義挙

 ―― 兇族か。
 山岡鉄舟は、見えぬ程度に身構えた。
 玄関でじっ、とまるで大地に憎しみを込めるようにしてたっている青年の双眸に、得体の知れぬ狂気を感じたからである。
 が、元来よりチャキチャキの、典型的な江戸っ子である鉄舟は生まれ持った自負でもって、それと対峙した。
「青年」
 名前は、と口周りから顎にまで立派に蓄えた髭をしごきながら尋ねた。
「臼井六郎と申します」
 意外にも丁寧な挨拶であった。が、すぐに黙ってしまう。
(役者みテェな顔しやがって)
 鉄舟は、からかい混じりに出そうになった言葉を飲み込んた。
 たしかに、六郎は少し面長で痩せてはいるが決して器量が悪いわけではなく、鼻筋は通っていて、目も二重である。ぼさぼさの髪型を整えて、身なりを直せば、なまじの役者では歯が立たぬであろう。
「で、何しに来たんだ、お前さんは」
「弟子にしてください」
「何の弟子だ」
「剣術を、教えてください」
(今更ヤットウかね)
 鉄舟は、剣術の事をヤットウと呼んでいる。これは江戸っ子であればいわば方言のようなもので、別段の他意はない。
「ヤットウをどうするんだね」
「仇討ち」
 と六郎青年は短く答えた。それが冗談ではないのは役者のような端正な顔を、恨みという仮面で覆い尽くすほどであるからすぐに分かった。
「今時にしちゃ、随分と古風な事を言うじゃねえか」
 鉄舟は桁外れの巨漢を揺らして笑うと、そのまま奥に引っ込もうとしていた。
「何してんだィ。突っ立ってねえで、さっさと上がれよ」
 六郎は魂が戻ってきたように我に返ると、急いで革靴を脱いだ。

 四谷仲町にある鉄舟の役宅は広く、おそらく鉄舟が案内をしなければ、六郎は迷い込んでいたであろう。
「ここまでの屋敷なんぞ賜りたくないのだがね」
 鉄舟はこそばゆい首筋に爪を立てた。
 秋月藩という福岡藩の中部から出てきた田舎の青年にとって、東京は何もかもが桁外れの大きさであった。この頃はまだ東京駅はなかったが、六郎にとって人と物の行き交いは、秋月のそれよりもはるかに大きく、複雑に動いていた。全国の産物が東京に届き、それをまた東京から物的流通にのって各地に運ばれていくのである。
「江戸は」
 鉄舟は思わず口走ってしまった。どうやら、まだ江戸の空気が抜けないらしい。
「東京は、初めてかい」
「え、ええ。……東京のお宅は全てこのように大きいものなのですか」
 六郎は初めて田舎から出てきたての青年のいじらしい顔に戻っていた。
「まあ、皆がみなそうというわけじゃねえが、俺の場合はほれ」
 鉄舟は縁側の障子を勢いよく開けた。
「陛下に仕えているからね」
 といって、着流しの袖の中で腕を組みながら、壁の向こうを見つめていた。向こうは天皇陛下の仮宮殿がある、旧江戸城であった。
「これは、とんだご無礼を働きました」
 六郎はすぐに荷物を放り投げて、廊下に這い蹲った。鉄舟はそれをみて大いに笑うと、
「んな事ぁ、とっくに承知さ」
 といって春風のようにまた奥に向かった。
 鉄舟の背中を見ながら、六郎はある事に気づいた。
(下男もいなければ、女中もいない)
 秋月藩では用役、という分かりやすく言えば家老ほどの役職者であった実家では、数人の下男女中の類は雇っていたのだが、その影が一つもない。
「この家には、女房と餓鬼しかいねえよ」
 六郎の疑問に、鉄舟はそう答えた。
 鉄舟によって連れてこられた部屋は、本があらゆるところに平積みになっている八畳ほどの部屋であった。鉄舟は腕組みをしたまま上座の座布団に座ると、英子に座布団を持ってこさせた。
「あてなよ。弟子になるまでは客人だから」
 六郎が固辞するのへ、鉄舟は睨みをきかせて言った。英子は茶と茶菓子を二人の間にそれぞれ置くと、会釈をしてすぐに戻ってしまった。
「で、話を聞こうじゃねえか。その仇討ちとやらをよ」
 鉄舟は少し熱めのお茶に舌を痺れさせながら、冷ましながら少しずつ口に含ませていった。
「私が、十になってすぐの事でした」
 六郎は袴を握りつぶさんばかりに掴んだ。
「父は秋月藩用役という藩の中でもとりわけ重要なお役目についておりました。ご一新の時、わが藩でも朝廷方か幕府方かで揺れ動いていました」
「そりゃそうだろうな。なんつったって、あの時は日本中がどうするか考え込んでいたからな」
