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黒スダのDARK PAST #2 働く意味って何ですか?

プロローグ

あれは忘れもしない、大学3年の春。
大きな講堂はスーツを着た学生たちで賑わっていた。

その正体はつい先日まで「サークルだ」「飲み会だ」とオシャレな私服ではしゃいでいた面々だ

その前置きのない変わり様が俺にはとても怖かった。

本当におんなじ人間か?と。
どうしてそう簡単に気持ちを切り替えることができるのか?

「大学3年になったら就職活動する」

この国ではそれが代々敷かれたレールらしい。

周りは「もともと先輩の世代がそうしてきたから」という謎の伝統やルールに誰もとくに疑問を持たず、ただその通りに従っている。

その証拠に同期に話を聞くと「こういう生き方がしたいから!」というよりも、「周りがそうしているから」という考えが多かった。

「就職のためにゼミ長という肩書を持っておかないと」、「何か資格を取っておかないと」、「食いっぱぐれのないように教員免許を取ろうか」。

このように就職を有利にするために何かすることが最終目的になっていて、就職してから何をしたいのかがまるで無い。

そして俺にはもうひとつ抱いていたある疑問があった。

働く意味が「わからなかった」のである。

働く意味がわからない

当時、心身ともに幼い大学時代の俺はそう思っていた。

というのも、働くことに後ろ向きだった

大学進学とともに近くの飲食店でアルバイトを始めた。

高校時代、別の高校へ行った同級生たちが書店や飲食店で働いているのを見て、すごいと思っていた。

ようやく自分もその立場になれたとウキウキ。
もともと面接で年上の人からウケが良いこともあって、第一希望だったその店に採用された。

ところが入ってみて自分の未熟さを知る。

店長やキッチン担当の強面おじさん、そしてホール担当のおばちゃんたちに注意を受ける日々。

なぜか俺だけが集中砲火を浴び、悲劇のヒロインモード。
(他の同期や年上の後輩スタッフが𠮟られてるのを見たことが無かった)

その原因はわかっている。

・仕事が遅い
・要領が悪い
・態度が顔に出る

見よ、この素晴らしいほど哀しき3部作を(笑)

マニュアル通りにやれば済む話だった。
それがいちばん美味しく、手っ取り早くできる。
だがなぜか俺は勝手に自己流で解釈し、勝手にミスをする。

もちろんそこに悪気は決してない。
無意識にそうしてしまっているのだからばつが悪い。

そしてわからない部分を聞かない。いや、聞けない。
以前も同じことで怒鳴られたから怖いのだ。

今思えば、自分のどこがダメだったかよくわかる。

素直さ、お客様への気遣い、利益の計算、時間帯における客数の違い、効率よく動く思考や向上心、そういったことが求められていたんだと。

結果、シフトを減らしていき半年足らずで退職。

みんなに出来ることが自分には出来ない

前回も記したが、これが俺にとって最もつらいのだ。

かつて人間関係で躓いた俺が今度は仕事でも躓き、またしても挫折。

"俺って生きていていいのか?"という思いが膨れ上がっていく。

電車の中のスーツたちを見て、こんなつらい思いをしてまで働く社会人のメンタルはどうなっているのか?と疑問を抱かずにはいられなかった。

俺、ここで何してるんだろう?

大講堂のスーツたちを変な目で見ながらも、結局俺は就職をすることに。

脚本家を目指してコンクールへ応募するも上手くいかなかったし、育ててくれた親に悲しい思いをさせるのは申し訳ないというのがあった。

最も驚いたのは通っていたシナリオスクールの講師から、「こういう仕事は事前にちゃんとした働き口を見つけてからやりなさい」と言われたこと。

夢追い人が現実を知らされた瞬間だ。

大学卒業から約1か月後。
ひょんなことから大手飲食チェーンの正社員となった。

これがなんとも不思議な話で、将来もボヤけて生きる気力もやる気も無くあちこちうろついていた俺がたまたま親の勧めで行った都内の企業説明会でその会社の人事部の方とドラマの話で意気投合。

