雷 第三十六話

高杉と伊藤が長崎に着いたのは三月の中頃であった。
 目的は、ある人物に会うためである。長崎港に降り立った時の一陣の潮風が高杉の咳を誘ったようで、高杉は激しくせき込んだ。
「大丈夫ですか、一度医者に見せたほうが」
「こんなところで倒れては何もならないではないか。この事は黙っていてくれよ」
「しかし、楠さんにもいわず、どうして」
 咳の治まった高杉は、長崎の港を見渡しながら、
「楠君はこれ以上巻き込むわけにはいかない」
「楠さんが、余所者だからですか」
「それもある」
「しかし、楠さんは我々の為に尽くしてくれたじゃありませんか。あまりにひどいと思いますがね」
 高杉は何も言わず、小高い丘にある邸宅に向かった。
 邸宅は洋風建築で平屋の造りになっている。邸宅の主は青年の西洋人である。
「タカスギサンですか」
 西洋人は少したどたどしい日本語であったが、聞き取れぬほどでなく、むしろ流暢な方だといっていい。西洋人の割に彫が浅く、また鼻梁も鷲鼻というほど大きなものでもない。口に蓄えた髭を綺麗に揃えているのが印象的であった。
「トーマス・ブレーク・グラバーです」
 グラバーは、そのまま右手を差し出した。高杉は心得ていてすぐに握手した。伊藤も自己紹介をした。
「こちらにどうぞ」
 グラバーに促され、二人は邸宅内に入った。珍しい調度品が並び、西洋風に誂えている家具や椅子などは長州にはないものである。さらに、二人は応接間に通された。長いテーブルが置かれ、数脚の椅子が向かい合ってしまわれている。グラバーはにこりとして、座るように促した。二人は椅子を引き、ゆっくりと腰かけた。心地よいクッションが疲れをとった。
「本題ですが」
 グラバーは日本語にはまだ慣れていない様子で、英語を使い始めた。
「どういったご用件でしょうか」
「実は、エゲレスに行きたい」
 伊藤はロンドンに留学した事がある。英語は堪能であった。
 グラバーはおどけて口笛を鳴らした。
「これは大胆ですね」
「やってくれますか」
 グラバーは頭を振って、断った。
「無茶だ。海外への渡航は重罪と聞く。それに、その影響は我々にも及ぶ。とても出来る相談ではない」
 グラバーの態度を見て、高杉は事態を察知した。
「俊輔、無理なのか」
「グラバーさんは、累が及ぶことを懸念しておられるようですね」
「懸念だと」
「確かに、我らが英国に向かうとなれば、商売もやりにくくなるでしょうから、その事を考えると」
「しかし、俊輔と聞多は貴殿の紹介で渡航したのではないか。それがなぜこの度は出来ないというのだ」
「あの頃は、まだそれほど緊張があったわけではない。むしろ、渡航するには絶好の機会であったはずだ。それは、タカスギさんもよくわかっているはず。それに比べて、今はバクフの討伐が終わったばかりで監視も厳しいはずだ。そのような危ない橋を渡るほど、私は愚かではない」
 この点、グラバーはあくまで商人であった。確実に出来る事のみをやり遂げ、けっして勝負には出ない。確実に利益を掴むという、商人というよりも堅実な経営者であった。
 高杉は少し唸って、
「ならば、外国と通じる手段はどこにある」
 いきなりの質問で、伊藤は驚きながらグラバーに問いかけた。グラバーは微笑みながら
「開港すればいい」
 つまり、諸外国の為に港を開けろ、というのである。
「私の情報によれば、オールコックの後任で横浜にいるパークスという男は信用できる男だ。会ってみるといい」
「しかし、それでは今までの苦労は。……」
「俊輔、戻るぞ」
 高杉はすでに立ち上がっていた。
「た、高杉さん。それじゃ今までの事が」
「いいじゃないかね。どのみち、これは避けられないことだ。グラバー殿、感謝する」
 今度は高杉から手を差し出した。
「どういたしまして」
 グラバーはその手をしっかりと握った。
 長崎を後にした、二人は馬関に戻り、井上と会った。あくまで慎重である伊藤と違って、井上は高杉の案に好意的であった。
「高杉さん、このままじゃ奇兵隊も鈍する。外国の武器を手一杯買って、それでもって幕府を討てば勝てるぞ」
 高杉はいや、無理だと頭を振った。
「我らだけではどうにもならん。何せ、向こうは八百万石もの大大名だ。それに比べて、我々は防長二国で三十三万だ。これじゃ赤子と大人の喧嘩だ」
 と言いながら、高杉の頭の中に、立ち込めた霧の向こうに見える乱反射する光のように、薩摩の文字を感じている。
「せめて、味方が居ればどうにかなるのだがな」
 高杉は少し苦しくなった胸を何度もたたいた。
「そういえば、桂はどこにいるのだ」