「父は当初幕府方につくことを考えていたのですが、途中で朝廷につくべし、としきりに説いて回っていたそうです」
「そりゃ、何でだ」
 鉄舟は熱くなっている湯呑みを置くと、耳たぶをつまんだ。
「父は様々なところで遊学をしていたそうで、その中で幕府は長くないだろうと思っていたそうです。加えて、王政復古で幕府の威光はなくなっていた、と考えていたんでしょう」
(俺はその幕府の家臣だったんだがな)
 鉄舟はそれをおくびにも出さず、黙ってまた茶を啜っている。
「藩内では父の考えに呼応する方も居たそうですが、一方で父を『変節した』といった人もいました」
「そう考えるだろうな、あの時代じゃ」
「その中で『干城隊』と呼ばれる集団が父を狙っていたのです」
「かんじょうたい?」
「元は攘夷を唱えていた集団だったそうで、幕末の動乱では人を殺めていたと聞きます」
「用は、オッチョコチョイってわけか」
 といって鉄舟は鼻で笑った。
「それが、先ほど言ったとおりになってから、干城隊は幕府を救うべしといい、父は朝廷につくべきだと意見が対立したそうです。そして、明治元年五月に父は殺されました。次いで母と、まだ乳飲み子だった妹までが手にかかりました」
「お前さん、その時どうしていたね」
「私は、祖父母と共に寝ていたので大事ありませんでした」
「そいつら、どうなった」
 鉄舟はすでにぬるくなった茶を飲み干していて、湯呑みを置いて話に入り込んでいる。
「干城隊はお咎めがなく、むしろ臼井の家は家禄を削られました。父の死は非業、災難であったと言い置かれるだけでした」
「そりゃおかしいだろう。どう考えたって、それは人殺しだぜ。それも藩の重役をヤッタとあっちゃ、何らかの処罰はなけりゃどうしようもあるめえ。まさか、お前さん所はそれを許されてるのかィ」
「いえ。当時、藩は勤皇攘夷に傾いていて、干城隊が実質藩の実権を握っていたのかもしれません」
「待てよ、お前さんの親父殿は、勤皇に鞍替えしたんだろ?だったら、なんで殺されなきゃならなかったんだ」
「これは、叔父から聞いたのですが、父は勤皇で、開国をするべきだ、と言っていたようです。恐らく、今から考えれば干城隊は攘夷だったから、その対立で殺されたのでは」
「本当のオッチョコチョイじゃねえか。単なるバカヤロウだぜ、そいつらは」
 おそらく、明治時代の初年前後を掘り起こせば、このような話は小高い丘が出来るほどに出てくるであろう。実際、幕末動乱から王政復古、さらに大政奉還と時代が大きく、それこそ治世では十年以上の歳月を、動乱期はたった一年で消費してしまうほどの莫大なエネルギを費やすのである。そのために、非命と称して殺された者はそれこそ屍山血河のようであった。
「こういっちゃなんだが、よくある話だぜ。お前さんだけじゃねえよ、そんな思いをしているのは」
 諭す心算はなかった。
 幕末動乱から江戸城無血開城までを斬り抜いてきた鉄舟からすれば、
(申し訳ないが、それやってちゃキリがねえぜ)
 というある意味では冷めた心地になっていた。実際、有名な暗殺事件でも、明治以降仇討ちをしたという記録は残っていない。現実、仇討ちの成功率は一分(1パーセント)も満たぬほどで、その殆どが諦めてしまうか、あるいは国外に出た場合は帰る事も出来ず、過去を隠して生きて行くか、あるいは野垂れ死ぬかいずれかであった。
「で、要するにだ、お前さんはおとっつぁんとおっかさんと妹の仇を討ちたい、と。だが、周りはどうしていたね」
「私は親戚の家で育ちましたが、仇討ちという言葉を腫れ物のように扱っていて、誰も口にしませんでした。私が口にしようとすると、それを閂をかけるように黙らせてしまい、『滅多な事を考えるんじゃない。返り討ちがオチだ』といって黙ってしまうのです」
「ある意味、賢明ではあるな」
 鉄舟はその巨漢を持ち直すように背筋を張った。また、腕を組んでいる。
「では、父の無念はどうなりますか。藩の為に戦い、藩に殺された父と母は。妹は父は首を討たれ、母は何度も刺され、妹は胴が寸断されてたのです。その無念は、誰が討つのですか」
 六郎の肩がふるえているのへ、鉄舟は持ち前の任侠っ気が地の底を割って盛り上がった。
「そいつら、人じゃねえよ。そいつらの意地を通すなら、親父だけを殺すべきだったはずだ。お袋さんや妹まで手にかけるたぁ、人のやることじゃねえ。ましてや乳飲み子にゃあ何の罪科があるというんだィ」