卒業間近にその方から電話で面接にお呼び頂いて、後日内定をもらうという事実は小説よりも奇なりな出来事だった。

今でも社会人生活の恩人だと思っている。

リーマンショックの煽りで就職活動に苦労してきた同期たちとは別に、俺はなんともあっけなく社会人生活を始めてしまった。

自由だらけの大学生活と一転、会社員生活は波乱の連続。

研修はとても厳しく、脱落者もいるなかで何とか我慢して乗り切れた。
(※というのも、俺よりも世話のかかる社員がたくさんいたから)

鬼のレッスンを耐え抜き、何とか東京への赴任が決まって働き始めた。
と、しばらくしてあることに気づいた。

1日あたり13時間労働。

朝8時起床→10時出勤→出勤と休憩の境目はほぼ無し→24時ごろ退勤→遅い夕飯→深夜2時就寝。

これが約1年続いた。
社会とは戦場だから、こんなの当たり前だと違和感すら覚えなかった。

作家の夢を忘れぬように、帰宅後に近所のTSUTAYAでレンタルした映画を観ていたが途中で寝落ちなんてしょっちゅう。

バイトの男子学生は前のファミレスで働いていた時、そこの店長が職場で何日も寝泊まりしていたという。

最近、完全週休二日制になったと喜ぶ先輩社員の言葉の重みよ。

バイトスタッフは契約上、必ず1時間の休憩が約束されている。
だが社員はタイミングを逃すと休めない。

給料は良かった。もちろん、住むところも。
だが、心身はどんどん廃れていった。

日に日に募る違和感。
会社員ってこんなに求められるものなのか?

休みの日はどこかお出かけしたいが、日ごろの疲れから寝て過ごす日々。

もともと華奢な体型もあって、大変な負荷がかかっていた。

すると、ある時からこんな疑問が浮かんできた。

「俺、ここで何してるんだろう?」

作家を目指しているはずが、人生設計の軸はブレブレで、自分の勝手な気分で社会人をしている。

当時は20代だったから何とかなっていた。
が、もし今の年齢だったらと思うだけでゾッとする。

忍び寄る災い、そして脱落

そういうときに限って、災いはやってくる。

mixiで呼びかけられて交流した相手がその手の商法の人間だったのだ。

お金を手に入れるのに日夜肉体労働でつらい思いをしている不満、上司から電話で告げられる仕事の課題、やんちゃなバイトスタッフたちとの不仲、粗利・人件費・販促費のオンパレード。

当時は正社員として働くのがやっとで、会社という舞台で何をすべきかすらわからない甘ちゃんだった。その心の隙間に付け込まれたのだ。

心身ともに病んですべてに押し潰されボロボロになっていた矢先の出来事。

弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはよく言ったもの。

結果、お金を2度騙し取られた。
少額だったから被害は割と少なかった。
すぐに縁を切ったが人間不信に陥り、目の前が真っ暗になった。

そんなある日の朝、とうとう事件は起きた。

体が重い。
起きられないのだ。目はしっかり開いているのに。
起きようという気はある。が、起き上がらない。

やっと起きられたと思ったら、めまいがする。
さらにやる気が起きない。

どうやら、これは…うつっぽい。

あれは忘れもしない4月1日。
エイプリルフールなんてかます余裕はなかった。

直属の上司に相談し、退職できたのはそれから3か月後。
この期間が人生史上最も長かった。

「僕、本当にここを辞められるんですか?」とガクガク震えた声で人事部に電話で聞いたほど。

こうなったのもすべて自己責任。

今思えば、面接で「拘束時間は長いが大丈夫?」とエリアの統括に言われたときに「すいません、難しいです」と断るのが正解だった。

だが当時俺は「大丈夫です」とウソをついた。

いつだって自分にウソをついた分だけその反動は重く戻ってくる。

疲れ切った体を運ぶ地元へと戻る電車のなか、これからどうしたらいいか休みながら考えることに。

こうして俺の初の社会人生活は幕を下ろした。

リターンマッチの行方

地元でしばらく療養し、数か月ほど市が運営する教育関係の仕事でリハビリしたのちメディア関係の会社に入った。

すべてはリターンマッチのため。

療養完了。
飲食店時代に社会人として環境に適応できなかった自分の弱さに腹が立ったから、もう一度正社員として戦いたかった。

そしてメディア関係の仕事に関われば、作家としての生き方に何かプラスの影響を与えられると思ってのこと。

とても素晴らしかった。
その現場は最高なまでに社会の厳しさを教えてくれたから。

徹夜は当たり前、ゴールデンウイークも休日返上で仕事三昧。

自分だけが上司から何度も叱られ、神経をすり減らす日々。
何が着火点になるかわからないから、毎日冷や冷や。
え、なぜそこでキレる?ってくらい理不尽なレベル。

(この経験から自分はちゃんとした経営者となり、お仕事してくださる人たちとしっかり向き合おうと決心した)