 桂とは高杉と同じ松下村塾の門下であり、また藩きっての俊英である。その才について、松陰は「事を為す」と評し、また「重んずるところなり」と、半ば自らの後継者のような位置に置いてあったほどの人物である。維新後、木戸孝允と名を改めて元勲として新政府の重鎮となり、長州の代表となった人物である。
「さあ、丹波とか但馬とか。とにかく分かりませんね」
「探せ。あいつがおらんとどうにもならぬ」
 桂は慎重さが影を踏まぬように気を付けるほどに、傍から見れば鈍重そうに思えるほどの慎重家であった。京での長州の政治的失脚後は各地を転々とし、新選組が池田屋を襲撃した「池田屋事件」においても辛うじて見つからずに助かり、そのまま京を脱したまでは分かっているが、実はその先は分かっていないのである。
「とにかく探すのだ。このまま死なせてしまっては、後に託す者が居なくなる」
 高杉はそういうと、桂と親交のあった大村を始め捜索隊を結成し、桂の行方を捜し始めた。
 捜索に当たっては、先ほどの大村、野村和作、さらに伊藤も入って桂の居所を色鉛筆で塗りつぶしていくようにして、捜索していった。しかし、万事において慎重である桂が容易く見つかるわけがなく、難渋していた。
 この頃になると、高杉は混乱する長州内部に嫌気がさし始めている。というのは、連合艦隊によって散々に打ち負かされているはずの正義派は未だ攘夷に対する幻想を捨てきれずにいるのがその大半で、高杉とその周辺(つまり伊藤と井上)は、すでに開国思想に踏み切っている。
「攘夷は子供の言葉遊びよ」
 と高杉は考えている。高杉にとって、攘夷がどう、とかあるいは佐幕、勤皇、といった区分けは最早意味がなく、日本全体がその思考そのものから脱せぬ限りは、いずれ諸外国の餌食になってしまう。それは、嘗て上海で見た辮髪の清国人の姿と同じくするものである。そうなれば日本は塗炭の苦しみを味わうことになり、歴史の大きな汚点を残すであろう。それに比べれば、開国で少々外国人が入ってきたところで何がどうなる、というものでもないであろう。つまり、開国は小事である。
 にもかかわらず、変わらず攘夷を盛んに叫ぶ正義派の連中はこの高杉の変節を脅威ととらえ、また失脚させられた俗論派も高杉に恨みを持っているため、高杉はその双方から狙われる羽目になったのである。
「それが分からぬ連中には愛想が尽きた」
 そう考え始めると、高杉は急速に愛着を喪っていくのである。そうなるとすぐに脱藩、とまるで親戚の家に行くような気軽さでこの重罪を考えている。
 恐らく、高杉ほど脱藩と帰参を繰り返した男はいない。生涯において五回とも六回とも云われていて、幕末期においては群を抜く多さである。しかもその全て匂いて許されていて、それどころか、呼び戻されたこともあった。そのたびに奇兵隊を創設したり、あるいは連合艦隊との重大な交渉役を任ぜられたりとほぼ重用されているのである。一つには高杉の才能を愛でている藩主の後ろ盾というものもあったであろうが、それ以上に脱藩に対する罪科が軽いのである。
 江戸期における脱藩は「主君を見限る」という倫理上の意味において最も重大な罪である。江戸期に思想的に成立した「武士道」において、主君に対する忠誠が何もよりも重んじられ、逆にその忠誠をなくすのは恥であった。それがためにかえってゆがんだ人間社会が形成され、「忠誠=いいなり」という妙な図式が成立してしまったのである。しかし、これが幕末期になると、藩という存在は外国の前では町内会やあるいは近所の集まり程度の意味しかなさなくなり、そうなると窮屈以外の何物でもなかった。
 しかし、脱藩は死罪が基本である。実際、脱藩しようと計画しただけで殺されてしまうような事例があったほどであるが、長州に限って言えば脱藩に対する罪は極めて軽い。それは高杉も心得ている。
 高杉が愛人をつれて「逢瀬」と見せかけて脱藩しようとしたのは四月の初めである。
 高杉は十兵衛を訪ねた。
「君は、これからどうする」
 高杉は経緯を話したうえで、十兵衛に問うた。
「高杉さんがやろうとしたことは分かります。しかし。……」
「どうしても、外国を受け入れる事が出来ない」
 高杉の答えに、十兵衛は頷いた。高杉は天井を仰いで、嘆息すると
「仕方あるまい。恐らく、大多数が君のような考えだろう。無理強いをするつもりはないし、おそらくしたところで反発するだけだろう。まあ、もし君さえよければこのまま長州に残ってくれ。幕府はもう一度、喧嘩を吹っ掛けるつもりだ。人が欲しい」
「……わかりました」
 高杉は四国に向かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?