 鉄舟の顔はすでに幕末、虎尾の会にいた頃の血気に逸る「鉄太郎」に戻っていた。
「とはいえ、仇討ちはご法度になっているを知っているな」
 というのは、明治六年に発布された「仇討ち禁止令」である。司法卿、つまり現在で云えば法務大臣である江藤新平が太政官第三十七号布告で発布したものである。正式には「復讐ヲ嚴禁ス(敵討禁止令)」とある。

 この発端を少しだけ紹介しておく。文久二年、赤穂藩家老である森主税と村上真輔というものが攘夷派の一団によって惨殺される事件がおきた。首謀者は西川邦冶以下、十三名で、森主税は子供がいなかったためお家は断絶され、村上真輔は十人という非常に子宝に恵まれたゆえ、家の断絶はなかったが、それでも閉門、追放という非常に理不尽な裁定が下った。
 というのも、この時の赤穂藩、秋月藩同様に攘夷派によって実権が握られていた為、都合の悪い守旧、あるいは開明派を断罪する事で藩内の統一を図ったのである。幕末時代に薩長によって始まったこの天誅劇は、おおきなタイムラグとなって日本中を駆け巡っていたのである。さらに村上家に悲劇が起きたのは、長男の病死と次男の切腹である。長男の病死は仕方のないことであるが、次男の切腹には少し理由があった。当時、病弱であった長男に代わって、次男が家の一切を取り仕切っていたようで、その事と才気煥発という噂があった為、次に狙われるのは必至であった。次男駱之助は、
 ―― 集団で襲われては歯が立たない。かといって、討たれるのは武士の恥。
 と考えて迷った挙句に切腹に至ったのである。長男もその後病死したが、残る四人兄弟(村上家は十人のうち六人が男子であった)は九年という歳月をかけて西川達を追った。高野山に向かう事を知った村上兄弟は、四人のほかに助太刀と見張りを加えて七人。対する西川一派は十三名から六名に減じている。何故減じているのかはわからないが、とにかくほぼ対等で戦う事が出来たのである。場所は高野街道である。西川らは藩より墓守として釈迦門院に向かうよう命じられていたのだが、事実上の隠匿であった。しかも、高野山は犯罪者であっても生命の保証が許される場所であった為、一種の治外法権とかしていて、入れば最早何も出来なかった。
 ゆえに高野街道での待ち伏せとなったのである。
 二月といえば、近畿南部といえども十分に寒風吹く時期である。
 高野街道で待ち伏せした村上兄弟は、上ってくる西川らを囲むようにして現われ、凄惨な斬りあいが行われ、西川以下六名全員の首が路傍に投げ捨てられるという、地獄絵図のような状態であったという。
 しかしすでに江戸から明治にうつっていた時代、近代国家としての呱々の声を上げていた日本にとって、この仇討ちという風習はいかにも前時代的であった。要するに時代遅れだったのである。
 結局、村上兄弟は自首したが、死罪判決となった。後、明治六年に恩赦を受けて、実際の刑罰は禁固五年であった。
 江藤はこの事態を受けて、同年に発布するのであるが、ごりごりの法律屋であった江藤からすれば、風習という非合理で民俗的な行動はこの上なく野蛮に見えたのであろう。それと付け加えるならば、西洋列強に対するコンプレックスもあったのであろう。
 少し話がそれた。
 鉄舟は、無論その発布を知っている。
「それでもやるのかい」
 六郎は黙った。
「……。ま、じっくり考えなよ」
 といって、再び英子を呼んだ。
「空いてる部屋はどれだけある」
 英子は指折り数えたが、途中で数えるのをやめた。
「それだけありゃ十分だ。こいつを泊めてやってくれ」
 鉄舟は立ち上がって、大きく背筋の緊張を解くと、手ごろな部屋に案内をした。

 六郎は住み込みになった。無論、単なる居候では何とも申し訳が立たないので、家の雑事を細々と片付けていく。その生真面目な様は、英子が感謝するほどであった。
 その間、鉄舟は明治天皇の侍従という立場にあったので、毎日仮宮殿に出仕する。といっても、要は天皇の話し相手であったり、あるいは遊び相手であったり、時には天皇に心構えを教えたりと、実際のところは侍従という名を借りた教育係であり、御幣を恐れずに云うならば守役といったほうが適切かもしれない。
 六郎は時折訪ねて来る職人達に対応している。
「若けぇの、どこから来た」
「あ、秋月藩です」