不思議なもので何度も叱責されていると、その原因が自分になくてもまるで
自分が諸悪の根源な感覚になってくる。

タチの悪い洗脳といっても差し支えない。

休日にシナリオスクールに通うも、文章が書けない。
怒られる恐怖が勝ってしまい、手につかないのだ。
毎朝、洗面台の前で吐き気を催していたほど。

思い返せば、何度上司に「すいません」と謝ったことだろう。
1日ずっと呪文のように唱えていた気がする。

同僚は誰も味方してくれず、助けてもくれず、「君のやり方が間違っているから上司を怒らせてるんだ」と咎められた悔しさを俺は死んでも忘れない。

おかげで数か月しか続かずに脱落。
胃痛を抱え、人事部の人に辞表を渡して帰宅。
帰り道の風景がどれほど明るくキレイに見えたことか。

以降、一度も会社に行かず退職。
仕事らしい仕事なんか何ひとつした覚えはない。

あ、ひとつだけあった!
同僚たちの前で叱られて見せしめにされることだ。

ここで、会社とはいかに上司から気に入られるかで行く末が決まることと、正社員になることは求められるタスクが多すぎるゆえに夢を追う俺にとってはあまりにも荷が重いことを知った

苦労して手に入れたものは胃の不調だけ。
内視鏡検査の帰り道、またも社会人として生きられない自分を責める。

そこから自身の正社員としての器量・力量不足と人としての無価値さを知り、バイト生活を転々とすることになった。

その後、付き合った女性たちに「正社員になれ」と何度も言われ、夢を応援してもらえないショックから別れるきっかけになったのはここだけの話。

数年後、この映画を観てボロ泣きした。
主人公の会社員・青山がまさに自分だったのだから。

中盤で青山がビルの屋上から飛び降りようとするのをヤマモトに説得されて踏みとどまったのち、実家に帰省して家族と一緒に過ごすシーンがある。

めっちゃズルいよ。
今まで我慢していた涙が一気にあふれ出しちまったじゃねえか。

それくらい自分の至らなさや弱さが悔しくて、社会不適合者の自分を受け入れることがつらかった。

「働くとはいったい何だろう?」

なぜ俺は働くことに対してこんなに後ろ向きなんだろう?

てか、これからどうやって生きていこう?

どうやってお金を稼げばいい?
作家の夢はどうなるの?
つーか、結婚できるの?
そもそも俺は女から需要がある男なの?

抱いた悩みたちはどんどん深みにハマっていった。

努力や苦労よりも本質を

俺にはもともと疑問に思っていることがある。

それは「頑張れ」「努力しろ」という昔ながらの根性論。

働き方改革や新しい日常が叫ばれているにも関わらず、いまだこの世にはそういう言葉が蔓延し、社会人として必要なものだと思われている。

作家をしている自分が言うのもアレだが、ドラマや映画は主人公やその仲間たちが挫折して目一杯努力や苦労したのちに成功・勝利するというテンプレートが視聴者の共感を誘う。

だが、それはその主人公や仲間たちがもともと成功・勝利する才能や素質を持っていたという前提条件があることを忘れてはならない。

だから現実はそうでないことが往々にしてある。

努力や苦労が報われるなんて嘘でもあり、逆を言えば「努力や苦労抜きでうまくいく」こともあるはずだ。(それじゃ物語にはならないけどさ)

実は上京しようとした2020年、コロナ騒動が起こった。
(その翌年に上京したので、実際の計画より1年遅れている)

全世界が未曾有の事態のなか、家でひとり悩んでいた俺はとあるブログに行き着いて長年の謎が解けた。

それは学校では受け身な姿勢が求められ、会社では自主性が求められるというもの。

あまりにも皮肉な内容であるとともに、モヤモヤが一気に解けたのだ。

この本質を理解している人って現にどれだけいるのか?

