雷 第二十九話

高杉の自信の論拠は十兵衛であった。
 十兵衛は高杉の親書を携えて、赤間関街道を東に、周防は矢原という所に向かっていた。
 ―― 吉富藤兵衛という男に会え。
 と高杉に命じられていた。
 矢原についた十兵衛はすぐに吉富に会うべく、土地の者に案内を乞うた。
 吉富の家は大きな庄屋で、大地主であった。
「御免」
 大音声で声をかけると、扉が開いた。
「高杉晋作殿の使いで参った、楠十兵衛と申す。ご主人、吉富藤兵衛殿に会いたいが」
 吉富はいかにも任侠気のある、眼光鋭い痩身の男であった。高杉の使い、という言葉を聞いて、勇躍するや
「儂が通す。茶でも淹れとけ」
 と、まるで昔年の友人の消息を知ったような喜びようで飛び出していった。
 その勢いに十兵衛は少々戸惑ったが、
「いや、お気づかいいたみいる」
「いやいや、高杉さんの使いの方ならば、無碍には出来ませんでのう。ささ」
 吉富に直接通された広間では、わざわざ上座に座るよう言われると、そのまま座った。
「高杉さんから、これを預かってまいりました」
 と、十兵衛は手紙を渡した。吉富は十分に文字の読める男で、読み進めていくうちに破らんばかりの勢いで手紙をしわくちゃに握った。
「で、何と書いてありましたか」
「高杉さんは、金の無心を言っておられます。軍備には多額の金が要る、と」
 十兵衛は苦しい思いで聞いている。しかし、吉富の震えは怒りのそれではなく、興奮してのものであった。
「こんなはした金で、天下の大事が出来るのならば、安いもんだ。だが、それだけじゃ気持ちがおさまらねえ」
「おさまらない、とは」
「儂ら百姓の意気をみせるのさ」
「しかし、人数が集まりますか」
 吉富は、集まっているよ、といって使用人に触れを出させた。すると、小半時もせぬうちに続々と人が集まりはじめ、その数は吉富の庭からあふれているほどであった。
「これはまた、見事にここまで集めたものですね」
「この程度はなくては長州男児がすたるというものだ。それに、頭も決まってある」
 吉富は聞多どん、と声をかけた。すると、家の奥から凄味の利いた傷だらけの男がのっそりと出て来た。
「あれは井上聞多ちゅうもんじゃ。儂らは聞多どんを大将にして、高杉さんの応援に向かう手筈になっとる」
 井上聞多は頑固そうな太い眉に、鰓の張っている顎、さらに全身が岩石で出来上がったように思わせるような頑強さを感じた。
「井上です。あんたが、高杉さんの使者ですか」
 存外に丁寧なあいさつぶりである。
「楠十兵衛と申します。高杉さんは、すでに絵堂を落としました。今は大田の」
「金麗社におるのだな」
 十兵衛が頷くと、
「藤兵衛。すぐに出立できるか」
「おう。できいでかい。支度はすでにととのっちょるよ。……儂らはすぐに大田で合流するが、楠さんはどうするね」
「私は、このまま馬関に向かいます。もうひとつ、用事がありますので」
 この井上を大将とする軍を「鴻城軍」といった大きな編成は主に百姓である。とはいえ、元は武士であったり帰農したものが殆どである。奇跡に近い「功山寺挙兵」の成功には、この百姓の軍勢が加勢をしたからである。いうなれば、武士以外の階級が、武士の後援をしたのである。恐らく、このような関係性の革命は他に少ないであろう。
 ちなみに、井上は維新後外務大臣などを歴任し、この吉富は第一回の衆議院議員総選挙においてこの長州での当選を果たし草創期の国会議員として今でも名を残しているが、それ以上に吉富はこの長州の地方政治家としての側面が強く、長州から出て来た所謂「長州閥」とよばれる政治家たちの後ろ盾となっていくのである。
 鴻城軍の総勢は千二百ほどで、これを合わせると正義派の総勢は千五百ほどになった。
 十兵衛はそのまま三田尻に戻った。三田尻には先の海軍局攻略の際に奪取した三隻の軍艦が待機している。
「福原清介殿はおられるか。高杉晋作殿の使いで参った、楠十兵衛と申す」
 呼ばわると、数人の武士がやって来た。そのうちの一人が、
「私が、福原清介です。で、高杉さんは何と」
「癸亥丸を動かしてほしい、と。それとこれを」
 十兵衛は福原に、吉富の時と同じように手紙を渡した。その場で福原は手紙を開け、包み紙を刀の柄に置いて読み進めると、
「……なるほど、確かに了解しました。そして、楠殿は、この癸亥丸に同乗してもらいたい、と書いてありますが」
「私が、ですか」
「ええ。貴殿、船は」
「いえ、ありません。生まれこのかた、江戸と京、此処には足で来ましたから」
「ならば、いい経験だ。乗りなさい」
 福原は気持ちの良い男であった。

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