「そうかぇ。で、その秋月ってのはどこにあるんだ」
「福岡」
「九州かぃ。そりゃまあ、たいそうな事で。で、先生はどちらに」
「お城です」
 職人達は、あ、と声を上げると申し訳なさげに何度も頭を下げるとまた来ます、といって帰ろうとした。
「おう、すまんな」
 声を振り向くと、鉄舟がその巨体でもって日差しを遮っていた。
「先生。丁度今来たところで」
「いや、すまん。奥に上がってくれ」
 というと、鉄舟は職人達を家に上げた。職人達は大いに縮こまりながら、奥に消えていくのである。
 暫くのやり取りがあったようで、職人達は
「じゃ、先生。そういうことで」
「頼んだよ」
 と職人達の背中越しに声をかけた。
「先生。何かなさるので」
 と、六郎が尋ねると鉄舟はそのまま表路地に出た。
「ここに、道場を建てるんだ。侍従の仕事ももうすぐ終わる。そうなった時の暇つぶしよ」
 といって鉄舟は豪快に笑った。
 事実、この後鉄舟はこの仲町の屋敷に隣接する形で、道場をひらく事になるのだが、それはこの稿からは外れるので割愛する。
「六郎。体、鈍っちゃいねえかい」
「体、ですか」
「おうよ。どうでぇ」
 すぐにその意を察した六郎は、
「鈍っています」
 と満面の笑みで答えた。

 鉄舟の稽古の厳しさは他の流派では想像を絶するものであったと、伝えられている。
 大日本武徳会の渡辺昇氏は、鉄舟の竹刀稽古の烈しさをもって、
 ―― 薪割り剣術のようだ。
 と言っていて、鉄舟の稽古への厳しさがよくも悪くも表現されている。鉄舟の稽古が苛烈であるのは後、彼が正式に立てた道場である「春風館」においても同じで、一人が七日間で一四〇〇回もの立ち切り稽古を行うのである。立ち切りとは、一人の剣士相手に数人以上で交代して打ち掛かり、体力の限界までやり続けることであるが、鉄舟の場合はこれを「誓願」といった。恐らく禅の域に達するにはそれほどの極限を迎えなければならない、という考えだったのかもしれない。
 昭和の剣聖と謳われた高野佐三郎氏は、
「今までで最も辛い修行で、血の小便が一週間は続いた」
 といったほどであるが、その苛烈さは想像に難くない。
 無論、六郎にそこまでを強いられるほどの余裕もなければ人手もない状況下ではそれができるはずもない。せいぜい、庭先でもって例の「薪割り剣術」を仕込む程度しか出来ないのである。
 幕末、その剣術でもって切開いた男の直接指導は六郎の中で何か期するものがあったようで、屋敷に訪ねてきたときの剣呑さは影を潜めていった。
 潜めていく剣呑さと入れ替わるようにして、元来あった田舎青年の朴訥さが出てきた。
 長男である直記も、最初は六郎に警戒していたが、次第に打ち解けるようになって、時にはいい話し合いにもなったりして山岡の家に溶け込み始めていた。
 鉄舟の好物はあんぱんであった。それも、木村屋のあんぱん以外は口にしなかった。明治二年創業のこのパン屋は、木村安兵衛という武士が始めたもので、当時、武士の商売は失敗するというのが常であったが、この木村屋のあんぱんは宮中御用達にまでなったほどで、木村屋の看板の揮毫はこの鉄舟が起こした。現在では関東大震災によって消失してしまっているが、当時の写真によって確認できる。
 毎日食べていたそうで、それでも飽きが来なかったのだから、よほど相性が合ったのであろう。
「殿様、六郎さんをどうなさるおつもりですの?」
 英子はすでに二つ目のあんぱんを鉄舟に差し出しながら尋ねている。しかし、その顔は意中を察しているようで、質問と云うよりも確認といったほうが適切かもしれない。鉄舟は、
「あいつが仇を討つ、というのならとめはしないさ」
 といいながら、まだ頬のあたりが膨らんでいるにもかかわらず、手を伸ばしている。
「では、やめるとしたならば、どうなさいます」
「道場が出来た時には弟子にするつもりだ。筋がいいんじゃねえ。それ以外の道を教えてやりたいのさ」
 鉄舟は漸く食べ終わった口の中を、休憩させる事無く、二つ目にかぶりついた。かぶりついたまま、硯や筆と心理戦を展開しているのである。

 六郎はそのような事を知るわけがなく、暇を見つけては稽古を続けている。
 ―― 根性だけはある。
 と鉄舟もそれは認めていて、すぐに根を上げるであろう苛烈な稽古であっても、脛の肉に食らいついた獅子の子のように、また立ち上がってくるのである。その根底に、恐らく仇の人物がいることは間違いないが、ただそれだけでもなさそうである。
