はうずくまっている。
「殿!!」
家臣たちが抱きかかえた。時堯は顔が半ば焦げたように黒く染まった。
「どういう事だ、金兵衛」
若い家臣が詰問しようとするのへ、時堯はそれを止めた。
「試し撃ちなのだ、こういう事はあり得ることだ。……、だが、これでは使い物にはならん」
時堯の言う通りで、金兵衛は平伏したまま固まっている。
「よいか、金兵衛。この試し撃ちを悔やむな。だが忘れてもならん。これを糧にして作れ」
時堯は居館に戻って医者の手当てを受けることになった。三郎次が金兵衛の傍によって起こそうとしたが、金兵衛は石のように動かない。
「お師様」
「やっぱりあれだ。あれなのだ」
草を掴む金兵衛の手が震えていた。
試射の失敗が島中に届くのにさほど時間はかからなかった。若狭にとってこれほど悔しい結果はない。
若狭はすでに慈恩寺にいた。例の商人に訊ねるためで、応対したのはフランシスコだ。例の鳶色の目の商人で、以前、若狭に目くばせをした商人である。通訳は、日尊が行ってくれる、という。
「あの鉄砲のことについて聴きたいのです」
「はい、なんなりと」
「あの鉄砲の鉄の棒のようなところに栓をしてありますね。あれはどう出来ているのですか」
「あれはパラフゾです」
「パラフゾ?」
「ジパングで何というのか分かりませんが、あれは銃が暴発しないための重要な機構なのです。あそこを完全にふさいでしまったりすると、火薬の爆発に耐えきれず破裂します。一回や二回でも耐え切れなくなるかもしれません」
「それで、そのパラフゾというものが使われている、と」
「その通り。貴女は頭がいいですね」
「それで、それはどうやって作るのですか」
「あれは私たちには出来ません。私たちはあくまで商人です。あれを作れる者は暹羅にいますよ」
「では、私をそこへ連れていってください」
「行ってどうします」
「その職人を捕まえて連れていきます。それが無理なら教えてもらいます」
フランシスコは大笑した。若狭が怒気を見せていると、失礼、と詫びた。
「貴女、海を渡るつもりですか」
「そうです。だってそこにしかいない人なんだから」
「しかし、危険ですよ。貴女のような美しい女性が行くようなところでもない」
「それでも行かなきゃいけないんです。……、というか、行きたいのです」
いきたい、という訳にフランシスコは驚いたような顔をした。
「私は、この島しか知りません。外の世界を見たい。この度の事はそれをするのに恰好なのです」
若狭は何度も懇願した。フランシスコは困惑した表情を浮かべつつも、
「……、わかりました。そこまでいうなら」
と答えた。すると、それを聞いたキリシタが抗議し始めた。フランシスコと何度か話し合うと、キリシタは黙った。
「明国の船が次にやってくるときに貴女を乗せます。その船でシャムまで行くことになるでしょう。そこから先は私が話をつけます」
「ありがとう。恩に着ます」
「いえ、この島にはいろいろよくしてもらっていますからね、このくらいはさせてもらいますよ」
若狭から話を聞いた金兵衛は黙りこくった。
「お嬢さん、それはいけませんよ。駄目です」
三郎次がいつになく赤い顔をして止める。
「海では何が起こるか分からないし、何より危険すぎますよ。お師様の事を案じていなさるなら、お師様はいずれやってのます」
「でも、どう作っていのか分からないなら、作っている人から聞けばいいじゃない」
「なら、私が行きます。お嬢さんには苦労は。……」
待て、と金兵衛が三郎次を止めた。金兵衛は何度も天井を仰ぎ見た。
「お前の母が亡くなった時、お前には苦労は背負わせたくない、と思っていた。出来ればこの島で、無事に暮らしていけばそれでいい、と思っていた。だが、お前はそうではないのだな」
「はい」
「すまんが、行ってきてくれ。そして教えてもらうなり連れてくるなりしてくれ」
明国の船がやって来たのはそれから間もなくのことで、若狭はその船にフランシスコの庇護で乗った。
若狭が戻って来たのは翌年の八月で、漂着の事件から一年ほどだった。
若狭が持って帰って来たのはネジを切りこんだ短い棒で、持ちやすくするように取っ手が付いているものだった。
「どうやって使うんだ」
金兵衛はまるで弟子に乞うようにして訊ねた。
若狭は、銃身を熱し、そこに例の短い棒を回しながら差し込んでいき、手ごたえがなくなると今度は逆に回し始めた。そうして出来上がったのは、金兵衛がどうしても分からなかった山型の構造になった尾栓の穴だった。
さらに若狭はこの尾栓の穴に合う鉄棒を見つけると、今度は鉄棒を熱して柔らかくして、同じように尾栓の穴にねじ込んでいく。そうする事でねじ込んだ鉄棒は尾栓として使う事になる。
「なるほどな」
それが分かると、金兵衛は早速取り掛かった。そもそも概念を知らなかっただけで、分かれば簡単な構造なので、金兵衛はすぐに習得できた。三郎次も同じように。
そうして出来上がった完全な鉄砲は時堯の手にわたり、今度は試射も満足のいく結果となり、鉄砲は「種子島」として日本全土を席巻することになる。
ちなみに、二丁のうちのもう一丁については津田監物、という紀州根来在の者が買い取り、芝辻清右衛門なる人物に作らせた。この芝辻清右衛門は堺に移り、そこで作られた堺の鉄砲は国友に広がり、さらに芝辻清右衛門は、芝辻砲という大砲まで開発することになる。
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