要領の悪い自分がわかってなかっただけか?

会社は理不尽まみれだから、厳しい部活の環境ですでにそれを経験し麻痺している体育会系の人間が現場には求められる。

例のメディア会社で年下の先輩社員はスパルタで有名な剣道部出身だった。

じゃあ、そうでない人間は一体どうしろと?

怒りがこみ上げてきた。

そして決めた。

自分のような社会に馴染めない人間こそ大成功してやろう、と!

これまでこういった大きな壁にぶつかっては何度もあきらめてきたが、思いっきりこの社会にアンチテーゼを吹っ掛けてやりたくなったのだ。

社会不適合者が社会で大成功するシナリオ、おもしろいだろ?

俺は「歴史」と「お金」と「性」と「常識」に関して、周りの人から本質を教えてもらったことはほぼないと思っている。

それら教わってきた事柄の真逆こそ正しかったことが経験上ほとんど。

働き方の本質を誰もが教わっているのなら、疲れ切った顔をしたサラリーマンたちが毎朝電車の中にいるだろうか?

恋愛の本質を誰もが教わっているのなら、モテる人・モテない人がこんなにも顕著に分かれているだろうか?

この世はすべて不公平であることを理解し、受け入れなければならない。

歴史ならば国同士で様々な事情や価値観が絡んでいるのを理解することだ。

お金ならば自分で正しく稼ぐ能力を身に着けることだ。

性ならば異性の生態を深く理解する能力を身に着けることだ。

常識ならば多数派の風習を疑う視点を身に着けることだ。

物事には正しさがあり、それこそが成功への近道なのだ。

だがほとんどの人は"本質"や"正しさ"については何にも言及してくれない。

だから「頑張れ」や「努力しろ」というフレーズを俺は言いたくないし、疑問を覚えてしまうのだ。

エピローグ

俺は「お金」と「女」が大好きだ。

いい人を演じるのを辞めた今、こういった心の中にある欲望を自由に声高に宣言できる幸せを深くかみしめている。

これを汚らわしいと思うなら、嫌ってもらって構わない。

見てくれが良い八方美人の白スダなんて、”みんなに好かれたい”という願望が作り出した張りぼてなのだから。

では、働く意味とは何なのか?

今ならわかる。

「自分で正しく稼ぐ能力を身に着け、それを誰かを幸せにするために用い、その対価として自身が十分なお金を得て幸せな人生を送ること」

今回2度目の上京ではっきりと向かう道や目標が定まった。

自分の力でどうすればお金を生み出すことが出来るのか?

そのために自分にどんな魅力や持ち味があって、それが活きる場所はどこかを行動しながら探している。

そしてこれまで自分がしてきたことと真逆の行動をしている。

まず、自分の感情を包み隠さず表に出すようになった。

次に"人としての尊厳"を蔑ろにされそうなときはその相手にきっちり「NO!」を突き付けるようになった。

これまで仲間外れにされ、人扱いされなかったことへの悔しさは決して消えないし消してやらない。

だが俺は成功する必要がある。
ゆえに人を憎みはしない。

自分がされて嫌なことを相手には一切しない。
ま、ずっと根には持つけどね。

反面、人を見る力を持たないと簡単に殺られる。
最悪の場合、縁を切ればいいだけだ。

俺は悔しい。
自分より長く生きている世代の人たちが、どうして物事の正しさについて何も教えてくれなかったのかと。

もちろんすべての人がそうではないことは心得ている。

だが俺が関わって来た会社の人たちは、「それくらい自分で察しろ」というばかりで冷たかった。

もしかしたらその人たちもそういったことを何も知らないまま、生きてきたのかもしれない。

だからこそ俺には、いや俺たちの世代には責任がある。

これから次の世代に正しさや本質を教えるという責任が。

働くことはその最たるものだと俺は信じている。

もし働くことの意味に迷い、悩んでいる人たちがいたら救う必要がある。

時代は変わる。
それに伴い、人の生き方も変わっていくはずだ。
だが本当に変わるかどうかはその人に委ねられる。

人間の脳が現状維持を求めるように、よっぽどの事態が起きない限り、この世は変わっていくはずがない。

だからこそ俺は自分を変えていく。
他人より10年も成長は遅いが、10年後には確実に成長してるのだから。

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