 鉄舟はそれを不思議に思った。
「六郎、根性あるな」
 井戸の冷えた水で、鉄舟は宥めるようにして体を拭いている。
「恐れ入ります」
 六郎も、それに習って同じように拭いている。
「……、それほど仇が憎いかい。って、当たり前か」
「はあ」
「仇討ちをやめるのかい」
 六郎は黙っている。
 鉄舟はそれ以上何も言わず、手拭を肩にかけて、そのまま屋敷の中に戻った。
 用事が済んだ六郎はそのまま部屋に戻ってごろり、と仰向けになった。
(どうするか)
 ほんの少し、迷いが出始めている。しかし、それは曇った迷いではなく、前途に拓いた道がどちらも揚々たるものに見えるような、贅沢な迷いであった。
 田舎から出てきた青年が東京という、化け物じみた大都会に圧倒されながらも、濃厚に残った江戸の空気を吸っているうちに、故郷である秋月が酷く遠い異世界のように思えた。
(このまま、江戸にいればどれほど楽しいか)
 行き交う人々の洋装であったり、あるいはガス灯なるものに未来を感じ、鉄道と人力車に異世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
「これが同じ日本か」
 それに比べて、秋月の土地はまだ封建の匂いが残っていて、産業や文化などくらぶべくもなく遅れている。それは、そのまま時代の変貌の烈しさをみた。と、同時にそれは己の内面にある「古さ」と対面する事にもなる。
「仇討ちなんて古いものだろうか」
 現に、仇討ちはすでに禁止令が発布されているし、もし本懐を遂げる事になれば、自分は人殺しである。それ以前に、東京という町そのものが、
 ―― 仇討ちなんて古臭い。
 と大いに嘲笑しているようにも感じている。
 無論、仇が憎くないわけが決してない。が、江戸から東京、という町の変貌は、それまでの価値観そのものを全て古い、と断じてしまっているようで、それが六郎の中にあった価値観までもが否定されているように思うのである。
 恐らく仇討ちをすれば、本懐を遂げて自分の精神は十分に充足されるであろう。が、このまま東京にあって、剣術を修行しながら存分に東京の空気を吸うことも、違う充足を齎すのではないか。
 六郎の岐路はどちらの精神的充足を得るか、という選択である。その意味では、実に贅沢な選択といっていいいであろう。
 仇討ちの精神的充足は、近代国家になって随分と久しい現代になっては名状しがたい。仇を討ったところで殺された人間は蘇るはずもなく、ただ自らが殺した死体が一つ増えるだけの話である。だが、仇討ちとは不条理に殺された者達への鎮魂であり、同時に執行者自身に対する感情への答えでもある。答え、というのは納得の事である。仇を討つ事で、遭難した被害者達の荒ぶっているであろう魂を、仇を生贄とすることで鎮め、己の感情に一定の区切りをつけるのである。
 それはある種の自己満足に、第三者からは見えるであろうが、これは被害者あるいはその近親者にしか分からぬ感情であろう。
 要するに、六郎は精神的充足を天秤にかけているのである。迷いとは、精神的充足の選択である。
「六郎、支度をせい」
 鉄舟の大声が、六郎の脳髄に、大きな杭で打つような衝撃と覚醒を与えた。
「は、どこに行かれるのですか」
「町を散歩だ」
 といって、鉄舟は巨体を揺らしながら、屋敷を出た。

 特にあてがあるわけではない散歩は、じつにのんびりとしている。
 四谷から丸の内に出て、さらに銀座と足を伸ばした。
「ここらあたりは随分と変わったなぁ」
 と、鉄舟は舟から花見をするように銀座の町並みを見ている。
 数年前の、和田倉御門にある兵部省からでた火が原因で、銀座一帯は火に飲まれてしまった。その為、銀座一帯の区画が一新されていて、かつて江戸の頃にあった銀座の面影は完全に消し飛んでしまっている。
 鉄舟は暫くなにやら感慨深そうな声を上げながら、ぶらぶらと歩いていたが、だしぬけに
「どうするんだぃ」
 六郎は、どきりとしたが、すぐに仇討ちの件だとわかったようで、
「正直いうと、迷いが出始めています」
 と、答えた。鉄舟は振り向いて、暫くじっと六郎の顔を見つめると、
「そうか」
