雷 第三十二話

少し、時間軸と目線を外に向ける。
 つまり、長州征伐時の幕府軍の動きである。
 長州が、正義派と俗論派の二派(最終的には三派)に分かれて内乱状態に陥っている時、幕府軍は何をしていたのか。
 何もしていなかったのである。もう少し正確に言うと、「何もできなかった」のである。
 その原因は、薩摩にある。薩摩の西郷吉之助がその張本人であった。薩摩はこの長州征伐の時には先鋒を命じられていたが、当の薩摩自身は士気が低く、さらにいえば長州に同情的なところもあった。
 さらに言えば、長州が馬関戦争を起こす少し前、薩摩も同じく英国一国にいいようにあしらわれ、攘夷の虚しさと非現実性を思い知ったのである。西郷の中に、長州に対して聊か感傷的になっていたのであろう。
 とはいえ、八月十八日の政変で、尻を蹴るようにして長州を追い出した事もあって、薩摩と長州は不倶戴天の敵となっている。その中にあっても、西郷は何とか長州の滅亡を避けるべき方法として、早期撤退の為のいうなれば人身御供を長州に求めた。これが三家老切腹、四参謀斬首、五卿の追放である。この頃の西郷は後年のような厭世家の気分はなく、むしろ策謀が兵児帯を締めて歩いているような男であった。その西郷がたった十二人で事を済まそうとしたのである。
「勝様のいうには、幕府を延命させてはいかん、というのだ」
 という事を、色の強い薩摩弁で同じ薩摩の郎党に語ったのが端緒である。
 幕府軍がそれぞれの持ち回りに着く前、西郷は大坂にいる勝海舟に会った。
「幕府は早晩潰れる。そうなった後は、大名たちで切り盛りしてくれ」
 勝は西郷にあうなり、挨拶や通り一遍の口上を全く無視していきなり切り出した。
「それはどういう事でしょうか」
「つまりだ、幕府は当てにならねえ、って事ですよ。これだけ腰砕けになって、矜持も何もあったものじゃない。必ず、幕府は潰れる」
 幕臣であり、しかも将軍の信任篤い勝が、平然と言ってのけた事に、西郷は勝の豪胆さを
「ひどく惚れ申した」
 と、最大級の賛辞を送っている。
 その西郷が幕府に失望し、同時に長州の価値を考えた時、
(長州は必ず生かさねばならん)
 と答えを出した。西郷にとって、政治的及び軍事的に長州を置いて他に頼りとなる勢力がなかったからである。
 その為には、最小限で戦いを終えねばならず、一日延びればそれだけ長州の傷が深くなる。それはそのまま幕府を延命することになり、それは薩摩や長州にとって不利益にしかならず、それは日ノ本の不幸になる。
「早く長州に頭を下げさせればそれでいい。形はどうでもいい」
 薩摩ほど複雑ではない長州であっても、心の底から降伏し、幕府の意向に従うわけがない。だが、一応のけじめだけはつけねばならない。その為には頭をさげればそれでよい、よいうのが西郷の真意に近いところであっただろう。
「こちらも、命がけで見せねばならんのう」
 と、西郷はその巨体を長州の山野に晒すことを考えている。
 この時、同じ薩摩藩士の高崎五六というものが同じ折衝に当たっていたのだが、西郷が長州に渡るという事を聞いて、制止しようとした。
「西郷どんが行けば、かならず西郷どんの血が降る。そうなったら先ず薩摩に人が居なくなる。折衝は私がやります」
「いや。これはおいが行くことで成り立つもんで、おいがいく」
 といって押し問答があったものの、結局は西郷が自ら赴くことになった。
 とはいえ、長州に渡るには覚悟がなければできない。西郷はその点で、覚悟というよりも世の中の全てにおいて淡泊なところがあった。物や金に執着せず、それは自らの生命においても同様であった。
 物に執着しない、という点で一つ逸話がある。
 ある薩摩藩士が西郷宅にお邪魔した時の事である。
 西郷の部屋の中にある刀を数振見たその藩士が、そのなかの一つをえらく気に入ったので、譲ってほしいと願い出た。すると、
「ええよ」
 と振り向きもせず、書物を読みながらそれを呉れてやった、というのである。ただ、この話にはもう少し先があって、実はその藩士が貰った刀は預かりものであったらしく、しかしすでにあげてしまったがために、預けた藩士には別の刀、それも業物を分けた、という。