 といったきりふたたび散歩を始めるのである。愛宕権現から増上寺にまわって四谷に戻るのだが、その間、鉄舟は六郎には背中しか見せておらず、言葉をかけることもない。六郎が自ら決断するしかない事を分かっていたからである。
 その帰り途中の事であった。
 ―― 臼井六郎ではないか。
 と声がかかった。
 振り向くと、六郎より少し年長であろう青年が肩を叩いた。
「もしや、手塚さんでは」
「やはり、六郎か。いや、秋月での一瞥以来だな。元気そうで何よりだ。……そこの方は」
「こちらは、山岡鉄舟先生です。今、こちらでお世話になっているのです」
 手塚と呼ばれた青年、名を手塚祐という。六郎と同じ秋月の生まれで、維新以後は司法省の役人として東京上等裁判所、現在の東京高等裁判所に勤めている。
「そうか。で、江戸にはいつ来たんだ」
「もう一年を過ぎました」
「ならば言ってくれよ。水臭い」
「まさか、手塚さんが東京にいるとは思わなかったですからね」
 二人で話に花を咲かせていると、鉄舟は、先に戻っているぞ、と一言だけ言い置いて、先に戻ってしまった。
 二人は増上寺近くの茶店に入った。
「まさか、ここで会うとは、よほどの縁があるのだろうな。東京は、凄い町だろう。秋月とは比べ物にならん。ここに居ると、あの幕末維新が一体何だったのか、と思ってしまうほどだ。時代も変わり、この日本も変わった。侍は古い。これからはそんな古いものは斬り捨てていかねばならん。西郷大将はそれが出来なかった。だから、薩摩の地で死んだのだ」
 手塚は出された茶に口をつけた。
「六郎は、今どうしているんだ」
「鉄舟先生の下で、色々と」
 仇討ちである、とはどうしても言い出せなかった。
「俺は今、司法省で役人をしている」
「それは出世ですね」
「まあ、出世と言うほどではないが、上司が同じ秋月の人なので、それでよくしてもらっているのだ」
「なるほど」
「お前は、知っているのかな、元干城隊だった山本克己殿だ。今は一瀬直久と名を改めたのだがな」
 六郎はその名を聞いて、薄れていた感情が、埃を払い、丁寧に磨き上げた彫像のように鮮明に浮かび上がってきた。無論、手塚はそれを知る事無く、淡々と話している。
「一瀬殿は凄いぞ。甲府、静岡ときて今は東京の上等裁判所の判事にまでなっている。出世頭じゃないかな」
「手塚さん。申し訳ないが、そろそろ」
「あ、ああ。どうも話が過ぎてしまったようだ。また」
 といって、手塚は茶店に御代を払うと、挨拶代わりに手を上げて裁判所に戻っていった。
 どこからどう戻ったのか分からないほど、六郎の動悸は激しかった。
「ただいま、戻りました」
 遅かったじゃねえか、と鉄舟は声だけで出迎えた。
「先生」
「随分と、顔が青白いじゃねえか」
「仇が、仇が分かりました」
 鉄舟は笑っている顔をそそくさと仕舞いこんた。
「どこの誰だ」
「司法省の役人で、判事の一瀬直久という男です」
「司法省か。……随分と厄介なところに入り込まれたもんだな。ちっとやそっとじゃ手が出せねえぜ」
 鉄舟は木村屋のあんぱんにかじりついて、忙しなく顎を動かしている。
「お前はどうするんだ」
 また、聞いた。
「分かりません」
 また、答えた。
 六郎はそのまま部屋に戻って、ごろり、と横になった。
(そういや、素振りもしていないな)
 すでに月はほんのりと正体を現し始めていたが、その月を斬る様にして六郎は木刀を振るった。

 東京上等裁判所は、今でいう東京高裁である。東京都千代田区霞ヶ関一丁目にある。江戸時代では大名屋敷が立ち並ぶところであり、目の前に桜田門が見える。
 鉄舟がどう思い立ったのか分からないが、素振りで疲れ、溶け込むようにして寝ている六郎を強引に起こし、
「散歩だ」
 といって、また出て行くのである。
 朝餉もそこそこに、六郎は鉄舟の背中を追った。
「先生、どこに行かれるのですか」
「ついてこい」
 というだけで、すたすたと歩くのであるが、鉄舟の速度は尋常ではない。銀座に向かった時は、それこそ物見遊山のような速さであったのに。
「先生、待ってください」
「若けえのが、へばってるんじゃねえ。幕末維新の時なんざ、こんなもんじゃなかったんだぞ」
 といって、鉄舟は笑う。
 実際その通りで、幕末維新の折、朝敵となった徳川慶喜の助命嘆願の書を懐に挟んで、鉄舟は官軍が雲霞の如くあった江戸の市中を、
「朝敵徳川慶喜が家臣、山岡鉄太郎罷り通る」
 と大音声で呼ばわりながら、堂々と歩いていったのであるが、実はこのとき、後ろから薩摩軍の村田新八と、中村半次郎が追いかけていたのである。理由は、鉄舟と西郷を会わせず、鉄舟を斬ることだったのだが、どうにも追いつかず、ついに慶喜助命、そして江戸城無血開城という運びになるのだが、西郷との会談を終えた鉄舟は、新八と半次郎にあった。新八は、
「先日、官軍の陣営を、あなたは勝手に通って行った。その旨を先鋒隊から知らせてきたので、私と中村半次郎(桐野利秋)とで、あなたを後から追いかけ、斬り殺そうとした。しかしあなたが早くも西郷のところに到着して面会してしまったので、斬りそこねた。あまりにくやしいので、呼び出して、このことを伝えたかっただけだ。他に御用のおもむきはない」
 といった。すると鉄舟は
「そりゃそうだ。俺は江戸っ子だ。お前らはのろまだから、俺に追いつくはずがねえ」
 と、わざと意地悪にいった。すると三人は大笑いして、そのまま分かれた、という逸話が残っている。
 程なくして、上等裁判所についた。
「ここか」
 鉄舟は初めてのようであった。
「六郎ではないか」
 後ろから声を掛けられた。六郎がへばった顔で振り向くと、手塚であった。
「これは、いつぞやの」
「俺かい。俺ぁ侍従やってる山岡鉄舟ってもんだ。こいつの先生だよ」
「これは挨拶いたみいる。それがし、元秋月藩士手塚祐と申す。いごお見知りおきを」
 と手塚が丁寧に頭を下げた。すると、
「手塚。何をしている」
 とさらにその後ろから声がする。六郎と鉄舟がその姿を見た。
 いかにも文明開化を絵に書いたような男で、紋付袴という出で立ち。手に持っているのは法律書の類であろう。すこしそっくり返って威張っていて、傲岸不遜というのは、このような男の事を指すのであろう。
「あ、一瀬さん。こちらは、侍従の山岡鉄舟殿で、その隣にいるのが、臼井六郎という、同じ秋月の者です」
 鉄舟は普通に頭を下げたが、六郎は睨みつけた視線を外さぬまま、悔しそうに頭を下げた。一瀬は一言
「そうか。……手塚、早くしろ」
 とだけ言って、すぐに裁判所に向かった。手塚は慌てて二人に謝りながら、一瀬の後ろについた。

「いけすかねえ野郎だ」
 鉄舟の歩みは行きに比べると酷く遅いものになっていた。が、それ以上に六郎の足取りは重い。
「六郎」
「覚えていなかった。あいつは、私を覚えていなかった」
「顔を知らないだけじゃねえのかい」
「私の名前を聞いても、何も反応しませんでした。あいつは、覚えていなかった」
 六郎は立ち止まって、震えながら懐に手を入れた。亡父の形見である短刀を忍ばせている。
「滅多な事考えるんじゃねえ」
「先生」
「今は、滅多な事を考えるんじゃねえ」
 鉄舟はそういって、六郎の首根っこを捕まえると、有無を言わせぬ膂力でもって六郎を吊り上げると、そのまま四谷の屋敷に戻った。
 そのまま夜まで過ごす。
 六郎にとって忘れえぬ仇が、全てを忘れていた事に更なる憤怒の念を増大させるのである。一瀬にとって、暗殺事件は当の昔に、忘却のかなたに飛んでいってしまっているようであった。
「六郎。飯はちゃんと食え」
 鉄舟は椀で顔を隠したまま言った。
 数日、六郎の頭から、一瀬の傲岸不遜なる様が離れない。それまでの迷いは吹き飛んでいた。一瀬の顔を見たことで、幼い頃に見てしまった父母と妹の惨劇を、鉄分のたぶんに含んだ血の匂いと共に油絵のように蘇ってきたのである。と、同時に一瀬に対する積年の憎しみが、法律を越えたのである。
(殺す)
 六郎は、その役者のような顔を青黒くさせて、決意を固めた。
 その日から、六郎は独自に探索を始めた。一瀬の足取りを追うためである。無論、鉄舟には無断であった。
 が、すでに鉄舟には顕れていた。
「好きなようにさせてやれ。六郎の恨みは誰が言っても消えねえだろうよ」
 そういっては、硯と戦うのである。
 鉄舟はまるで、願掛けのようにして何かを揮毫し続け、それと呼応するように六郎の探索も続いた。
 数ヶ月の探索が続き、六郎は自力で、ある一つの行動を読み取った。
 毎月十七日に、一瀬は必ず旧藩邸に出かけている事が分かった。旧藩邸は、京橋三十間堀、京橋と紀伊国橋の中間ほどにある。
 十二月十七日。
 六郎は、綿密に調べ上げた情報を元に、京橋に向かった。懐に、父の短刀を忍ばせている。