 この無頓着さはこのまま後年、明治十年の西南戦争時にも、私学校の為に、遂には命を投げ出してしまうのである。恐らく、この無頓着さは生来の物であるかもしれない。
 その西郷が、長州馬関を過ぎて岩国に到着したのは十一月四日である。副使として、同藩の税所喜三左衛門、吉井仁左衛門の二名が同行した。
 長州藩の、西郷に対する怨嗟はかなりのもので、一部の長州藩士に至っては
 ―― 馬関は西郷の三途の川だ。
 といって、暗殺を示唆する者までいたくらいである。西郷は、それをにこりとして受け止め、
「仕方有るまい」
 とだけいった。
 三人は長州岩国の錦帯橋近くにある岩国陣屋に向かった。
 長州側の交渉役は吉川監物である。長州岩国藩初代藩主であり、戦国時代「毛利両川」と称えられた猛将、吉川元春の子孫である。
 岩国陣屋は横山に築かれた、小ぶりの山城であった。錦帯橋を見下ろすような恰好で鎮座している。
 三人は陣屋の門番に取り次いだ。門番は恨みがましい目つきでもって三人を睨み付け乍ら取り次ぐと、暫くして取次の家臣が出迎えた。
 異様な空気である。今にも抜刀して斬りかかりそうなほどの緊迫さの中を、西郷だけは平然と体を揺らしながら歩いている。冬にもかかわらず西郷はすでに汗をびっしょりとかいている。
「大丈夫ですか」
 税所が息を弾ませている西郷に声をかけると、西郷は静に手で制した。
「いや、これほど肥ってしまうとすぐに息も上がってしまうもんで、申し訳ない」
 西郷は息を整えて立ち上がると、今度はゆっくりと歩き始めた。
 陣屋ではすでに吉川監物が待っていた。西郷は
「征長軍総督参謀、西郷吉之助である」
 と薩摩弁で挨拶をした。
 吉川監物は痩せ型で女性も少し恨めしく思うほどの色白であった。肩も張らず、少々病弱のように思わせるような人物であった。
「長州岩国藩藩主、吉川監物と申す。この度は御足労頂きいたみいる」
「早速でありますが、先般よりわが薩摩藩高崎五六から提示した条件について、腹蔵なく申し上げると、我が薩摩は士気は鈍っており申す。その上、このような内乱をしている場合でもなく、一刻も早く終結し、諸外国に備えるべく早急に実現願いたい」
 確かに近海の情勢を考えると、長州一藩の為にいつまでも長引かせるわけにはいかず、前述した西郷の心情から考えてもそれは避けるべきことであった。吉川はそれを心得ていた。
「家老の三名には切腹させ、政変を扇動した四人については野山獄に入獄させて後、斬首させよう。だが、この五卿追放はいかんともしがたい」
「何故ですか」
「この五卿は我らを頼って来た、いうなれば後ろ盾であり、我が長州が勤皇であるという事の証である。それを動かすことは我らの大義に悖るではないか」
「その大義の為に、一藩が滅んでもよろしいと言われるか」
 吉川は黙った。
「今、この日ノ本は未曽有の苦難を迎えております。貴藩が関門海峡で打ち負かされたのと同様に、我が薩摩もエゲレスによって散々な目にあいました。攘夷は、所詮絵空事であったのです。現実を見られよ。このままでは、日ノ本は終わってしまいますぞ」
「貴殿の言われんとすることは分かっておる。だが、これは大義だけではなく、我が一存で決められる事でもないのだ」
「何故ですかな」
「我が長州には諸隊というのがありましてな、これが攘夷勤皇の勢力となっており、恐らくこの者たちが拒むでしょう。それがしが説諭したとて翻意するとも思えませぬが」
「ならば、直に話を付けましょう」
 西郷は村同士の騒動を仲裁するような軽さで言った。吉川は細い目を見開いた。
「それでは、死にに行くようなものですぞ。ただでさえ、長州は貴藩と会津を「薩賊会奸」といって恨みが天に届いているというのに、そんなところに行けば殺されるのは必定ですぞ」
「しかし、おいが命をかけて話せば分かってくれるでしょう」

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