 門の影に隠れ、じっと我慢強く時間を過ごした。
 暫くして、果たして一瀬は現れ、門の中に入っていった。
 屋敷には数人の人の気配があったが、こちらに来る様子はない。
 一瀬が入ったところで、
「一瀬」
 と呼ばわった。一瀬は只でさえ不遜といえる顔をさらに不機嫌にさせて、
「誰だ。小僧」
「臼井六郎だ。臼井亘理の遺恨、忘れたのか」
 一瀬は暫く考え込んで、ああ、そうか、といって近づいてきた。
「確かに私が殺した。だが、何年も前の話だから忘れていたよ」
 一瀬は全く悪気がないような声で、六郎に言った。それがさらに六郎の神経を逆なでにする。
「お前の親父は変節漢だった。だから殺した。何の問題がある」
 一瀬はそう言い切ると、二階に上がろうとした。六郎はその腕を掴んで引き戻し、
「ならば、新政府に仕えているお前は何だ」
 それこそ変節ではないか、と一瀬に飛沫を飛ばした。
「俺は時代に目覚めただけだ。お前の父親とは違う」
 強情で、最早論理的破綻を遂げている強弁であった。六郎は最早これまで、と短刀を懐から出し、抜いた。
「俺を殺すのか。殺せば、お前は人殺しだ」
「ならば、お前は」
 六郎は遂に父の短刀を一瀬の腹に突き刺し、引き抜くと今度は頚動脈を一気に引き切った。鮮血によって赤い絨毯が黒く変わっていく。
 変事にいち早く気づいたのは手塚であった。
「六郎!!」
 と叫ぶだけで、後は六郎の体を拘束した。
「何もしません。自首します」

 六郎が仇を討った。本懐を遂げた。
「ようやった。これぞ義挙だ」
 鉄舟はそれを英子から聞きつけて、揮毫している書もそこそこに何度も膝を叩いた。
「六郎さんはどうなるのです」
「恐らく、殺人の罪で死刑か、良くて終身監獄だろうな」
 鉄舟は淡々と話した。
「それは余りにも酷うございます」
「しょうがあるめえよ。仇討ち禁止令だ」
 暫く二人は黙っていたが、英子は勝手に向かった。
「どうするんだ」
「差し入れを持っていきます。それくらいしか、出来ませんから」
「ちょっと待て」
 英子が急ぐのへ、鉄舟は待たせた。暫くすると、書簡を持たせて、持って行かせた。
 小菅の監獄に六郎に面会したのは、それからすぐの事であった。
「六郎さん」
「はい」
「後悔していますか?」
「いえ」
 短い答えであったが、はっきりといった。双眸にも、微塵の迷いはない。
「それでいいと思います」
「でも、先生が」
「山岡は、あなたが仇を討つということを分かっていて、あなたを書生にしたのですよ。私は武士の妻ですから、武士というものがどういうものかをよく理解しています。山岡は、あなたを誇りに思っています。無論、私も」
 といって、差し入れを出したことを伝えた。
 英子が去った後、差し入れを貰った六郎は、書簡をあけた。その中には二つ入ってあった。ひとつには、
 ―― 義挙。
 とあり、もう一つには、
 ―― 世の中の全てがお前にそっぽ向いても、俺は味方だ。
 と書いてあった。

 翌年九月に判決が出た。その判決文は現存してある。
 ―― 父母ニ其罪ナシト聞キ、幼年ナガラ痛忿ニ堪エズ、
 とあり、さらに
 ―― 父亘理ハ死後冤枉ニ陥ラレシト聞キ、之ヲ事実ト認ルヨリ、益々痛忿激切、父ノ讐ヲ手刃スルヨリ外ナシト決心シ
 と事実関係をよく理解した、主文ではあったが、やはり殺人罪である事実は変わりなく、自首ということを減免はできず、結局は「禁獄終身」つまり、終身禁固刑であった。
 鉄舟も、
「六郎が後悔していなけりゃ、めげることはないだろうよ」
 といって飄々とはしていたが、密かに英子に何度も差し入れを入れさせた。
 漸く道場の普請が出きたのはそれから数年たった明治十八年である。
 道場は春風館と名づけ、その看板も鉄舟自身が書いた。
 江戸時代の剣術道場を髣髴とさせる造りで、正面奥の壁に、門弟の名前が入った木札をかけた。
 後、鉄舟の道統を継ぐ香川善治郎が、妙な事に気づいた。
「先生、あの端にある臼井六郎とはどなたの事ですか」
「ああ、あれはお前の兄弟子だよ」
「ですが、お目にかかったことがございません」
「あいつは、今剣術詮議にでているところさ」
 鉄舟はそういって、目を細めていた。

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